そして現在でもそういった人達が一部に見られますが、 当初においては場所に対しての感覚を蘇らせようという大変正直で、 また忠実な動きであったわけです。
しかし、 それはすぐに実業界に取り込まれてしまったのです。
すなわち、 場所のアイデンティティというものを利益を生みだすために活用することができるということが分かってしまったということです。
ポストモダンの世界においては、 場所というのは操ることができる、 捏造することができる、 そしてそれを市場に売り出すことができる。
すなわち観光客を呼び込んだり、 物を売りつけるための一つの手段となってしまったわけです。
こういったものはすごく楽しいし、 また面白いのですが、 要するにただの殻のようなもの(ファサード)でしかありません。
テーマパークであればこういった形で表面的にやってしまってもほとんど問題がないのですが、 こういったやり方が現実の都市にも忍び寄ってきています。
ファサードの部分だけを維持して後ろの部分に高層ビルを建てるといったことが例として挙げられるでしょう(写真25)。
ポストモダンのデザインにおいては場所を表面的に取り扱っていますから、 いろいろなヴァリエーションが出てきます。
写真26はトロントの例ですが、 昔からある建物を根こそぎ取り払って移転させています。
こうなるとアイデンティティとは何であるかということが問題になってきます。
写真27はケベックにできた新しい建物ですが、 ここではフランス式の様式を取り入れています。
これはイデオロギーの為にしているのかもしれませんが、 そもそもこういったものが過去にケベックに存在していたという例はありません。
しかし、 アイデンティティを生み出すためにこういったものが作られたわけです。
写真28は14世紀のイタリアの街の感じを出すために作られたアメリカのアリゾナ州にあるショッピングモールです。
写真29のようにカナダのロッキー山脈にはドイツ風の街が生まれました。
人類学者のクリフォード・ゲルツ〈Clifford Geertz〉という人はポストモダニズムについて現実というものが外国に輸出された場合どのようになるかという疑問を抱いております。
これは、 都市自体がテーマパークという形態をとりつつあり、 表面的なアトラクションで一杯になっていて、 そして他の場所のシュミレーションになっていっているということを言っているのです。
こういった偽物の環境に対して私は“アンプレイス(unplace)”という名前を付けたいと思います。
ポストモダンな世界においてのアンプレイスな場所は大半が国際的企業によって作られていますが、 内に向けての都市のアイデンティティというものが大変軽視されており、 外向けの都市のアイデンティティというものが国際的企業が作ったそれと全く同じものとなってしまっています(写真33、34)。