イタリアの場合は |
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第1期にはヴァルカモニカ岩石線画(ラスコーの壁画のようなもの)を皮切りに、「最後の晩餐とサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会・修道院」「ローマ歴史地区、教皇庁」「フィレンツェ歴史地区」「ピサ奇跡の広場」「ヴェネチアとその潟」など、誰もが知っている有名な遺産を次々と登録しました。 第2期にはさらに数を稼ぎ、1997年には、「カセルタの王宮、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョ建造物群」「サヴォイ王家の住居群」「パドヴァ植物園」「ポルトヴェーネレとチンクエ・テッレ」など、一挙に10箇所も登録しました。このあたりになると日本人は聞いたこともないものも多くなります。 第三期にもほぼ毎年一つずつ、2004年には2つ登録しています。
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イタリアの世界遺産の種別 |
とりわけ歴史都市は18箇所もあり、加えて暫定リストに9都市が記載されています。
世界遺産は同じものは登録しないという約束があります。だから姫路城を登録したなら、彦根城は勘弁して欲しいと言われます。平泉が苦戦しているのも、お寺はもういっぱい登録しているじゃないか、と言われてしまうからです。
だから、イタリア政府はよくもまあ、これだけの都市を登録する理屈を書いたものだ、文化的な多様性をこれだけ語り得たな、と感心してしまいます。
それでも、さすがイタリアでもここまでくると苦しい。
そんななかで比較的成績が良いのが文化的景観です。文化的景観を熱心に探しているように思います。
そして、さきほどのグローバル・ストラテジーには文化的景観で応えたのみで、産業遺産には熱心ではありません。だいたいイタリアに産業があったのか、なんていう人もいます。もちろんアルファロメオなどもあり、イタリアは世界第七位の工業国なのですが、【産業革命が国民の文化を決定づけたとは思っていません。】
暫定リストの活用にも熱心ではなく、自然遺産にもあまり関心がありません。
シーリング問題は当然気にしていますが、今後も予算が付く限り、孤高に、黙々と進めようとしています。なんとか乗り切れるだろう。日本人なら「やめろ」と言われていると思うと諦めるのですが、まったく気にしません。
しかし、遺産管理計画では、ベストを尽くすことに誇りを持っています。
無形文化遺産には、今も関心がありません。ピッツァはどうか、と言っていたのですが、それはなんぼなんでもという話になると、ピッツァを認めてくれないなら関心がないよ、という感じです。
1970年代に発展した歴史都心部の保存手法が、今では地方小都市でより成功しています。
都心部の老朽化した町家のような長屋のような住宅にお金を投入して、市営住宅に変えています。奈良の今井町にも橿原市営住宅がありますが、ああいうのを今やそこらじゅうでやっています。また歴史的な建造物を利用した店舗、飲食店は凄い数です。
大阪や東京だったら都心回帰といえばタワーマンションですが、そんな無粋なことはしません。上手に再生された町家に住むことがイタリアでは当たりまえになっています。
だから90年代以降、地域の小さな町が底力を発揮する時代に入っています。そして、現在では農村にまでこの動きが広がってきました。
【追加】
日本でも京都やいくつかの街でこのような動きが胎動し始めているところです。それを書かせて頂いたのが『中心市街地の創造力』であり、『町家再生の論理』であり、『創造都市のための観光振興』です。
その一方で、イタリアでは農村を景観・観光・農業で再生する動きが本格化し、スローフード、アグリツーリズム、文化的景観の3つの側面から一つの大きな流れがまとまってきました。歴史都市の保存手法の話とは異なる広がりを持っているのです。
そして、考古学、美術・建築中心だった文化遺産が、市民(地域)社会・経済とより密接な関わりを持った都市や農村の課題に展開してきています。それがいまやソフトでスローな流れ、ライフスタイルを変える流れに繋がっています。