JUDI関西 「京都らしさを考える」 西斗志夫
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2 問題提起

住宅・都市整備公団 西斗志夫

アイデンティティの設定地域

 今回のワークショップ及びフォーラムにあたり、 まず問題となったのが、 「らしさ」「アイデンティティ」を考える地域の単位をどのレベルに設定するかということであった。

たとえば、 京阪神全体でひとつのアイデンテティを語るべきではないか、 あるいは、 日本対アジア・日本対世界というレベルで語るべきではないかとの指摘もあった。

「アイデンティティ」のレベルは、 小さくは一個人から、 大きくは地球全部にまで設定できると考えられるが、 都市単位で「らしさ」が語られることが多いこと及び神戸・阪神地域との比較の上でも、 京都市レベルに設定することが適切と考えられたため、 「京都らしさ」というテーマ設定となった。

もちろん、 京都のまちが地域・町の集合体であるという特徴を持っていることから、 グループ討論において地域単位の議論を設定することとした。

   

京都のアイデンティティを考える意義

 ところで、 次に京都のアイデンティティを考える意義はどこにあるのかということがある。

その意義の第一は、 これからの京都のまちをどう残すかということだけでなく、 これからつくる京都らしさ、 つくりなおす京都らしさとは何なのか、 どうあるべきなのかということを考える際に必ず直面する課題であるということである。

   

 第二は、 特にアイデンティティが強いと言われる京都をテーマにすることにより、 他の地域、 今回は特に、 神戸地域・阪神間地域のアイデンティティを探る際のヒントになるであろうということである。

   

 以下において「京都らしさ」に関するわたしなりの問題提起を行うが、 仕事柄、 新しい都市開発から見た「京都らしさ」とは何かという視点と、 一京都市民からの視点の両方からの問題意識である事をお断りしておきたい。

   

京都らしさの要素

 京都らしさの大きな要素のひとつは、 その豊かな自然環境にあると考えられる。

   

 三山と賀茂川・桂川を初めとする多くの河川・水路が都心近くに迫っている状況は、 大都市のなかではかなり例外的である。

また、 生態学的にいっても例えば鞍馬・貴船地域には日本における大型哺乳類の代表のひとつでもある熊が今でも出没するという、 極めて豊かな状況にある。

日本の政令都市の行政区域の中で熊が出るのは、 おそらく京都と札幌くらいでしか考えられないことだろう。

また、 河川が源流部まで含めて市域に入っているということも、 特徴的なことのひとつである。

その結果、 今でも豊かな地下水に恵まれており、 都心部の四条先斗町の飲食店でさえ、 保健所の検査にも合格する良質の井戸水を使用することができる

   

 「京に田舎あり」という言い方があるが、 その場合の田舎とは、 山・川・田園のうち、 山の要素が最も強いように思われる。

というのは、 河川と郊外の田園地帯は、 江戸や大坂にもあったからである。

   

 山と森林、 河川と水、 そして田園地帯。

これらの要素が生活の中に浸透しきっていることも、 京都におけるライフスタイルの特徴のひとつでもある。写真1

   

 第二の要素として、 いうまでもなく悠久の歴史・時間を積み重ねた都であるということである。

そして、 その永い時間の積み重ねの結果、 永い時間の流れまで日常化してしまうという独特の時間感覚・感性が育まれ、 現代の京都人にもそれが引き継がれている。

   

 第三に、 人の生業(なりわい)を指摘しておきたい。

このまちでは、 当然のことながら、 伝統的産業・芸能の関係者が極めて多い。

また、 一方で社寺関係者、 観光業者が多いこと、 大学の関係者が多いことも特徴的なことである。

   

 総じて言えば、 管理社会におおいつくされている感のある現代日本において、 管理社会から、 やや離れた立場の人々が多いことが、 実はこのまちの「らしさ」を支えている大きな要因のひとつであることは、 まちがいないだろう。

   

 また、 このまちにおいて特徴的なことは、 人のつながりによって何事も進められるということがある。

   

 わかりやすくいうと、 人によって対応が変わるということがある。

いわゆる一見さんお断りの世界である。

   

 この相手によって対応が変わるという態度は、 ちょうどマクドナルドやディズニーランドに代表されるマニュアルによる対応の対極にあるものだと考えられる。

   

 馴染みになるとスノッブな世界を楽しめる一方、 つてがないと面白くないまちともいえる。

一見さんOKの店が増えてきて、 外来の観光客には親切なまちになりつつあるとも言える一方、 FACE TO FACEの関係を重視することにより育まれてきた、 独特の奥ゆかしさの喪失につながる危険性をはらんでいるようにも思える。

   

 第四に、 都市構造上の京都らしさについて述べたい。

   

 大構造の中で、 まず、 山について考えてみよう。

   

 京都のまちは、 三方を山に遮られているため、 日本の他の大都市とは違い、 明確な領域性を持っている。

   

 そして本来まちはずれであるはずの、 山麓部の社寺が背景の三山とともに、 このまちの最も印象的な風景のひとつとなっている。

   

 次に、 河川であるが、 都心部をさほど大きくない規模で、 かつ水質も比較的良好な川が流れているという特徴がある。

そしてこの河川は、 日本型ウォーターフロント利用の名残のひとつと考えられる、 鴨川の川床にも使われる。写真2

   

 さらに、 街路網についていうと、 元々の上京・下京の格子状の町割りの外側に、 おもに大正時代・昭和戦前に市電ルート整備とともに格子状のまちが区画整理により連続的なまちとして整備されたことである。

   

 区画整理による幹線道路及び市街地整備の手法は、 京都に限らず、 ほとんどすべての政令都市・中核都市が行った方法であったが、 格子状の町割りを拡大したことは、 俗に「上がる、 下がるの京のまち」といわれる都市構造状のアイデンティを、 引き継ぎ拡大した行為であったといえる。

   

 以上、 都市スケール=大構造の特徴を述べたが、 次に部分構造の関係性について述べてみたい。

   

 私が、 京都らしさを最も感じる部分のひとつが、 公的空間と私的空間の中間領域的部分である。

   

 例えば、 川床は公的空間の上に張り出した私的空間であるし、 円山公園の料亭は、 公的空間の中に入り込んだ私的空間である。

しかも、 それらが公的空間の良さを消してしまうのではなく、 むしろ公的部分の良さを強めていることが重要である。

   

 また、 別の中間領域的空間として路地がある。

   

 ここでは、 特に建物が覆いかぶさっているタイプの路地に注目してみたい。

   

 現代人の感覚からすると、 道路のように見える公的空間の路地の上に、 建物が載っていることには、 奇異な感じも受ける。

しかし、 この空間の形態が、 実は道路の成立過程のひとつを物語っているように思われる。

   

 例えば、 日本の田園地帯では、 昔から出し合い道と呼ばれる空間があった。

それは、 道の必要性を感じた者同士が土地を半分ずつ出し合ってつくった道であった。

それは元々私有地である。

路地の場合も恐らく同様で、 個人あるいは複数の者の私有地がそのルーツと考えて間違いないであろう。

従って、 私有地=宅地であるから、 その上に建物が載っているのは当然のことであっただろう。

   

 しかし、 コミニュティ関係が崩壊している現代では、 私的空間を公的に供与すれば、 逆に管理責任を問われるだけで、 デメリットこそあれメリットは少ないと言わざるを得ない。

おそらく良好なコミニュティ関係の存在があって初めて路地は存在できたものと思われる。

   

 また、 先斗町に代表される幅員2メートル内外の通りも注目してみたい。写真3写真4

   

 先斗町の通りは両手を広げれば、 両側の店舗に手が届きそうなくらい狭い通りであり、 その狭さ故に店構えの工芸的スケール感を実感できる通りでもある。

また、 事実上の歩行者専用道路であるため、 氷も宅急便も独特の台車で運搬されている。

建築基準法上の取扱いがどうなっているのか、 よく判らない部分もあるが、 京都に狭い通りが異常に多いことも関係していそうである。

この通りをもし4メートルに拡幅したらもはやそれは先斗町とはいえないであろう。

   

 最後に、 きょうグループで議論して頂く地域は、 比較的「まもる」べき地域が多くなっているが、 決して伝統的地域だけの守りかたを議論するのが本日の趣旨ではなく、 「京都らしさ」を考える時の手掛かりの地域として考えて頂たい。

   

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