町のよさなどというものは空気や水と同じで、 あまりいつも皆が意識しているものとは、 限らない。
無意識で享受しているものである場合が多い。
ただ、 多くの人が無意識であっても、 積極的に自覚している人が少なくなってくると、 地球環境と同じで、 本当にそれを失うことになってしまう。
わずか10年前、 須磨から舞子までの海岸がまだ圧倒的に自然海岸が多かった頃、 海に何気なく来ている人々を、 学生達が調査した。
もちろん近くの住宅地から来ている人びとが多かったのだが、 大阪南部の浜寺など、 自然海岸を失った人達が来ていたのには驚かされた。
だが十数年経つと今度は私達が同じ立場に立つことになってしまった。
「海水浴場」だの、 「防風林」など、 概念化したパッケージ的な環境はまだ残っていく。
何気ない、 あまり有名でもない小環境や、 小さな風景の要素はよほど積極的にその意義を強調する人がいないと、 都市の別の施設に置き換えられていく。
しかし、 環境というものは大きな編み物のようなもので、 ある部分がなくなっていくと全体のアイデンティティを連鎖的に失っていくものである。
視覚的な環境だけでなくそれに呼応した、 住宅や店や事業など社会的な文脈と連動した町のよさまでもが失われてしまう。
何を失って代わりに何かを創造したと、 断言できる場合はまだ良い。
これらの過程が無意識に進行すると町は本当に金太郎飴のように、 同じ表情を繰り返し、 その味わいある変化を失っていく。
逆に、 明治における神戸のグルームのように、 六甲山系を緑化して、 町の風景を作ると共に、 都市のリクリエーションの新しい形を私費で創造し、 その後の居住性の高い百万都市の原形を築いた人もいる。
地域づくりに関わっていると、 時折、 昔はもっと良かった、 もうその大部分が失われたのだからと、 過去との連続性をあきらめてしまう人を多く見受ける。
だが、 人間の作ってきた都市は常に生きたコラージュである。
神戸はこのたびこれ以上はないというほどの破壊に直面した。
だが、 この町のよさを自覚する力強い住み手が多くいれば、 時間はかかってもこれが神戸だという風景と味わいを回復できるだろう。
ある異人館の女主人は、 私を力強く励ましてくれた。
彼女は神戸の壊滅をこれまで三度見た、 大水害、 戦災、 そして震災、 その度に神戸は美しくよみがえったではないですかと。
老婦人は今度もきっとそうなりますよと、 微笑んでくれた。
私たちは、 記憶を形成している風景の断片を拾い集めながら、 新しさの中に、 町が継承してきた遺産を編み込む作業を続けたいものだ。