それから僕はだいたい町並み保存とか、 日本のことをやっていますから、 大抵日本語を使う方が好きなんですが、 他の言葉で置き換えようと思ったのですが、 なかなか思いつかなくて。
やっぱりカタカナなんですね。
カタカナのアイデンティティ。
なぜカタカナのアイデンティティなのか。
考えてみたことを話してみたいと思います。
この会はだいたいつくり手側なのですが、 つくり手側でもやっぱりそう思っている。
それはなぜかというと、 これはかなりこの頃ではよく言われるようになったのですが、 我々はやっぱり、 近代建築とか、 機能主義に基づいた近代都市計画にのっかってやってます。
これは、 基本的には真理は普遍的ですからその形態が国際的に通用するという考え方。
そして科学主義でやるわけです。
それを我々はかなり意識的に批判できるようになったのですが、 今でも我々の生産のシステムがそれにどっぷり浸かっているというか、 機能主義で出来上がるようにできているんです。
ときどき僕も設計しますけども、 地域の個性を生かしてやりたいとか思いましても、 材料はINAXを使っていたり、 旭ガラスを使っていたり、 何とかサッシを使っていたりとか、 それしかしようがないわけですね。
それじゃないとなかなかやれない。
全てのシステムがそういうふうに、 近代機能主義の考え方で、 環境を作るようにできている。
ここで僕は井口さんに少し反論したいのですが、 イタリアの場合は違いまして、 職人の仕事を保存してるんですよ。
その地域の材料屋さんの仕事を保存して、 そしてその地域の石を刻む人の仕事を保存して、 まちを今もつくり続けているのです。
だからやはり日本の駅前とは自ずから違うところがあるんです。
我々の生産システムが機能主義、 国際主義にのっかっているので、 今は意識的にそれに抵抗するといいますか、 そこを考えて戦略を使って立ち向かうというか、 そういうことをやらないと今まで通りにまちの個性が失われるやり方になるだろうという、 そういう危惧から、 アイデンティティというテーマになったのではないかと思うのです。
別に国際様式というか、 全部同じになってもいいんじゃないかという意見があるかもしれませんが、 それは一つには、 今なんとなく、 あんなに同じになるのは面白くないと思っているということもあるでしょうが、 我々は住んで楽しい、 生き甲斐のある、 それから本気でこのまちはいいなと思うような、 そういうまちをつくりたいから、 このアイデンティティを問題にするのだろうと思うのです。
鳴海先生から、 リンチさんの「時間の中の都市」の重大さを教えてもらったのです。
「What time is this place?」(『時間の中の都市』の原題)と言ってるよ、 と私が若いときに教えて頂きました。
リンチさんは、 人間というのはどういう過去があって、 どういう流れがあって、 そして現在今我々がいて、 それから我々はどこへ向かっているのか、 私自身もそれから社会も、 どういう過去と、 現在があって、 それからどこへ向かっているのか。
それが納得できなければ、 本当の幸せはないとおっしゃるわけです。
人間の本当の平安というのは、 そういうふうに時間的なものであって、 人間は、 時間的存在であるといってもいいかと思うのですが、 これは過去の人と語らうという話で都市のアイデンティティとは少し離れるかもしれません。
ケヴィンチ=リンチさんが京都へ来られて、 嵯峨野をご案内したのですが、 リンチさん本人は書かれなかったのですけれど、 源氏物語を全部読んでおられました。
それから芭蕉の句をものすごくたくさん暗唱しておられまして、 英語のシラブルで五・七・五に翻訳されているのですが、 そして去来なんかも知っておられて、 嵯峨野へ行った時に、 野宮神社へ行って源氏物語のことを思い出したり、 それから去来のお墓へ行くと、 あの頃は今と違って暗い所に去来のお墓がありまして、 そこでもしばらく佇まれて、 僕も遠慮してしばらく離れていたのですが、 そういう他所の国の文化ですけれども、 過去の人と語らわれたと思うのです。
何を想われたのか、 汲み尽くし難いですけれども。
そういうことは人生の本当に深い喜びの一つだと思うのです。
私は前回のこの会で、 新しい動きに地域文脈主義という名前を付けたらどうでしょうという提案をしましたが、 時間のこういう文脈があって、 それから現在の景観の中で、 その周囲とどういう関係にあるかという文脈、 自分と関係づけた抜きさしならない意味を持っている関係ですね。
それを「文脈」と呼びたいのです。
歴史の本を読めば、 いろいろ流れは書いてあって、 我々は自分の祖先が何を考えて、 今どういう自分があるということがわかる、 だからいいじゃないか。
それでは僕はいかんと思うんです。
やっぱり、 リンチさんが嵯峨野の去来の墓の暗い所で長い間佇まれていたように、 我々の時間的な文脈、 歴史の流れがですね、 都市環境の中に表現されていることが僕はやっぱり大事であると、 それは時間的存在としての人間が求めるものじゃないかと思うのです。
保存、 部分保存、 外壁保存、 それからほとんど保存ではなくて、 プロポーションの継承、 特徴の継承、 もっと開発側にいきますと、 道のパターンの継承、 それから視線だけを保存するとか、 眺望の保存とかです。
そうやって、 きちっと保存するところから、 ほとんど保存とは言えないようなところまで、 しかしそれぞれの場所に応じて、 何らかの度合いで、 保存すべきものを持っている。
僕は開発と保存というのはこういうふうにずっと割合が変わるだけで、 やり方としては保存100%から保存と開発50%ずつ、 それから開発100%、 そこまでずらっとあって、 どれが数が多いか別ですけれども、 それを全部並べてメニューにして環境をつくるのが、 時間的存在としての人間に満足感を与えるまちだと思います。
そのまちの歴史というのはみんな違うものですから、 自ずからそのまちの個性を表現することになるだろうということです。
不幸にしてこの震災で全てが壊れたような所では、 僕は保存、 部分保存、 外壁保存等のかわりに復元があってもいいんじゃないかと思うのです。
完全復元、 部分復元、 外壁復元、 それから特徴復元とか、 視線復元とか、 そういうことがあってもいいんじゃないかと思うんです。
それによって時間的存在としての人間に満足を与えるようなまちをつくるべきだと思います。
それが一つめのなぜアイデンティティかということについて考えたことです。
オーギュスト=ベルクさんは日本人のことを状況で動く、 場で動く論理を持っていると言って、 批判しておられないというだけのことかもしれませんが、 割合評価的に書いておられるようです。
でも僕はこれは日本人はむしろ痛みを持って受け取るべき言葉だろうと思います。
日本人というのは個人の確立がまだ不十分です。
アイデンティティというのは自己同一性ですが、 自己があってはじめて、 同一性がでるものです。
ある時フランス人の女性がテレビで、 「Resistance」というのは普通「抵抗」と思われているけれども、 よく考えると日本語で近いのは「自力」「自分の力」じゃないでしょうか、 と言われたんです。
僕はこの時に、 アイデンティティのことを思いました。
本当に自分を確立して、 他所との差異によって自分を確認するのではなくて、 自分なりの世界観とか価値観とかに発展していかなくてはいけないのではないか。
アイデンティティのあるまちとか、 アイデンティティのある環境のデザインということには統一性と個性との難しい関係があると思います。
まず自己の確立ということが必要だと。
そしてそれが何人も集まってお互いに認めあっていくことで、 だんだんと統一性が出来ていくことが必要です。
出発点が違うんです。
僕は町並み保存をやってきましたが、 それは国際様式の一つの考え方が世界的に正しいというか、 押しつけみたいに、 一種の統一ですね。
それに対して、 地方からの、 あるいは自分の感性でわかる場所の景観とか環境、 自分が分かる範囲の場所から抵抗するのが町並み保存の出発だったと思うのです。
町並み保存は全部きっちり同じにしろ、 今のマンションみたいに、 全く同じにするということじゃないのです。
一軒ずつかなり違うんです。
町並み保存というのは、 その違い方の度合いはいろいろあるでしょうが、 出発点がその統一ではないのです。
自己を確立してアイデンティティを表現する町には、 場所の個性と統一性との間にダイナミックな関係がある、 どちらかに割り切れないようなところがあると思います。
この問題を具体的に解決する方法として私が考えていますのは、 景観とか場所のデザインのスケールを考えるということです。
大景観、 中景観、 小景観、 あるいは近景、 中景、 遠景、 それによって小さい場所ほど個性的で、 大きくなる程全体の関係があるといいますか、 関係性を持ちうるような、 そういうつくり方があるのじゃないかと。
これは具体的になると、 いろんなもっといい知恵があるかもしれません。
「十人十色、 三人三様の法則」とか授業で言ったりしているのですが、 たとえば三人の人がいまして、 Aさんはこの一番の場所がとってもいい、 Bさんは二番の場所がとってもいい、 でも他の場所は好きじゃない。
Cさんは三番目の場所が好きで、 他は好きじゃない。
多数決でやりますと、 どの場所も保存しなくていいし、 全部造り替えましょうということになります。
そうすると三人の誰にとっても寂しいまちができてしまうのです。
豊かなまちをつくる時には、 多数決というより、 積極的にあれがいいと言っている意見はお互いに認め合うことが必要なのです。
それは個人の確立と同時に個人を認めるという態度とつながると思います。
民主的に環境づくりをすることで、 まちの住民のアイデンティティができるのでしょうが、 単純な多数決の論理を持ち込むのはとても危ないのです。
これには私個人は反対なのです。
私はプロセスを大事にすべきだと思うのです。
100年後の人が幸せでもあかんと思うのです。
今住んでる人がずーっと幸せになるべく環境をつくりつづけるべきで、 「今皆がまんしなさい、 100年経ったらね、 これはまちのアイデンティティになるから大丈夫」というのはとても良くない。
それは過程デザイン、 プロセスデザインを環境デザインについてやるべきだと思うからなんです。
今日のレジメに少し書きましたが、 「家居にこそ、 ことざまはおしはからるれ」と昔、 徒然草を書いた吉田兼好が言いました。
家を見たら、 その人の「ひとのなり」とかいろんなことが、 まちを見たら、 またまちの「ひとのなり」が分かると思うのです。
そういうように環境の形は、 ひとの人格の表現になってしまい、 また逆に場所がひとをつくるだろうと思います。
だから、 今皆が辛いと思うものでも100年経ったら、 まちのアイデンティティになるとか、 愛されるものになるということでこれは結果としてたぶん正しいだろうと思いますが、 私はずーっと連続的に良い状況、 人々の気持ちとなじんだ形で在り続けるべきだろうと思いますので、 そういう意味で、 コピー都市というのはやっぱり、 問題なんじゃないか。
まあ今できてるもの、 たとえばハウステンボスなんかは100年ぐらい経ったら、 日本の名所になったり、 面白かったりするんじゃないかと思いはしますが。
以上で終わらせて頂きます。
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鳴海邦碩 はいどうもありがとうございます。
そうしましたら五人のパネリストの方から、 それぞれの話を頂いた訳ですけれども、 今の山崎先生のお話を聞いて、 ちょっと思い出したことがございました。
ドイツでは環境をつくっていく上で、 ルールが非常に細かいというのは、 皆さんよくご存じとは思いますが、 どうしてあんなに細かいのをつくったのかということをドイツに長く住んでいる方に聞きましたら、 「それぞれがあんまり個性が強すぎて、 ほっておいたらどうなるかというのは、 皆がすぐ理解できるから」と、 そんなことを言っていました。
「抑え目にしないとひどくなることを、 皆が了解しているためだ」とそういうのを聞いて、 なるほどと思ったことがあります。
それでは議論が核心的な部分に触れてきましたが、 それぞれ多面的な見方をしていますので、 どれを特別に捉えて議論するということはしませんけれども、 まず、 コメントを頂いて、 それから質問でもいいし、 ともかく喧嘩を売ってもらってもいいし、 次の展開の為に、 お二人からお話を頂きたいと思います。
まず田端さんの方からお願いします。