私は、 京都のワークショップに参加しまして、 祇園地区、 あるいは、 伝統的建造物群保存地区としての祇園の話を担当しました。
祇園にはきちんと町家が残っていて、 整った町家の並びがみられます。
残っているぐらいは本当は大したことではないのでしょうが、 そこにちゃんと人が住み、 生活しているのです。
お茶屋さんとかは、 我々の日常生活からちょっと離れた感じの暮らし方ではありますが、 そこに住んでおられて、 そして夜になったら仕事をする。
昼間にもそういう仕事の雰囲気が出る。
いろんな稽古ごとの音や人の動きが格子やすだれを通して感じられます。
夜になれば勿論もっとそのまちらしさが出てくるわけです。
つまりそれは人がいて、 そして町並みもある、 ということによって祇園のアイデンティティとか、 京都の町家地区のアイデンティティを知覚できるわけです。
そして祇園は、 仕事の場としての中京・下京などの町並みが壊れてゆくなかで、 まさに遊びの場であるからこそ一生懸命その環境を住んでる人が残してきたのだと思うのです。
つまり祇園で遊ぶというためには、 町並みもまたしっかり残しておかないと役に立たないことをまちの人々は知っているわけです。
アイデンティティというものを支えているのは、 人を含めた環境であるということがよくわかる事例でもあります。
遊ぶということについていえば、 カイヨワやホイジンガが強調したように、 きちんとした「遊び」にはルールの尊重が必要条件です。
ルールがあるのが遊びです。
きちんとした遊びのルールを貫徹するうえで祇園の「人」と「町並み」は残らなければならないわけで、 その遊びの空間に、 アイデンティティが感じられるというのは、 非常にはっきりした理屈だと思うのです。
そういう意味で、 都市の中に遊びの空間を作っていくことは、 その場所にアイデンティティを上手につくり出していくという働きを持つことになると思っているのです。