今日スライドで見ていただこうと思っているのは郊外の分譲住宅地の風景です。
20世紀という時代は大規模集合住宅、 大規模工場、 大規模オフィスといった都市のプログラムをつくりあげましたが、 日本ではその中でも特に大規模集合住宅ならぬ大規模分譲地、 つまり比較的小さい規模の「庭付き一戸建て」が延々と広がるような風景をつくりあげてしまいました。
そのような風景を「関係を埋め込んだかたち」によって構成することは果たして出来るでしょうか。
元々ひな壇造成の宅地風景というのは、 なかなかうまく行かないものですし、 特に震災以来、 関西の新しい住宅地はほとんどプレハブ住宅で埋められて行っています。 当然これらのプレハブ住宅は「かたちの中に関係を埋蔵する」というような思想でつくられたものではありません。
このように生命的なデザインでつくられたのではないものが並んでいく現状では、 たとえ屋根の形や色などに制限を加えても、 ヨーロッパや日本を含む世界中の集落に見られるような永い年月をかけて磨き上げられてきた風景のようには、 なかなかならないでしょう。
そこでちょっと面白い事例をここでケーススタディとして取り上げたいと思います。 決してこの事例が完璧だとは思っていませんが、 あまり例がない試みです。
その事例が苦楽園五番町の開発です。 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、 遠藤剛生さんのイニシアティブで幾人かの建築家が招集され、 62区画の分譲地に建て売り住宅をつくっていく計画でした。 実際にはその方法は破綻、 頓挫してしまいましたが、 ここでそのプロセスを振り返りたいと思います。
この話が遠藤さんから我々に持ち込まれましたのは1995年の震災後の事です。 そこに至るまでに長い経緯があったようですが、 とにかくバブル期にイトマンが造成し、 住友銀行が引き受けた土地でした。
全体の風景としては緑に囲まれた大変良い所ですが、 既にピンクの御影石で擁壁をつくった造成地が出来ており、 ひな壇造成や擁壁、 道路のデザイン、 そして何より電信柱など、 決して理想的な状況ではありませんでした。 しかし、 我々に与えられたこの土俵で最大限の工夫をほどこし、 これを新しいタイプの郊外分譲住宅地にしようというのが遠藤剛生さんとディベロッパーの意図でした。
そこで元倉眞琴さん、 岸和郎さん、 木村博昭さん、 私の4人の建築家と、 ランドスケープの三宅祥介さんが呼ばれ、 全62区画のうち川に面した4区画をまず造ることになりました。
1996年に設計に入りましたが、 遠藤さんから各々自由に条件を設定して設計して良いという指示が出されました。 ただし2〜3ヶ月に一度模型を持ち寄り、 実際に合わせてみてお互い調整しようということになりました。
この当初計画の4軒は実際模型で合わせてみたところ、 大変うまく流れが出来ていまして、 ほぼ当初の設計どおりに最終までいきました。