都市環境デザイン会議の本部の役員もさせていただいております。
私が話をさせて頂くに当たって多少前歴をお話しさせていただきますと、 私は住宅・都市整備公団に長くおりまして、 東京の多摩ニュータウンの開発は15年間にわたって担当していました。
しかも計画部門を担当していましたので、 着想したことが実現するのに早くて5年、 大体10年位はかかります。
今出来上がって反省しなくちゃいけないなというのはだいたい10年位前にやったことで、 中には15年位のもので、 反省するといっても時代が違ってしまって困ったなと思っているようなことが結構ある仕事です。
直接“物づくり”をするという位置にはおりません。
いろんな町づくりの仕事が分岐するあたりで仕事をしています。
そういう仕事を長くやりながら、 実はこの10年あるいは15年位の間に出てきた言葉の一つが「アイデンティティ」です。
我々のような仕事、 都市環境デザイン、 あるいはものづくりに関わる人たちには重要と思われるからです。
今日「アイデンティティ」とか「個性」とか言われているのですが、 これはファッションの世界ではずっと前から言われていました。
商業では「差別化」というような言葉が使われていたのです。
そういう言葉が町づくり、 村づくりにもどんどん入ってきています。
しかし、 この言葉を理解できない人もいるし、 人に説明するのは苦しいので別の言葉を編み出したりしながら、 なにがしかの事を伝えようとしてるのですが、 非常に上手く伝わっている部分もある一方で、 歪んでしまって話が明後日の方向に行くというようなこともあるような気がしています。
私の経験では、 この辺の言葉が出てきたのはたぶん昭和50年代なんですが、 我が国がオイルショックを経たのちに量から質の時代に移行し日本が高度成長を経て余裕があったこと、 そうしたことから商品でも「アイデンティティ」をつけると物が売れるというようなことから、 商業の「差別化戦略」と非常に近いかたちで出て来たと思っています。
もっとも、 それとは別にあまりにも味気ない無個性な物づくりを長い間続けてきたということから、 神奈川県が文化のために1パーセント位のお金を使いましょうということをやったり、 ふるさと創成事業も、 「内容を問いませんから考えて下さい」と言ってるようなものなんです。
それで、 みんなが「これは、 なにかアイデンティティを出さなくちゃいけない」と考えはじめて、 その結果、 どこも温泉だったりしたりするのですが、 どうもみんなが「アイデンティティ」という言葉に振り回されているという感じもしています。
これが既存のものに対してどの程度配慮しているかはともかく、 熊本の地にひと味違うものを生み出そうと言うものです。
これは「ファッションタウン」と言って、 意気込んでいる町も非常に似ているところがあるのですが、 とにかく自分たちの町の中に何か新しい要素を持ち込むというたぐいのスタンスで取り組むやり方です。
自分たちが現に持っているものだけでは、 外部に何かを訴えても効果がないという時に出てきます。
そこから発展させてもたいした部分ではないものを非常に拡大発展させてしまう心配があります。
その結果、 どういうものができているかというと、 私が見た感じだとファミリーレストランやコンビニの看板の違いくらいにしか感じないアイデンティティだったりします。
地域要素に無理矢理こじつけている結果、 大したことはないものが結構あると思います。
もっとしっかり考えるべきだと思っています。
考えたことを実行する場面では、 相当慎重に判断しないといけないと思っています。
そういう意味で、 特に地域要素を取り出して、 いろんな所を、 橋の欄干や、 下水の蓋をデザインしているのですが、 何かおかしいなというようなものと出くわすことがあります。
この会におられる皆さん達もよく見たりすることがあるのではないかと思います。
そういう意味では、 デザインモチーフとして地域要素を持ってくるということは、 その地域、 今日の話でいうと場が持っている要素は非常に意味があるのですが、 そこに何にでも醤油をかけてしまうというようなたぐいのやり方になってないだろうかということを少し気にしていただきたいと思います。
一人のデザイナーがやっている時はともかく、 みんな自分が「図」になってしまうという感じのものがあちこちにはびこってしまう可能性があります。
我々の仕事は、 たくさんのデザイナーの中の一人としてやらなくてはいけないわけですが、 それをどういうふうにしていくかということがあります。
町のアイデンティティがなくなっている一つの理由に、 てんでばらばらないろんなものが建つということがあります。
てんでばらばらな建築物が建っているのが非常にアジア的であるという言い方もありますが、 そういう中で日本古来の田舎の風景みたいなものが全部壊れてくるということが起きているわけです。
個々のアイデンティティを追求した結果、 ファッションと同じで、 東京に行っても大阪に行っても結局同じような洋服を着ている人たちしかいないというような感じで、 町もそんな事になってしまうという危険性があります。
その地域のベースをしっかり守っていかないと、 それを集めても個のアイデンティティが集団のアイデンティティにつながっていかないのではないかという感じがしています。
町はある種「集団のアイデンティティを追求する場」ではないかと思っておりまして、 そういうものを形成していくためには何がしかの手を打たなきゃいけないんじゃないか、 あるいはデザイナー自身も何がしかの覚悟をしなきゃいけないんじゃないかと考えております。
そのための手法にはいろいろな形があります。
大阪はどちらかと言えば、 好き勝手やってもそれが許されて、 全体でなにかアイデンティティが生まれているという感じがします。
どの都市も同じ手法でやれば良いというわけではないと思います。
京都は大阪とは同じ手法にはならないだろうという感じがしますし、 何かを守り続けていた結果として今日の神戸があったということでもなかっただろうと思うのです。
そういう意味では「集団のアイデンティティ」をどうやって作っていくかということについて、 ある種の“応答”といいますか、 交流みたいなものが場との間にあるということではないかと思います。
今日“時間軸”の話が出ておりますが、 これは「人間の人生」が一つの物差しとなるべきではないかと思います。
幼い時の何がしかの記憶があって、 それが「アイデンティティ」に繋がることがあったりするわけです。
ですから、 この「人間の人生」で計って、 それで人間の記憶の中に残る量がある一定の量になるというやり方をしていかないとならないとすると、 先ほどの“応答する”ということについて常に“デザイン性”を持っていないといけないんじゃないかという気がします。
個々の人がやった量はわずかかもしれないけれども、 総量として一体どんな町になってくるのかということも考えておかなければいけないのではないかと思います。
これは、 環境問題と似たようなところがあって、 それぞれが環境に出す排気ガスはたいした量じゃないかもしれない、 しかし、 全体としてはどうかということが常にあります。
実は「アイデンティティ」の名のもとにそういうことがおこなわれる可能性があると心配しています。
私は「利用者」だとか「オーナー」以上に「デザイナー」の方が危ないんじゃないかという感じを持っています。
オーナーが頼みもしないことをデザイナーがやる可能性もあって、 それがまちのアイデンティティや環境を壊していく可能性だってあると感じています。
その“応答”みたいなことについては、 漫才だとか連歌だとか尻取りゲームだと言ったんですが、 最初のキーワードみたいなものが同じであったとしても結果はたぶん違うと思うんですね。
そこに参加している人たちによって形成されるものは、 最初のキーワードが同じでも、 “交流”というか“応答”を通して変わった結果が出てくるというような格好を指しています。
そういう意味で、 個の自由な発想の中から“応答”の仕組みを通して、 全体の集団としての何かが生み出されていくという手法はないだろうかと思っています。
伝建地区の話もそうなんですが、 アイデンティティを議論する時に、 保存するものの話が非常によくでるわけです。
しかし、 日本の建築基準法と言いますか、 用途地域のあの容積が、 「アイデンティティ」のある町づくりで何かを保存、 継承していこうとする場合に、 非常に不利に働いているのではないかということです。
ああいうものをいつまでも野放図にしておくということはどうなのかという思いがあります。
通常たかだか50%の容積しか使わないはずなのに、 200%も与えられているわけですね。
そういう中で伝建地区の環境を守る話をやらなきゃいけないというような状態を続けているのはまずいんじゃないかなと思っています。
伝建地区だとか町づくりに市民の協力とかいう話がどこにでもあるのですが、 一番根本的なことを放置したままやっているのではないかと常々気になっております。
ダウンゾーニングをしっかりやってからでないと、 きちんとした将来像は描けないんじゃないかと思っております。
以上です。