いわば、 ふつうのまちである。
こうしたまちはわが国のいたるところにあるわけであるが、 あえてこうした場所で「らしさ」について議論をおこなったことによって、 わが国の空間整備が抱える普遍的な課題について語り合うことができたといっても過言ではない。
歴史的なまちなみは、 近代化の波に飲み込まれ変質を迫られた。
とくに、 高度経済成長期以降、 こうした傾向は顕著であった。
そして、 さまざまな理由で変質をのがれたまちなみが、 「伝統的建造物群保存地区」をはじめとして衆目を集めている。
しかしながら、 こうしたまちなみは昔は各地のいたるところにあったはずである。
戦災を免れたり、 近代化の波に乗り遅れたり、 あるいは、 保全活動に燃えた人々の意気によって、 残されたまちなみの価値が今認められるようになった。
そうした意味において、 現在のまちなみの価値は絶対的なものではなく、 希少性や保存状態のよさによって判断されているものだろう。
このような観点で捉える限り、 今回の能勢街道は継承保全の価値の低いものなのかもしれない。
しかし、 果たしてこうした判断が正しいのだろうか。
能勢街道の場合、 たまたま歴史的な要素が残ったのかもしれない。
それも、 残すには保存度が低く、 かといってすべてなくすには惜しい、 といった中途半端なかたちで残ったのである。
こうした葛藤は、 わが国の至るところで経験している。
答えを出すのは非常にむずかしい問題である。
このような問題に対して、 われわれはどのように対処すればいいのだろうか。
今回のワークショップで指摘された地区特性をみると、 「らしさ」をかもしだす要素にはいくつかのタイプが存在することがわかる。
まず、 ひとつは地形によってもたらされるものである。
具体的には道路の起伏などである。
つぎに緑があげられる。
そして、 建物や道路舗装など人工的な要素である。
これら3つの要素をそれらが形成・継承される時間間隔で考察すれば、 地形は数万年〜数十万年、 あるいは、 数百万年のオーダーで形成・継承されたものであり、 緑は数百年のオーダー、 一般の建物は数十年程度のオーダーということになる。
そうした時間の経過を考えるとき、 「らしさ」に与えるそれぞれの要素の重みがあきらかになろう。
建物をはじめとする人工的な要素が持つ時間の意味は相対的に軽い。
能勢街道の場合、 こうした人工物のデザインの問題が多く指摘されていたが、 これらを改善するのは地形などにくらべると比較的容易であるといえよう。
逆に考えれば、 地形や生態系などを人間の手によって改変することの重大さが指摘できる。