title.gifBarbaroi!
back.gif今日また現実が空無と化した
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生は暗く、死も暗い




◇Dunkel ist das Leben, ist der Tod.(生は暗く、死も暗い)――すべての管弦楽器の悲痛な絶叫の中に、この一句が何回となく繰り返される――中間考査の成績を転記し終えたぼくは、評を書く気力も失せて、N君の紹介してくれたマーラーの『大地の歌』を聴きながら、今、この学級通信を書いている。

 中間考査の結果に対して、なぜにかくも暗然たる想いに駆られるのか? 思うに、君(たち)は生きるということをあまりにも軽く見すぎている。今回の結果は、その根本的な原因をさぐれば、そういう君(たち)の生活の有り様の反映にほかならないと言える。己の「生」を軽視しているような者に、今さら評すべき何があるか?
 今回のような結果は、君(たち)の生活の有り様を見ていれば、充分に予想しえたことだ。それを、もし、意外とする者がいるなら、あるいは、「これはほんのちょっとした失敗さ。おれはやれば出来るのだから、その気になりさえすれば大丈夫だ」などと思っている者がいるなら、その考えの浅薄さに反吐が出るぜ!

 少年のころ、ぼくも教師からよく「君はやれば出来るのだ」と言われ、自分でもその気でいた覚えがある。しかし、間もなく、それは言葉のマヤカシにすぎないことに気づいた。「君は」ではない。「誰だって」いいのだ。誰だってやれば出来る。誰だってやらなければ出来ない。それだけのことだ。問題は「やる」か「やらないか」の差にすぎない、と。
 さらに、こういうことにも気づいた。「やらない」ということは、やろうとしないということではない。じつは、やろうとしても「やれない(やることが出来ない)」ということにほかならないのだ、とも。そういう自己の不能を見つめることも忘れ、まして、自己の不能を哀しみ恥じてささやかな一歩を踏み出すこともせずして、いたずらに「おれはやれば出来るのだ」などという自慰に耽っているけがらわしさ!

 すべて可能なことは確実に出来る。可能なのは、ただ、出来ることだけである。
                            ――カフカ――

 人間は自分に出来ることしか為しはしない。自分の為していることだけが自分に出来ることである。―― 自己にとっての不能と可能とを測りあいながら、一歩一歩、不能を克服して可能の輪を広げる努力を忘れている者に、ぼくは言うべき言葉を持たぬ。

◇恥ずかしげもなく赤点の並んでいる君(たち)の成績を眺めながら、ぼくは、数年前に出会うことのできたY君を想い起こしていた。

 学年末、Y君は1科目の赤点をとってしまった。しかし、及落判定会議では、追認試験を受けることが認められた。そこで、ぼくは、受検願いの手続きをするよう連絡したのだが、彼は手続きをしようとしない。締め切りが迫ったので、いったいどうしたのかと尋ねたところ、Y君は次のようなことを語った。

 ――自分は自分なりに努力してきたつもりだったが、1科目とはいえ、赤点をとってしまった。これは単位を認められないということだ。ところが、今、追認試験を受けさせてやるというが、いってみれば、それは学校の「おなさけ」のようなものだ。努力不足から赤点をとってしまった自分の責任を棚にあげて、そんな「おなさけ」にすがって追認試験を受けてもいいものか、それとも、もう1年やりなおすか学校を去るかすべきではないか、考えていたのだ――と。

 このY君を、愚直だといって君(たち)は一笑に付すか? Y君を愚直だといって笑うなら、そういう愚直さを持ち合わせぬ自分の賢しらを振り返ってみよ。そこにいったい何があるというのか。自分をかぎりなく甘やかせ、他者の「おなさけ」にどこまでもつけいり、人間としての浅薄さを見透かされていることも知らずに、自分は要領のいい人間だと得意げになっているだけのことではないのか。

 やるべきことをやりきったと言える者、すなわち、自分にできることを一つ一つ確実に果たしてきたと言い切れる者は、それがどう評価されようと、怨みがましいことは言わないものだ。そして、次なる運命を引き受け、それに立ち向かってゆこうとするものだ。

 行動礼拝の時にも話したように、生きるとは決して恰好のいいことではない。むしろ、ぶざまと言ってよい。しかし、それは血みどろになって挌闘する者のみがもつぶざまさだ。だからこそ生きざまと言うのだ。君(たち)の生きざまは、いったいどこにあるのか?

 うすぎたない日常性の中にうすぎたなく汚れてゆくことを恥じる心――それを失った時、同時に、君(たち)は青春をも失っているのだ。潔癖さを失った青春に何の意味があるというのか?
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