長谷川 弘直
オープンスペースから、 京都らしさを捉えると以下の3点について指摘できる。
(特に、 市街地内)
また、 かつての学生街が個性的だと感じられたのは、 煎じ詰めればそこに集まっていた人間が個性的であったということであろう。
強いて言えば新京極が修学旅行生のメッカということもありキッチュではあるが、 それなりに京都らしい。
また、 新京極で特徴的なたこととして、 40%の店舗が居住用にも使われており、 都心居住が京都のらしさの核心のひとつだとすると、 その意味で新京極は、 京都らしさの条件を持っている。
ただ、 一般的に商店街は時代に合わせていくという性格があるため、 京都らしさが経営に結びつくと考えられない限り、 京都らしさをは追求されないであろう。
仮に、 京都らしさを追求するとしても、 伝統工芸の引き写しではなく、 現代的読替え、 そのための技術的格闘が必要なことは、 いうまでもない。
今回対象としなかった、 三条通、 錦通、 寺町通あたりにその辺のヒントがありそうである。
たとえば小学校区単位。
空間的に見ると、 この地域は、 西から河原町・木屋町・先斗町とちょうど歴史を逆上るように並んでいて更に東には祇園が控えているという面白い地域構造を形成している。
川床については、 河川の専用・借用ということで、 相続税等の問題もなく、 また毎年手続きを行うことから、 それらが景観上の守りやすさにつながっているという地元の方の意見があった。
このことは、 祇園花見小路の借地方式とも共通する部分であり、 借りるという行為が、 京都における景観形成のひとつの力になっている可能性を示唆しているものと思われる。
また、 木屋町沿いの小学校が最近廃校になったが、 跡地を巡り、 京都のアーティストグループがアートセンター構想を打ち出しているが、 地元の飲食店関係者は、 木屋町・先斗町の良さをのこしながらの計画であれば良いという感じである。
町家のつくりとしては、 上京・下京と祇園との間で大きく違うところはないが、 むしろ普段着の舞妓さん芸妓さんが歩いていたり、 三味線の練習が聞こえたりするような、 人のいる風景の部分に祇園らしさを感じるとの声があった。
地域の状況としては、 お茶屋遊びそのものへの需要が減少し、 また関係者が高齢化する中で、 町家の保存も極めて厳しい状況になってきている。
ところで、 伝建地区は構造形式は問わず、 表のファサードだけまちなみとして揃えていこうという制度であるが、 ファサードだけ凍結的に保存することにどのような意味があるのかという疑問もある。
というのもかつての洛中洛外図屏風を見ると結構短期間に町家が建て変わっていった様子が窺えるからである。
変化することも、 町家の特徴であったはずである。
また、 空家が増えているが、 京都市に寄付したいと思っても、 行政側に受け入れる制度がない。
人助け公社のようなものができればという話もあった。
地元の人間にとっては、 陶器市のイメージと坂の向こうに見える東山・清水寺、 そして坂の途中で見え隠れする瓦屋根が最も印象的な風景のようだ。
ただ、 驚いたことは、 西陣のかたにひとりだけ入ってもらった中で、 南北方向に傾斜しているのが京都のイメージなので、 斜めに坂を上がって行く五条坂は京都らしくない、 しかし路地に入ると京都らしいという話しがあったことだ。
五条坂らしさを魅力に置き換えて、 住む人にも観光客にも魅力的な町にすることが大事ではないかとの指摘もあった。
この地域では出格子風の飾り窓に、 陶器の作品を置いたりするような「自己表現を抑えた表現形式」が京都らしいと言えば、 言えるような気がする。
また、 まちなみを考える際、 コミニュティの問題がやはりありそうだ。
かつては周りを気にしながら建物を建てていたが、 コミニュティの崩壊とともに周りを気にせず建物を建てる人が出始めている。
西陣の場合はもっと絶望的な状況のようであるが。
やはり、 周りを協調して建てるやり方をバックアップするような制度がないことには、 もはやどうしようもないのかもしれない。
たとえば、 伏見の酒蔵のスケール感などは、 京都の町家とはまた違った魅力もあり、 また京都にも鴨川・高瀬川などがあるものの伏見にはもっと豊かな水系があるものの、 これをもっとまちづくりに活かすべきではないか、 特にまちなかを流れる濠川はぜひ活用すべきではないかとの指摘もあった。
京都市は、 伏見南浜地区を歴史的界隈地区に指定する準備に入っていること、 界隈地区制度は、 歴史的建築物が一部残っているところを対象にしているとの話しがあった。
一部残っている重要建築に周りの建築物・構造物の意匠を合わせていくやり方だそうであるが、 やり方によっては、 創意的課題であり凍結保存の伝建地区よりも面白いテーマとなる可能性もありそうである。
また、 行政のかたもおられたので、 景観整備の目的の議論も行ったが、 京都市としては人口減少の続くインナーシナィ問題への対策のひとつとして、 取り組んでいるとのことであった。
また、 伏見においても、 祇園などと同じく、 住んでいる人の町家への愛着・心意気に支えられて、 歴史的建築物が支えられているという指摘があった。
伏見に限らず、 結局この住んでいる人の愛着・心意気が実は、 まちなみを考える時のキーワードのひとつであることは確かなようである。