title.gifBarbaroi!
back.gif不義理に徹する
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哲学少年リョージ




☆B学年2組に、スペンサー・リョージと名乗る男がいる。みずから「大谷の哲学者」と名乗るだけあって、相当変わった男ではある。いつも世の人々の営みを一歩外に立って傍観し、みずからは教室の片隅で風とささやいている。そして、興が向けば日直日誌に、「誰もいない教室はとても美しい」と書いて、やけにニヒルぶって見せたり、「慣れや勢いというものは、心を曇らせるだけだ」と、晃宗上人をさしおいて悟ったようなことを言ってみたり、「この世でこよなく美しきもの そは花なり そは花なり。この世でこよなく美しき心 そは母なり そは母なり。花も母も 種となる実を愛す。こよなく愛す。かなしくも愉しきかな」と、PHPか生長の家のまわしもんのような詩を書いたりしている。

 この男が時々議論を吹っかけてくるのだが、ぼくはそれを愉しみにしている。その第1回目は学園祭の後だった。

 2組は、学園祭で女装して仮装行列をすることになったらしい。リョージにとって男が女装して女のまねをするなど、もってのほかのことであった。彼は学園祭をボイコットして休んだ。無断欠席だから、当然のことながら担任にとがめられたが、リョージは納得できない。学園祭の当日休んだことについて担任と議論を続けているのだが、これについて先生はどう思うか、というのだ。

 第2回目は一昨日のことだ。「勉強がむなしいから帰ろうと思うのだが、”むなしいから、帰る”というのは、早退する理由にならないのか」というのだ。
 君たちなら一体どう答えるだろうか?

☆「アホやな。そんなことを言うたら、担任は怒るに決まってるやないか。ちょっと物わかりのええ担任やったら怒らんかもしれんけど、それでも、何やらグチャグチャ理屈を言われて、結局は担任の言うとおりにせんならんようになるだけや。そんなんは疲れるだけで、アホくさい。だから、そういう時は、ちょっと風邪ひいて体調が悪かったので休みましたとか、気分が悪いので早退させてくださいとか言って、そして”スミマセン”の一言でも付け加えておけば、それで担任は喜んどるんや。それぐらいの要領もわからんリョージというやつは、要するに馬鹿やということや」。

 そう言って、君たちはリョージのことを笑うかもしれない。しかし、リョージのことを愚直だと言って笑うなら、そういう愚直さを持ち合わせぬ自分の賢しらをこそ振り返って見よ。そこに一体何があるというのか? 相手が「力のある者」「権力を持った者」と見るや、ただ媚びへつらい、その場その場をただ言い訳ばかりでやり過ごし、そして心の中でペロリと赤い舌を出して、自分は要領のいい人間だと得意げになっているだけのことではないのか。その思い上がりをこそ「奴隷根性」とぼくなら呼びたい。リョージの愚直さは、自己をも他者をも欺かないという、彼の誠実さだとぼくは思う。

☆ところで、ぼくならどう応えるか?
 人間が何かをする場合、そこには必ず価値判断が働いている。例えば、君たちが学校をサボルという場合、君たちはそうする方が自分にとってより善い――より価値がある――と思うから、そうするのである。あるいは、しんどいから早退しようと思ったが、やっぱり我慢して授業を受けるというのは、早退をするよりも我慢して授業を受ける方が自分にとってより価値があると思うから、そうするのである。もちろん、早退してしまう者は、そうする方がより善いと思って、そうするのである。このように、価値とは常に何者かにとっての価値である。その「何者か」が、個人の場合もあれば、社会という大きな単位の場合もある。

 しかし、いずれにしろ、こういった価値は個々ばらばらにあるのではなく、必ず首尾一貫した体系を形づくっている。例えば、学校という集団社会には、授業というものを頂点にした価値の体系が厳然として存在している。だから授業を拒否することは、学校という集団社会そのものを否定することになってしまう。”授業(勉強)がむなしいから帰る”というリョージの早退理由が、学校という場では認められないのは、それは学校そのものを否定することになるからである。だから、「むなしいなら、もう学校には来るな!」と怒鳴られることになる。

 それなら、”規則に抵触さえしなければ、何も文句はあるまい”と言いたいかもしれないが、そうは問屋がおろさない。集団社会というものは、単に規則を遵守していれば満足するものではない。構成員に対して、その規則を内面化し主体化することを要求するのだ。したがって、例えば、暴力はいけないと自分でも思っている者が、止むに止まれずふるった暴力や、思わず知らずふるった暴力は情状酌量の余地があるが、暴力がいけないとは思わないと公言している奥崎謙三のような男は、”確信犯”として、暴力をふるったことに加えて、それを悪いとも思っていないことに対する罰までも加算されることになるのだ。

☆さて、ここまでわかった男がとるであろう行動とは、どんなものであろうか? それはぼくが君たちに教えることではない。自分で考えよ。(反抗の仕方を教える権力者なんて、おらんでョ!)。ただ言えることは、それは卑怯・未練なふるまいでも、めめしいふるまいでもない。熾烈なまでに自己を厳しく律した態度であろう、ということだ。
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