で、 まちづくりにタッチしているときに、 おこがましくも、 アイデンティティ、 アイデンティティと言いながらまちづくりを行うのがいいのかという問いかけがまたあるわけです。
私はこれに対して先ほどベルク氏が指摘してくださったハイデッガーのように、 「アイデンティティのない場所は場所ではない」「ただの空間の殻である」と言うような解釈を前提とすれば、 当然アイデンティティを作ることを、 アーバンデザイナーや都市環境デザイナーは、 根元的にそれを目指さなければならない。
しかしそれは偉大な哲学者の言葉の受け取り方にもよると言うことであって、 じゃあいったいどこで必要であるのかということは、 もう一度現実の都市環境に照らし合わせて考えなければいけないだろうという感じはします。
そういうときに考えられるのは、 一つは人間が移動の手がかりのときに、 その空間が区別されてないと非常に不安であることです。
それは例えば「ニュータウンで酔っぱらってかえってくると自分の家がどこであるかがわからない」と冗談半分によく例示されていることですが、 空間の区別は人間存在の一番根本的なところです。
自分が動くところに位置の違いがあっても、 その位置の違いが判別できないと、 人間は当然行動が出来ません。
それ故に、 行動の根元を作るという視点で、 まちづくりにおいて方向が判断できるアイデンティティを作ることを、 都市環境デザイナーは目指していただきたいというのが、 私の願いであるわけです。
これは、 ケヴィン・リンチ(K. Lynch)も「区別可能な領域として、 これを認識するための要素として、 アイデンティティは働いている」と述べています。
他のお話と一体とされながらも常に述べられてきているものが「アイデンティティ」「場所」というもので、 そういう部分は確かにあるだろうと思うのです。
次に、 先ほど申しました「唯一性・一回性」という文化とプライドに繋がり自信へと展開させる部分も、 人間存在にとってもこれは重要です。
この二点すなわち空間の判別性と空間の唯一性を確かなものにするためにも、 アイデンティティをわれわれのメンバーの方々が創っていく必要があるのだと思います。
わたくしは残念ながら、 創る人間というよりも研究する人間ではありますが、 その創る人間に非常に期待をしたいとおもいます。
そういう意味でアイデンティティをわれわれが日常において考え続けるということの必要性があるのではないでしょうか。