生徒心得の歌
アイヌ少女の訴え ☆昨年の夏、中曽根首相は、「日本人は単一民族だから優秀だ」といった内容の発言をして、国の内外から激しい非難を浴びた。なぜなら、それは、単一民族ではない例えばアメリカ人にとっては、侮辱以外の何ものでもなかったし、また、日本人は本当は単一民族ではないのに、それを単一民族だと言いつのることは、少数派の存在を無視・否定・抹殺することにほかならないからである。このような無神経な人間を首相にいただかなくてはならないとは、日本人はよほど不幸にできていると言わなければならない。 先日の「学習だより」の中でもちょっと触れておいたが、日本には日本語しかないわけではない。ずっと遠い昔(おそらくは、われわれヤマト民族よりもっと古く)からこの土地に住みついた人々によって、その祖先から今に至るまでずっと受け継がれてきた言葉があり、その言葉を話す人々がいる。にもかかわらず、われわれにはその人々がなかなか視野に入ってこない。 さいわい、君たちは日本史のみならず世界史までも勉強している。学校の授業では、歴史の裏まではなかなか教えてくれないけれども、君たちが常に疑問を持ちながら注意深く教科書を読んでゆきさえすれば、権力者たちがわれわれの眼からいったい何を隠そうとしているのか、を嗅ぎ出すことができるはずだ。われわれは、そういう感性を鋭く研ぎすまさなくてはならない。それは、われわれ自身が中曽根首相のような無神経な人間にならないためばかりではない。われわれの所属しているこの大きな社会や歴史の流れの中で、自分の進むべき方向を見失わないためにもである。 ところで、次の作文を読んでみてほしい。作者は中学1年生の女の子である。そして、この作文の内容は決して過去のことではなく、現在の日本で起こっていることなのだ。 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽ ----------------------------------------------- ---------- 差別 芽室中学校一年竹内公久枝 ----------------------------------------------- ---------- 私は この作文の中で みんなに言いたいと思います。「みんなは 人権というものが ほんとうにわかっているのだろうか?」ということです。人権とは 人間が生まれながらにもっている生命・自由、平等の権利ということなのだそうです。しかし この我が 芽室中学には 人権がないのです。人びとの平等がなく とても差別が 多いのです。……多すぎるのです。 その差別のせいで「仲間はずれ」も多く、私も その中の一人で 私のおじいちゃんは、アイヌ語ペラペラの「アイヌ」だったのですが 今私は みんなに アイヌアイヌと言われています。そう言われるだけなら まだいいと思っては いますが アイヌ人だから どうだこうだ と言われるのが、私はたまらなく いやです。例をいえば 私のために 芽中の三年生が かえ歌を 二曲 つくったりしています。一つは ランナウェイのふしで「アァイヌゥー アーイヌ アーイヌゥー ア ッ イ ヌゥー」とか ピリカピリカのふしで「アーイヌ アーイヌ なーぜなーぜ アッ イッヌッ いーぬにかまれてアーイーヌ……」とかがあります。私が三年生の前を通ると 五、六人が この歌を 大声で 歌うのです。 芽中、八百人全員が 仲間はずれを 出して いるのではなく やっぱり 何人かの人は 仲間はずれを なくそうと 思っているのでしょうが ほんとうに 仲間はずれが多いのです。私のクラスの一年D組だけにも 私を入れて 二人の仲間はずれが います。私は みんなに いやなことを言われたりするようなことが あれば いいかえせるのですが もう一人の人は 気が 小さくて 言われたら そのままで みんなが つけあがって もっといじめるのです。その人は 私のように おじいちゃんが アイヌ人だったわけでもありません。ただ ちょっと かおが わるいだけなのに、みんなはその人のことを きもちわるーいといって ちかよらずに いやがらせを するのです。これは偏見でうったえれば 罰せられると 小学校の時 先生に おしえてもらったことがあります。私や、その人が うったえれば たくさんの人が罰せられると 思います。そんな罰せられる人が 芽中には……いいえ 芽小にも 芽高にも 西小やたくさんの学校にいるのです。 例をいえば 前 芽高の学校祭へ いった時 ぜんぜんしらない人たちに うしろゆびを さされて「ほら あの人アイヌ人よ」といわれたこともあるし 西小へいって「かえれ アイヌ」と ぜんぜんしらない 男子四、五人に 石を ぶっつけられたこともあるし 芽小にいたころ 一年か 二年の子が 私に ぶつかって「きんもちわるーい アイヌに ぶつかっちゃったー」と あやまりもせず 逃げて いったり ある男の子が 女の子を 泣かしていたので ちゅういすると「アイヌのくせに いばるな」と言われたことがあります。まだまだ ぜんぶの例をあげてみれば この原稿用紙が 百枚あってもたりないかも しれません。 私は アイヌといわれるのが いやで わるいことしている人をみても 何も 言えなくなる時が あります。これは みんなが 私のことを きもちわるがらなければ すぐちゅういできるのに のどのところまで 何かがこみあげているのに 何も いえなかったり だれかが あそんでいる中に 自分も 入りたいくせに どうせ「あんたなんか きもちわるいから 入れてあげない」みたいなことをいわれるからと思うと どうしても ひっこみじあんになり おくびょうな 私が 出てきてしまいます。この性かくは なおしてしまいたいと思っています。 私の場合 女のくせに ひげが はえたり体じゅうに 毛が はえていることから「アイヌ」ということが ばれなくても きっと 仲間はずれだったのだろうけど もとはといえば 小学校一、二年の時の先生が 私が 学校を休んだ日に クラスの人たちに 「竹内は アイヌだ」と おしえたことがきっかけで 私は みんなにいじめられ ひっこみじあんに なってしまい 仲間はずれになってしまいました。 だけど 私は 小学校四年になったころ ひっこみじあんがなおってきました。アイヌと言われて いじめられて だまっているのでは あまりにも みじめです。みじめすぎます。それで いわれたら いいかえす。たたかれたら たたきかえす。つばを かけられたら かけかえす。というように なったのです。 五年をすぎるころになっても 私のことを、アイヌ という人は いっこうに へりません。むしろ だんだんふえてくるようでした。 六年の中ごろ 私は はじめて お父さんと お母さんの前で 泣きました。今まで、どんなつらいことがあっても しんぱいを かけないように 一人で泣いて 学校であったことは なに一つ 家では しゃべらなかった私でしたが この日だけは 大声で泣きました。その日 あるいて かえるとちゅうで にくたらしい いつも 私のわるぐちをいう 男の子にあって その子は 「おまえ ずっと前 川北温泉にいって そこの五千円と チョコレート とったべ。おれ しってんだからな」というのです。私も もちろん そんなことを していなかったので「そんなこと してないョ」と ひていしても その男の子は 五メートルぐらいあとからついてきて「ドロボー ドロボー」というのです。私は くつじょくと くやしさで 泣いてかえって 自分のへやに入っても ふとんの中で 泣きました。それで 明日 学校へいけば またいやがらせをいわれるという不安が あたまの中を かけめぐり どうしても 学校へ いきたくなくなって はじめて おやの前で なみだをみせました。お父さんは すぐ 先生の家へ 電話をかけ「家のむすめのことは、あんたに まかせてあるんだよ。私は あんたなら だいじょうぶと思っていたんだからね。家のむすめは ほんとうに はじめて 私らの前で 泣いたんだからネ」という話が 一時間あまりもつづきました。 はじめて 家で 泣いたことは 一生わすれないと思います。 だけど 私が みんなに「アイヌ」といわれ いじめられていることは マイナスにしか なっていない というわけではないのです。ちゃんと プラスにも なっているのです。それは いじめられる苦しみを 私はしっているから いじめられるかなしみを 私はあじわっているから 人のことも考えてあげられるのです。もしも 私が 美人で あたまが よかったら 人のことなど 考えず 私みたいな子を いじめていた のかもしれません。きっと そうだったと 思います。 しかし やっぱり 人権が おかされている例の中に 入っている「差別」などの問題は みんなで考えて みるべきなのです。もう一度「人権とは いったい何なのか」ということを みんなで 考えるべきだと 私は 思うのですが みなさんは どうお考えに なるのでしょうか……? (了) △△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ ☆「だけど 私が みんなに「アイヌ」といわれ いじめられていることは マイナスにしか なっていない というわけではないのです。ちゃんと プラスにも なっているのです。それは いじめられる苦しみを 私はしっているから いじめられるかなしみを 私はあじわっているから 人のことも考えてあげられるのです」 この少女のことばの前に、ぼくは言うべき言葉を持たぬ。ただ頭を垂れるのみである。この少女の悲しみや痛みの通じない者は、人間の名に値しないとぼくは断言する。 |