馬の比喩
位置 石原吉郎 静かな肩には 声だけがならぶのでない 声よりも近く 敵がならぶのだ 勇敢な男たちが目指す位置は その右でも おそらく そのひだりでもない 無防備の空がついに撓み 正午の弓となる位置で 君は呼吸し かつ挨拶せよ 君の位置からの それが 最もすぐれた姿勢である □石原吉郎。詩人。 1915(大正4)年、静岡県に生まれる。1939(昭和14)年、召集を受け、北方情報要員として教育され、ハルピンの特務機関に配属される。1945(昭和20)年、日本は無条件降伏、ソ連軍に捕らえられ、シベリアの収容所に抑留される。8年間の抑留生活の後、1953(昭和28)年、舞鶴港に復員。詩人として活躍したが、1977(昭和52)年、急性心不全にて自宅の風呂場で死去。自殺に近い死にざまであったと伝えられている。 □シベリアの収容所体験は、この詩人の思想形成に決定的な影響を与えたと考えられるが、 ぼくは何よりもその思想の結晶度の高さに圧倒される。そして、君たちにも身に覚えがあると思うが、「いっぺん、どなったろか」と思うような日常生活のやりきれなさに疲れ果てたようなときに、この詩人の評論を読むと、不思議に勇気づけられる。 昨年の夏、この詩人の評論を読み返してノートに書き抜いておいたことの中から、いくつかを紹介しておきたい。バルバロイ的人間は、何よりも自分の立つ位置の思想を持たなくてはならないのだから。 ◇生き残った者にとって、生きのこる*機会*は、さらに無数にやってくる。一度生きのこってしまえば要するにどんな屈辱のなかでも、ついに私たちは生きのびるのである。 ◇ここでは生存ということが、むしろ敗北なのだ。死にざまから生きざまへの転換は、むざんなまでに不用意である。生きざまへ居直る瞬間から、およそいかなる極限も、そのままの位置で日常へなり終せる。なぜあのとき死ななかったのかという、うらみのようなものだけが、のこるものとしてあとにのこる。それが生きざまというものである。 ◇<人間>はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。 ◇集団にはつねに告発があるが、単独な人間には告発はありえないと私は考えます。 ◇怒りは決して報復の方向へねじまげられてはならない。……怒りは耐えられることにより、人知れず深められ、さらに大きな怒りへと結びついてゆかなければならない。 ◇私は告発しない。ただ自分の<位置>に立つ。 ◇何びとも、自分自身が正しいと思いはじめたときが、その人の堕落のはじまりであると思います。 ◇私たちは一度は(そして、いつでも!)自分自身に対して抱いている自信を放棄し、自分自身に絶望する勇気をもたなければならないと思います。それがとりも直さず自分自身にたいする誠実であり、またすべてのひとびとにたいする誠実であると考えます。 ◇日常のただなかでみずからの位置を確かめつづけることが、いわば生きることへの証である…… ◇そして、その位置を不退転の意志でささえぬくためには、進んでその位置を捨て去る自分の姿を、はるかなそのさきへつねに想定しておかなければならないのである。そのときそのような放棄に耐えるだけの自分の姿勢をくりかえし自分に問うことによって、わずかに日常に耐える現在の位置をささえなおすことができるのだと私は考える。 ◇それは闘争というような救いのある過程ではない。自分自身の腐蝕と溶解の過程を、どれだけ先へ引きのばせるかという、さいごにひとつだけのこされた努力なのである。 ◇いまにして思えば、戦争は私に、日常をのがれることの不可能を教えた唯一の場であった。いかに遠くへへだたろうと、どのような極限へ追い込まれようと、そこで待ちうけているものはかならず日常である。なぜか。私たち自身が、すでに日常そのものだからである。 (『日常への強制』『望郷と海』『海を流れる河』) |