講話・ゆく蛍
馬の比喩 世の中には、走るためだけに生まれてきたような馬もいる。人並み優れた血統を持ち、飼い主も金に困らぬ階級の出身ゆえに惜しみなくこれに愛を注ぎ、この道一筋と評判の高い調教師を幾人も雇い入れ、そうやって小さい頃からゴールめざして疾駆することのみを教え込まれた競走馬。彼は、ゲートから走路に跳び出すや、観衆のどよめきにも耳をかさず、空の青さにも目をやらず、鼻ひとつの差でも早くゴールに駆け込もうと、馬面を前へ前へと突き出して走る。走路を決められれば走り出さないではいられないような馬こそ、最高の名馬というべきか。 ところが、野性の血のまじった雑種となると、なかなか名馬のようにはいかない。ゲートに入ることは知っているが、それもイヤイヤであり、いつも何かと落ち着かない。時には「何のために走らねばならないのか」と不平を鳴らして、騎手や飼い主を手こずらせたりする。目の前に餌をちらつかせられると、自分でも餌は欲しいものだから、走ることを一応は納得する。しかし、心のどこかに納得し切れないものを持っているから、ギャロップでというわけにはいかない。芝生のコースでは何の感動も期待できそうにないし、ギャロップというものは、命からがら逃げる時か嬉しくて走り回る時しか使うものではない、と野性の血が教えるのだ。 そんなわけでグズグズしていると、騎手は躍起となって「餌をやらないぞ」とか「飼い主と相談して桜肉にして食っちまうぞ」とか言って脅迫する。あげくの果ては鞭で打つ。痛いものだから走らないではいられない。そうやって、自分でも心に不満を抱き、痛い目に遭わされながら走り続け、何とかゴールまでたどり着いてみたが、誰かから賞賛されるはずもない。むしろ駄馬として競馬場から追放され、重い荷車を引かせられるようになったりする。 もちろん、これも一生だと割り切ってしまえば、大して苦痛なわけではないし、むしろ、力仕事のために筋骨たくましくなった分だけ、健康な生活だと言えるかもしれない。 ところで、鼻の前にぶら下げられていた餌に何とかうまく食いついたとたん、〃もう鞭なんか怖くない。俺の背中にしがみついてやがるチビが何ほどのもんじゃい〃とばかりに、欠席・欠課・遅刻も、行動評定も、通知簿も、もはや自分には何の関係もないとばかりに、机の上に這いつくばってでいぎたなく眠り呆けている、我が「駿馬たち」に向かって、何と言えばいいか? 汝らは、かの果てしなき草原を駆け抜けし野生馬の子孫なるぞ。しかるを汝ら、父祖の血を忘れ、さして上等でもないニンジンのためにだけ走る奴隷馬となりしは、いつよりか! |