多くは、 プランの内容がほぼ固まると、 地元住民の方々に直接に説明をする、 参加者は地区の代表者や近隣の方々、 時には地元の長老のような方がこられ私達の説明が済んだ後、 歴史や物語など地元にまつわる記憶とともに我がまちを語りだし、 風景が歴史をつくり、 物語を生み出して今に伝わる話をされる。
そして新しい風景をつくる時にも語り継ぎ、 何が大事かの示唆を与えてくれる。
見えていなかったモノがコトが見え出した時の一撃は大きいものである。
様々な地域には様々な色合いがあり多様な人々が生活し、 歴史をつくる。
一方、 新しいまちがつくられる場合には、 プランナーやデザイナー達が地域を読み、 まちの新しいコンセプトを導き出し、 その場にふさわしいかどうかはさておき建物やオープンスペースが創られる。
斬新なデザインはなるほどグラビアで見ると素晴らしいかもしれないが、 時としてデザイナーの傲慢さで創られる場合もある。
床も壁もコンクリートや石で敷きつめられたオープンスペースを見ると、 一体誰が利用するの?と言いたくなる。
夏の太陽の照り返し、 冬の寒々とした広場の冷たいベンチ、 そこに住まう人を思うと3本の樹木があれば、 肌にやさしいベンチがあれば……などと考えてしまう。
これからの新しいまちづくりには、 住民が参加し人と人の繋がりから我がまちをつくり歴史をつくれる様なシステムを作る、 勿論コミュニティは入居者同士の間では生まれるであろうが。
例えば、 オープンスペースにゆとりスペースを残し、 これを新住民への贈り物としてもいいではないか、 そこにアドバイザーが参加して住民による広場をつくる。
そうすることにより空間が我がまちらしさ、 アイデンティティのあるまちづくりを考える第一歩となるのではないか。