商業界では“差別化”が生き残るための必須条件となり、 まちづくりやむらづくりにも“アイデンティティ”が求められている。
この“アイデンティティ”という言葉は、 第一次石油ショックの後、 昭和50 (1975)年代に入って、 我が国が「量」の時代から「質」の時代への転換期に、 過去の“無個性”の時代に訣別を告げるような形で頻りに使われるようになってきている。
神奈川県が始めた「文化のための1%システム」や竹下内閣時代にスタートした「ふるさと創世事業」等は、 まちづくりやむらづくりにおける“アイデンティティ”形成のための一つの手法である。
さて、 まちづくりやむらづくりにおける“アイデンティティ”形成の手法は千差万別である。
熊本アートポリスのように建築家やデザイナーに自由な発想で取り組んで貰い新しいものを創出する手法もあれば、 昔からの地域遺産である歴史・風土を守り続けるという手法もあり、 目下、 花ざかりである。
その結果、 単にファミリーレストランやコンビニエンスストアあるいはショッピングセンターの売場程度に過ぎない“アイデンティティ”から、 地域要素に無理矢理こじつけているひんしゅくものの“アイデンティティ”が、 町や村に溢れ返っている。
最近、 特に気になっているのは、 歴史・風土に培われた“地域要素”の中からデザインモチーフを導き出すとしておこなわれている手法である。
歴史・風土に培われた“地域要素”にまちづくりやむらづくりのアイデンティティを求めようとする手法自体は決して悪くないが、 何でも醤油味・味噌味あるいはカレー味にすることで“アイデンティティ”の形成ができると思っているような、 安易な………というか困った適用が目に余る現実にある。
ところで、 都市景観を語るとき、 多くのデザイナーは“図/絵柄”と“地/背景”の関係を議論する。
当然、 一人のデザイナーなら配慮されるが、 複数のデザイナーが存在する場合「皆が“図”になろうとするのをどう抑えるか」が課題となる。
マスターアーキテクト方式は、 一つの答えであるが、 根本的に、 都市景観の「地づくり」は大きな問題である。
個の“アイデンティティ”の乱立・氾濫は競合・混乱を引き起こし、 結果として、 集団の“アイデンティティ”を喪失してしまう恐れもある。
個の“アイデンティティ”の追求が集団の“アイデンティティ”の形成に繋がれば、 個々のデザイナーに自由に腕を奮って戴いて結構であるが、 どうも手放しで許すわけにも行かないというのである。
大阪的には、 個の“アイデンティティ”の放任の中から集団の“アイデンティティ”は自ずと生まれると言われるかも知れないが、 京都的には、 それは許し難いと言われるような気もする。
今日までの「エキゾチック神戸」の“アイデンティティ”形成の経緯を推し量りながら、 その答えが見つからないものか、 考えてみたい気がする。
それはともかく、 今のところ、 私は、 集団の“アイデンティティ”の形成は、 各個の間の交流や応答の中から生まれるとの仮説を持っている。
漫才や連歌・尻取ゲームあるいはパロディといったところに見られるような「交流・応答」を指している。
個の自由な発想を受け入れる柔軟さと同時に、 それに応答する軽妙な対応の中から、 集団としての何かが生み出されるような気がしている。