今のお話を聞いて思い出したのですが、 景観とか環境は、 失われてしまって初めて有り難さがわかるという話がありました。
親と一緒なんだなと思ったわけです。
親の有り難さも亡くなって初めてわかるとよく言われます。
そのこととよく似ています。
しかし、 親の有り難さを教えるのはえらく気恥ずかしいですよね。
そのことと同じで、 どうして環境とか景観の有り難さを教えなければならないのかということにもなってきます。
先ほど田端さんは、 環境のコンテクストを読みとれる自力的能力というお話をされたのですが、 社会化されたコンテクストを読みとれる能力があればこんな議論をしなくてもよいはずです。
それが文化というようなものなんだろうな、 と思うのです。
だけどそういうものをやはり言わないと、 どんどん大変な状態になっていきそうだという時に、 何をもってそれを構築するかということは大変なことです。
そういう意味では専門家の役割というのは非常に大きいと思うのです。
皆さんに共通した話題でしたので、 ちょっと補足的に申し上げました。
更に話を展開したい方は、 宜しくお願いしたいと思います。
また同じ順番で、 数分ずつで結構ですので、 お願いしたいと思います。