半年前にお誘いいただいて、 それから原稿の締切の時に前田さんから催促をされて慌てて資料の54ページから55ページの原稿(本書p.117)をお渡しして、 それからしばらく忘れていたら、 手帳を見たら今日だということで、 授業が終わりましてからタクシーで駆けつけましたので、 レルフさんの講演を残念ながら聞けなかったのですが、 レルフさんがずいぶん良い話しをされたようなんで、 その部分に期待したいと思います。
意識していないで享受してる状態が一番良いのだけども、 意識していないと、 それは再生産されていかないし、 発展していかない。
あるいは忘れ去られていってしまう。
そういうものではないかと私は思っています。
そこで、 アイデンティティの問題ですが、 最初に材野先生が見事に定義して下さったのですが、 それがそのまちづくりの差別化の問題なんかになっていきますと、 これはコンセプトメーキングとかいう話です。
ここで議論を面白くするためにちょっと言わせていただきたいのですが、 これは本当のまちのアイデンティティと話は違うんじゃないかというふうに考えているのです。
例えば私がまちづくりに関係し始めてから、 こう言うと歳をとったなと思うのですが、 25年位経っています。
最初のうち、 まちのアイデンティティなんてことを言うと、 何を理想論を言ってるんだ、 とよく言われました。
あるいは名前を言って良いかどうか解らないのですが、 東工大の石原俊介先生に「君、 それはセンチメンタリズムだよ」とか、 もうそういうようなことを平気で言われていたんですね。
ところが今はこうやって堂々と、 どこでも立派な顔して歩いている人がまちのアイデンティティについて語っている。
この25年間の進歩があると思うのです。
例えば、 いろんな言い方があるのですね。
風土性だとか、 それから地域。
例えばこれが地理学ですと、 地域景観という言葉がどうも風土性を代表している言葉であったりします。
あるいは地域性だとか、 場所性とか言う時に、 何か扱っているものの細かさが、 どうも違っているような気がするんです。
さらにややこしいのは、 それぞれが、 また重層的でありまして、 言ってみれば、 色々なレイヤーというか、 いろんな層を上から見ているといったようなところがあるのです。
そういうことを言うと非常に抽象的になってしまうのですが、 特に私が今言っておきたいのは、 場所性というのはものすごく細かい所まであるということです。
だから例えば、 これはあんまりいい仕事にならないかも判らないのですが、 大阪府営の三島団地というところの建て替えにちょっと関わった時に、 いつも日当たりの良い日に調査に行くと、 大きな、 放置されたベンチが置いてあって、 二人のおばあちゃんが、 金さん、 銀さんみたいにポーンとそこに座ってるんです。
そうすると、 これはあのおばあちゃん達の日当たりの場所だというふうに、 そういうレベルまであると思うんです。
あるいは、 もっとアニミズムのすすんだ、 例えば、 沖縄なんかに行きますと、 ある木をご老人が拝んでる。
その横を軍用トラックがボンボン通っていたりするのにです。
それでその周りの人に「あれは何かご神木なんですか」と聞くと、 「いやそうじゃなくて彼が何か啓示をうけて、 その木と何か関係をとりもっているんだ」と。
僕はこういうのも場所性だと思うんです。
そんなことを言うと何かすごい特殊なことを言ってるではないかと思うかもしれませんが、 例えば、 僕は大学で観察していると、 食堂である学生はいつもだいたいこの辺に座るとか、 あるいは図書館に行って人を捜すときに、 だいたいこの机でこの先生がよく本を読んでいるとか、 あるいは教室会議みたいなところで、 何かこの席に座ると○○教授の逆鱗に触れて、 私、 出世が遅れるんじゃないかとか、 そういうように、 みんな場所にものすごくこだわっているのです。
小さい場所に。
そういう小さい場所がものすごくたくさんあって、 それでいてみた感じは何げないんです。
今、 成瀬さんがおしゃったような地を成しているんですが、 そこにレイヤーとして我々の主体の働きかけが、 のっかっていて、 更にそれが、 思い出とかそういうものになってきますから、 もっとまちは複雑になっているわけです。
そこのとこまで我々が突っ込めるかという問題があるのです。
各自は自由に家を建てたのだけど、 だんだんそれが、 作法化してきた。
そして、 緑であるとか、 あるいはその擁壁であるとか、 あるいは屋根瓦であるとか、 そういうものが最初は和風からだんだん洋風に代わり、 そういう中でも文脈を継承しながら、 そこでまた、 戦後自動車が入ってくると、 そこで車庫の造り方まで、 作法化された住宅地があるわけです。
それは、 決して大金持ちの住宅地ではなくて、 小林郁雄さんがどこかに書いてらしたように、 部長のまちから係長のまちになったような、 あるいは、 係員ぐらいのまちでも、 その駐車場を非常に上手に造っているという文脈があって、 その中にまた小さなエレメントが沢山あって、 そのまた小さなエレメントに人々が居住しながら、 一方で無意識で自覚している主体というものが環境を使う作法を持ってきたと。
震災でそういうものが粉々になってしまったわけですから、 バラバラになったものを繋ぎながら、 僕たちは、 もう一回どうやったら図を描いていけるのかということを追求しているわけです。
少なくともこれまでのような、 粗いアイデンティティの捉え方ではいけないだろう。
仕掛けが非常にしっかりしていれば、 後は住み手がそのノウハウを知っていれば、 上手にそこを継承していくわけですが、 それでも簡単な、 土地割りの仕組みを描くときもそういうことをよく知っていないと描けないのです。
逆に言うとですね、 その小さなスペースの愛し方であるとか、 あるいはそれに関わる関わり方とか、 そういうことが大事だと思います。
そういうふうに考えていくと、 我々のまちというのは一種の集積回路みたいなものです。
なおかつ昔が良いとだけ言っているわけではなくて、 その集積回路にまた更に描き込んでいかなくてはいけない。
だから、 描き込み続ける集積回路なんです。
だから今もう一個ややこしい問題は、 人々がいなくなっているんですね。
神戸の住宅地をお歩きになったら解ると思うのですが、 その風景が無くなってるだけじゃなくて、 人も居なくなっている。
だから僕はやっぱり何かそこに一つの仕掛けを作っていかないといけないんじゃないか。
例えば、 そういうことをよく知ってる人達がリーダーシップをとれるような、 あるいはそういう人達を含めて私達がファシリテーターになれるような仕掛けをしていかなくてはいけないなと思うんです。
資料の中で環境というのは編み物のようなもので、 一カ所取ってしまうと、 後でボロボロと崩れてしまうよ、 というようなことを書きましたが、 逆に今度はその編み物の残りが残っているというふうに考えて、 一生懸命これをパッチワークしながら違うセーターを編んでいる。
前のセーターの良さを残しながら、 違うセーターを編んでいって、 それで場所や地域のアイデンティティというものをもう一回つくっていくんじゃないか。
そのためには、 先程、 佐々木さんなんかもおっしゃったような、 その再解釈といいますか、 リインタープリテーションというか、 要するにそういう方法になるだろう。
先程、 連歌という話もありましたが、 例えば、 決して万葉集のような詩でも、 古今集のような、 なよなよとした詩でもなくて、 やっぱり新古近集とか、 奥深いものになったり、 連歌のように軽みのある奥深さになったりとかいうようになっていくのではないかと思うわけです。
そういう意味で今私達はポートアイランドとかフラワーロードだとか、 そういう和製外来語の言葉ではないもっと本当のこの阪神間文化のアイデンティティを編み込むべく試されているのじゃないかと思いながら、 みなさんのお話を聞いていました。
以上です。