イタリア世界遺産物語〜人々が愛したスローなまちづくり
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スローフード

 

■スローフードの生まれた背景

 スローフードは1986年、ローマ・スペイン広場の中心にマクドナルドが出店したことがきっかけでした。マクドナルドは強い景観規制を受け入れて、外から見たのではマクドナルドがあるとは分からないようにしました。

 しかし大反対運動が起こりました。日本では昔、大きなしゃもじに「米よこせ」なんて字を書いて運動したことがありますが、イタリアではスパゲッティをかき混ぜるフォークに「イタリアの子どもたちからママのパスタを取り上げるな」といったスローガンを書いて、すごいデモをしました。

 そのときに、ARCIという左翼系の連中が、ファストフードに対し「スローフード」を提唱したのです。

 同じ年にブラで「ARCIGORA(無愛想)」が、ガストロノミー(美食)を提唱しました。これが今のスローフード協会です。

 1989年にスローフード協会が発足し、90年に法人化し、1990年代に全国、世界に広がっていきました。

 そして2004年に、ブラ(ポッレンツォ)に美食科学大学(Universita' di Scienze Gastronomiche)を設立し、世界から関心のある人々を集めています。

 実は同志社大学の新川先生が美食科学大学に1年間いっておられました。同志社大学とスローシティ、スローフードの運動と、日本の地域振興を繋げたいという思いがあるそうです。

 スローフードの背景には、景観やアグリツーリズムがあり、幅広い観点から農村の振興を考えたいと、私も思っています。。


■スローフード協会が目ざすこと

 スローフード協会が目ざすことは、次の三つです。

     
  • 質の良い食物を作ってくれる小さな生産者を守る。
  • 子供を含めた消費者への味の教育。
  • このままでは消滅の怖れのある味、その食材・調理方法を守ること。
 
 彼等は結構先鋭的でこの三つしかないのです。

 一方、アグリツーリズムに代表されるような一般の農業団体がやっていることは、もっと一般的、普通の農家でもツーリズムに関心があれば、この美食を上手に利用することが出来ます。

 さらにそれを地域計画として、景観政策として文化遺産のレベルにあげていこうとすると、もっともっと広がって、農家以外の人たちも加わります。

 スローフードは先鋭的な集団であり、根底から市民の意識を変えようとしています。

 彼等はアルカ(味の方舟)プロジェクトを推進し、プレシーデイォ(食の要塞)を設け、世界各地で希少な食材を守っています。革新的な中核派なのです。


■スローフードと地産地消、オーガニック

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地産地消
 
 左の図の下図はヨーロッパです。そのサイズは1000キロです。それに対して、スローフードは、5〜10キロの範囲で食べ物を調達します。

 だからファストフードがグローバルな食品産業であれば、スローはローカル、地産地消です。

 その産地と産品を守る取組みが、スローフードとアグリツーリズム双方から取組まれ、国民的運動になっています。

 またハッピー・カウという運動もあります。放し飼いになっている牛から取ったミルクを飲みましょうね、という運動です。

 今、オーガニックであるか、農薬や化学肥料をいっぱい使ったインテンティブ(集約的)な食べ物であるかを、凄く気にする時代になっています。

 都心部で今も生き残っている小規模な生鮮食料品店は、絶対にこれです。食材の個店は、オーガニックを売り物にしています。

 こんなのふざけているよね、ハッピー・カウなんてほんとにいるの?と3年前にローマで言ったら、「お前、知らないのか。日本はまだ普及していないんだな。お前が今、我が家で食べた肉は、ちゃんとお前のために有名なオーガニックの店に行って買ってきた肉だ。美味しい、美味しいと食べていたじゃないか。この肉はスーパーの肉とは全然違う。値段も三倍も違う。美味しいステーキだろ」と言われました。

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