かつてある時代に誰某がどういう経緯があってあの場所を造ったとか、 あそこではどういう事件があったとか、 祖父たちの時代に皆で協力してあの道を造ったとか、 そういう物語が都市空間に織り込まれていることが、 何より都市の個性を表現もし、 アイデンティティの基礎をなすもののように思われる。
この歴史的な文脈(通時的文脈)を意識し、 その文脈上で環境のデザインを行うことがまず大切なことだろう。
歴史的文脈を継承するために、 デザイン手法としては、 保存、 部分保存、 用途変更、 修景、 あるいは高さや眺望などの特徴の継承(属性保存)があり、 これらの手法を場所と条件に応じて適宜組み合わせて適用する。
被災した地域では、 上記の保存のかわりに復元を行う必要があろう。
もうひとつの文脈は空間軸(共時的文脈)で、 周辺環境との関係であり、 地域全体としての表現である。
山があり家々と寺院があり川があって、 次に計画対象である敷地がある。
この景観の流れの中で何を発言すべきであるか、 というのが共時的文脈を配慮した環境デザインといえるだろう。
ところが被災地でこれらが一度失われた所では、 もう一度物語を組み立てなおす必要がある。
そのとき、 大景観・中景観・小景観、 遠景・中景・近景といった景観のスケールを考慮し、 各々のスケールに応じて表現を計画することになる。
徒然草の著者、 吉田兼好は人物の人と成りは「家居にこそ、 ことざまはおしはからるれ」と書いたのに私は共感する。
同じように、 都市景観は市民の生活態度、 市民性そのものの表現と言うことができるだろう。
アイデンティティが「自己確立」「自分固有の生き方や価値観の獲得」(H.エリクソン)であるとすれば、 アイデンティティのある都市景観は自己確立を遂げた市民によって形成されることになる。
流行に流されたり、 自由より統率を好む市民が多い間は、 本来の意味でのアイデンティティのある町づくりは困難なことであるにちがいない。
あるフランス人がレジスタンスとは日本語の「自力」の意味に近いと説明するのを聞いたことがある。
この意味で、 文化的なレジスタンスが生じうるような市民性が、 これからの都市のアイデンティティの基礎であるように思われる。
この精神的なアイデンティティと先述の物理的環境の文脈とは、 一体のものとしてのみ存在しうるではないだろうか。