title.gifBarbaroi!
back.gif再び、石原吉郎
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砂の城




 「人間は死ぬ。どうじたばたしても、しょせんいつかは絶対に死ぬ」(土門拳)

 人間の中に自分も入っていること、すなわち、「人間は」ではなく、「自分は」であることに気づいたときの衝撃は、今でも忘れられない。これほど冷厳な事実があるにもかかわらず、人はどうしてあのように苦もなく生きていられるのかと、不思議でならない。死という事実の前に、どうして一切の意味は沈黙しないのか?

 死の想念にとらわれ、生きることの無意味さに最も深く打ちひしがれていた時期があった。そんなある日の、海辺の体験である。――

 夏も終わりに近く、砂浜には人影もまばらであった。ぼくは浜辺の休憩所に独り腰かけ、ぼうぜんと海を見やっていた。輝く太陽も、きらめく砂浜も、波のうねりも、当時のぼくにとっては、すべてが灰色の世界に沈んでいた。心に喜びを感じさせてくれるものは何もなかった。

 その時、十歳くらいの女の子を連れた一家が、ぼくの近くに場所を定め、海水浴の準備を始めた。水着に着がえる女の子を、ぼくは好奇心に燃えて見ていた(その頃のぼくを生かしていたのは、こういう好奇心だけであったかもしれない)。女の子は病弱そうに見えた。ひどくやせこけていた。少し水につかっただけで、もうまっさおな唇をふるわせていた。そういう女の子を、父親と母親は心からいたわっているように見えた。

 平和な一家だと思った。もちろん、あの頃のぼくは、そういう平和さを軽蔑し、嘲笑していた。

 水遊びに飽きたらしい女の子は、水際で今度は砂遊びを始めた。女の子のつくる砂の城は、波に洗われ、たちまち崩れ去る。女の子はまた初めからつくりなおす。波はまた容赦なく崩し去る。そんなことを際限もなく繰り返していた。

 やがて、砂遊びに夢中になっていた女の子は、ふと眼をあげると、両親が木陰で休んでいることに気づき、そちらの方へと駆け寄りながら、いかにもはずんだ声で、「おもしろくてたまらない」と言ったのであった。

 単におもしろいというのではない。おもしろくてたまらないという、この一言はぼくにとって驚きであった。頭を打ちのめされたように思った。何がそんなにおもしろいのか? 波に崩され、あとかたもなく消え去り、無に帰するだけの砂の城をつくることが、いったいどうして「おもしろくてたまらない」などと言えるのか?

 思うに、人生に意味があるかどうかという、そういう問題の立て方がそもそも間違っているのではなかろうか。人生に意味などありはしない。といって、無意味だというわけでもない。意味の有る無しとは無関係に、自分が存在しているという事実があるだけだ。そして、砂の城は波に洗われ、あとかたもなく消え去るだけであり、人間はやがて死ぬだけのことではないのか。

 それを無意味なこととし、砂の城を石の城に変えてみても、やがて無に帰するという理法は微動もしない。そこに意味がなくてはならぬ理由など何もない。そんなものは、意味を求めたがる人間の勝手な思い込みにすぎないであろう。意味を求めたがるからこそ、人間は無意味さに耐えられない。だからこそ、神だの運命だのを想定したがるのではないのか。

 人生がそのように没意味であり、やがて無に帰するだけのものであるとするなら、それでは、どのようにして我々はそのような人生を生きてゆくことができるのか。まさしく、砂の城をつくる少女のようにだ。少女にとっては、波に洗われる砂の城を創るというその行為だけで充分な歓喜であったはずだ。彼女はその意味を問うたであろうか。

 この世の一切は、その根底において、意味とはかかわりがない。――この認識に立つとき、砂の城を創ることも石の城を創ることも同じ地平に並ぶ。何を創るかという対象は問題ではない。悠久の「時」の前では、石の城も砂の城に等しく無である。重要なのは創るという行為のみである。そして、石の城を築こうとする建築家の情熱と、砂の城を築こうとする子どもの情熱とは同質のものである。どちらも最も深い意味において「遊び」だと言ってよい。遊びだからおもしろいのだ。また、遊びだから純粋なのだ。

 遊びには真剣味がなくなると思っている者は、俗悪な常識に惑わされているのである。意味ありとされることにこそ真剣になれると思う者は、その意味とは何であるのか、誰にとっての意味であるのかを考えてみよ。意味ありとされるそのことが、やがて無に帰すべき自分自身にとって何であるのかを。

 砂の城を創っていた少女は、砂の城を創ることに一生懸命であったはずだ。懸命の行為に、どうして真剣味がないなどと言えようか! 人間をかろうじて虚無から救うものは、その懸命さだけである。
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