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銀蝿




◇5月の課題作文の中に、S君の次のような文章に行き当たった。皆にも考えてもらいたい問題を含んでいるので、ここに掲載しておく。



銀蝿

 先日、三条に行ったとき、ブカブカのズボンをはき、頭をそめ、パーマをあてた、いかにも不良というのを見かけた。三人でたばこを吸いながら、バイクの周りでバイク談義をしていたようだ。それがまた学生のようだったので、むしょうにいらついた。僕の学校にもそういうたぐいの奴らがいるようだ。
 僕が思うには、何で学校に来ているんだろうということだ。何の目的もなしに学校へ来、授業の妨害をしているだけである。勉強が嫌いと本人たちは言っているくせに学校へ来る。もう義務教育じゃないのだから、来たくなければ来なくてもよいのに。高い金を払って、私立のアホ学校を出たからといって、将来別に役に立たないだろう。それなら専門学校へでも行っている方がいいと思うのだが。
 そんな銀蝿たちを見るとむしょうにはらがたつ。こんなに銀蝿がわくのは、学校や家(とくに家)が甘いからではないだろうか。



◇「銀蝿」とはうまい題を思いついたものだと思う。「横浜銀蝿」とかいうグループが存在するらしいが、そこからの思いつきであろうか。そのグループの歌を聴いたことがないので、ぼくは「横浜銀蝿」について何も発言する気はない。テープを聴かせてくれるような殊勝な心がけの者がいればありがたいが。
 もちろんぼくはS君の文章に登場するような青少年の肩を持つ気などまったくない。彼らの内面がどうであれ、彼らの恰好を見ているだけで、おつきあいは御免こうむりたいと思う。恰好にばかり気をとられている人間で、語るに足るほどの人物に、残念ながら今まで出会ったことがない。サイクルが合わないのだ。しかしながら、S君のような発想の仕方に対しては、これはもうサイクルが合わないどころか、憤りさえ感じる。いったい自分をナニサマだと思っているのか。

 現代の学歴社会の中にあっては、学校というところは「来たくなければ来なくてもよい」ような所では決してない。
 京都の高校進学率は93.9%(昭和54年度)である。この数字を心して見よ。例えば君たちは、93.9%の仲間になることを拒否し、予想されるあらゆる不利益・あらゆる困難・93.9%の蔑みの眼を覚悟した上で、なおかつ敢えて6.1%の仲間になるだけの決断ができるか? それと同等の決断をして高校に進学してきた者が、君たちの中にはたして何人いるか?
 そういう決断の実行者のみが、初めて、学校なんて「*行*きたくなければ*行*かなくてもよい」と言い得るのだ。それを、「*来*たくなければ……」と言うのは、現に学校に来ている者・93.9%の者の世界にどっぷりと浸りきっている者・安全地帯の中でもより安全な場所に身を置いている者の高慢な思い上がりの発言でしかない。

 君たちが位置しているような安全地帯にも乗り切れず、さりとて6.1%の仲間になることを自ら選択するだけの勇気も決断もない者が、S君の言う「私立のアホ学校へ」、いやいやながら来るのだ。彼らに必要なのは学校の勉強ではなく、学歴にすぎない。そしてそれは、彼らが要求しているのではなく、学歴社会が要求しているにすぎない。その要求に応えられなければ、93.9%の者のようには生きられないのだ。
 (「専門学校」へは高校を卒業しなければ進めない。S君の認識不足である)。

 そういう彼らをいったい誰が非難できるのか? 彼らを学校という餌にたかる銀蝿と言うなら、点数や単位や学歴といったものを大して疑うことも知らずにそれにたかっている君たちを何と呼べばよいのか? せいぜい金蝿とでもいうところか。いずれにしろ「たかるもの」には違いない。

 S君に問う。君には6.1%の者たちの姿が見えていないのではないか? また、日本の義務教育の普及率は99%である。しかし、君には、義務教育さえ受けたくても受けられない1%の者の姿がまったく見えていない。彼らの怨念を想うとき、安全地帯で騒ぎまわる銀蝿や金蝿のうなり声の何とあさましいことか!

 蝿がわくのは、そこに蝿の好むような餌が、腐敗した汚物があるからである。
 しかし、蝿がついに蝿のままで終わるのかどうかは、君たち自身の課題であろう。君たちが蝿以上の存在に脱皮するには、闇にうずくまる者たちの存在を見抜く眼を持たねばならないことを予言しておこう。
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