岡本に住んでいて岡本らしさは意識しにくい。
〈“岡本らしさ”の構成要素は六甲山、 ヘボソ塚等〉
私の分析する“岡本らしさ”は、 (1)地勢(六甲山、 河川)、 (2)歴史的背景(ヘボソ塚、 水道みち)、 (3)住民の構成と意識(新住民と旧住民)、 (4)社会的背景(阪神間の山の手、 文教住宅地)、 (5)交通機関(JR摂津本山駅と阪急岡本駅の近接)、 (6)その他(女子大生、 まちづくり協議会、 まちづくりルール)等である。
〈住民が求めているものは多様〉
住民が求めているものは、 「住商協調のまち、 美しいまち、 安全なまち、 文教のまち、 活力のあるまち、 都市基盤の整ったまち」等多様である。
〈「らしさ」の3軸と震災後の「芦屋らしさ」〉
まちは自然と人間と時間の相互作用で作られるものと思うので、 震災後の芦屋は前のままの芦屋らしさに復興するのでなく、 新しい次の芦屋になっていくと思う。
しかし、 前のお屋敷まちとしての芦屋らしさも残っていく部分もあることを期待している。
私は昭和23年生まれで、 少年の頃は家の前の川にはホタルが飛び、 四季の昆虫やカエルも多くいた。
数ヶ所に神社もお寺も残っている我まち西宮北口・高木地区は、 梅田・三宮から15分の便利なところだが、 生産緑地もあり、 まだ水と緑と自然が残っている。
〈震災後の区画整理事業に注文〉
そこに、 今回の震災により市当局からの一方的な区画整理事業が計画決定された。
しかし、 この区画整理事業によるまちづくりにあたっては、 出来るだけ地区の歴史や自然が残り生かされるよう注文したい。
このまちは私の故郷、 ふる里であり、 合理性だけの開発は止めてほしい。
園田や武庫之荘の住人は「尼崎に住んでいる」といわない。
特に、 若いOLには好かれない。
中央・三和商店街の店主・従業員も尼崎に住んでいないので、 (西宮や他都市で被災し)震災後の開店が遅れた。
「尼」は阪神間地域に含まるのか? 同化し難い面がある。
大阪との親近感の方が強い。
〈「尼崎」のまちづくり課題〉
まず、 商店主が我まち「尼崎」に住む必要がある。
震災後の各種ボランティア活動で「尼」の親切さ、 庶民性等の良さを知ってくれた他都市の人が、 その後また、 尼に来なくなっている。
尼崎のイメージアップを図りたい。
自然については岡本・芦屋の緑環境、 北口・高木の田園環境、 そして尼崎の自然とは商店街、 工場街とでもいえる。
そして人間については、 岡本の老(旧住民)、 若(学生)、 芦屋の新(マンション居住者)、 旧(お屋敷居住者)、 高木の頑固者の農業者、 そして「あま」の商店主。
時間については、 岡本の古墳時代から尼崎の公害時代まで様々な時間もまたアイデンティティとなっている。
私自身も阪神間に生まれ育ったが、 阪神間とは自然・人間・時間など様々な個性をもったまちが集まっていることが魅力であり、 それが阪神間全体のアイデンティティでもあると感じている。
今回、 多く出されたそれぞれのアイデンティティが今後まちづくりに生かされることによって、 より一層、 阪神間が多様なまちの集合として復興していくことにつながることと思う。