戦争に反対する戦争
Who Stop The Rain? 先日、4月27日(水)のことだったか、石本君から二つの歌詞を紹介された。作詞はベトナムの天才的作詞家チン・コン・スン、歌うはカン・リーという。 美しかったあの頃(ジェム・スァ) 引き裂かれた大地に 燃えたぎる森や林に 美しかった村や畑に 地に倒れたあなたに 冷たい雨が降り注ぐ 雨よ、私が愛した人を そのまま静かに眠らせておくれ 優しく、あの人を雨の涙で包んでおくれ ひとりで行くには、あまりに淋しすぎるから…… 花は揺れていた。 咲いた花が雨に打たれる。 身を曲げ、顔を伏せ、耐えようとするが、ますます激しい雨粒に打たれ、なすすべもなくぬかるみに散っていく。 昔、空はあんなに、青く、美しく晴れていたのに。 雨よ、いつまで降り続くのか。 いったい、誰が、この雨を降らせるのか。 気がふれた人間の恋歌 私の恋人はプレイメの戦場で死んだ 私の恋人はドンソアイの戦場で死んだ ハノイで死んだ。国境であわてて死んだ 私の恋人はチュープロンの戦場で死んだ 私の恋人は死体になって河に棄てられた 河を流れて田んぼの上で死んだ 林の中で死んだ 凍えて死んだ 炭のように焼けただれて死んだ 私の恋人はアサオの戦場で死んだ 山の谷間で躰を曲げて死んだ 橋げたにひっかかって死んだ。素裸で死んだ 私の恋人はバジャの戦場で死んだ わたしの恋人はゆうべ死んだばかり。何も約束せずに死んだ 怨みもなしに死んだ 地べたの上で夢見るように死んだ 私はあなたを愛します ベトナムを愛します 大風の日、わたしはあなたの名前を呼んだ ベトナムの名を呼んだ その名は黄色い皮膚という言葉 私はあなたを愛します ベトナムを愛します。私が大きくなった時 私の耳は、銃や地雷の音を聞き慣れました わたしの両手も口も余分なもの いま限り、私は人間の言葉をすっかり忘れました (森詠『雨はいつまで降り続くか』講談社文庫、上下各380円に出てくる) ☆”ベトナム”はぼくらの同世代。 黄色い衣をまとったベトナムの僧侶が、ガソリンを我が身にかけ、戦争反対を唱えて焼身自殺を遂げた。それをぼくたちは茶の間のテレビで見ていた。燃えさかる炎の中から、僧の読経の声が聞こえていた。後ろ手に縛られたベトナムの青年が、アメリカの将校の前に引き出される。将校は腰のピストルを抜き、何のためらいもなく青年の頭を射抜く。頭から噴水のように血だか脳漿だかをほとばしらせながら、まるでスローモーションのように青年は倒れた。それをぼくたちはブラウン管を通して観ていた。 最近、「プラトーン」だとか「フルメタル・ジャケット」だとかで騒いでいるが、侵略した側ではなく、侵略されたベトナム民衆の側から、あの戦争に君たちの関心が向いていることは、心強い。 |