JUDI関西 私の考える「アイデンティティとまちづくり」
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神戸神話
フォーラムの周辺で

コピーライター・イメージショップ主宰

石丸美奈子

 やはり行ってみよう、 と思ったのだった。

   

 報道関係者でも、 都市プランナーでも、 ましてや、 ボランティアでもないけれど。

   

 画面を通じて繰り返し伝えられた、 瓦礫の山、 阿鼻叫喚。

   

 着の身着のまま、 炊きだし、 避難所、 仮設住宅…

   

 戦争直後のような、 と形容されたその街が、 お洒落で異国情緒溢れる、 あのブランドシティ神戸のイメージと、 どうしても重ならなかったからだ。

   

 神戸は、 もう神戸では、 なくなったのだろうか。

   

 きらびやかなオーラを、 失ってしまったのだろうか。

   

生田神社

 あの日、 本殿の屋根が、 崩壊した。

それはまるで、 地震から神戸市民を守るために戦って敗れ、 力尽きて倒れた風に見えた。

神主の悲痛な表情とコメント。

その次に、 この神社が登場したのは、 オリックス優勝前後である。

大勢集まったファンたちのお祭り騒ぎと、 お祝いの歌を詠む神主の笑顔。

それはまるで、 頑張ろう神戸、 の熱狂ライブ会場のようだった。

   

 訪れた日は、 ちょうど七五三詣の頃で、 お参りの親子連れを、 手際よく仮本殿に案内する巫女たちの、 朱い袴が美しかった。

本殿は、 まだ工事中。

けれど、 淡々として威厳に満ちた佇まいは、 まるで、 まるで、 本物の神社のようなのだった。

   

ホテル

 神社の隣に、 泊まる。

女の子好みの欧風スタイルのホテルだ。

フロント嬢も可愛い。

朝刊はいかがなさいますか。

と尋ねるので、 朝日をお願いしますと答えたところ、 彼女は、 にっこり微笑んで言った。

   

 「私どもでは、 神戸新聞しか、 置いてございません。

   

市営バス

 ズタズタに寸断された交通網は、 完全復旧していた。

   

 メインストリートだけではなく、 住宅街や町の様子を知るために、 三宮町2丁目から神戸駅前まで、 市営バスに乗ってみた。

学校や小さな市場、 公園のそばをゴトゴトと走る。

さら地になっているところ、 ビニールシートが張ってあるところ、 壊れたまま放置してあるところ、 頭上注意の手書き貼り紙がしてあるところ。

一部損壊やヒビ割れの風景を、 片道二百円の窓から眺める。

   

 市営バスには、 それでもどっこい生きている人々が、 どしどし乗っては降りてゆく。

小さなビニール袋を握りしめたお婆さん。

昼のお惣菜か、 孫のおやつか。

一段一段ゆっくりステップを昇って、 よいしょと席に着く。

途端、 挽きたてのコーヒー豆の芳香がパアッと拡がった。

   

 まぎれもなく、 神戸のバスだ。

   

芦屋

 きっかり二週間目に、 その店は再開した。

   

 ライフライン回復のメドさえ満足にたっていない頃に、 とびきり旨いジン&ソーダが、 ドライマティーニが、 マルガリータが、 蘇っていたのである。

常連たちは、 いつもの一杯を飲むことで、 内側から立ち直っていく。

被害の大きさのわりには、 ニュースにならなかった高級住宅地、 芦屋ならではの、 ライフライン。

   

 あの時、 一体全体、 どこから氷を手に入れていたのか。

いまだ謎なのだそうだ。

無口な店主は、 静かに微笑むだけ。

店の名は、 「ザ・バー」。

最上級の、 唯一絶対の、 THEだ。

常連たちは主張する。

   

六甲アイランド

 AOIAは閉鎖され、 観覧車やジェットコースターは、 モザイクの隣に引っ越しの最中だった。

シーバスも休航。

億ションと仮設住宅群が、 ひとつの島に同居している。

天国と地獄、 幸と不幸の間を、 一台の六甲ライナーで、 往復した。

お互いの境遇を、 朝に昼に夜に見つめながらの生活。

傍観者の方が、 辛い。

資料のために、 撮影する。

出来上がった写真はピンボケだった。

動揺がそのまま写っていた。

   

 神戸は、 壊れても、 神戸なのだ。

   

 もし、 自分の街だったら、 と思わずにいられない。

震災直後、 被害状況がわからぬままに、 もし東京だったら、 とやって、 大顰蹙をかったマスコミも多かったが、 改めて自分の街だったら、 と考えずにはいられない。

   

 家や家族を失うと同時に、 プライドもこなごなになったろう。

恨みや妬みや絶望で、 がんじがらめになったろう。

あるいは、 街を捨て逃げだしてしてしまうだろう。

   

 ここでは、 海も山も美しいままだ。

   

 そして、 人々も神戸人のまま、 なのだ。

そのパワーも楽天的なところもスタイリッシュなところだって…

   

 街は人を選べない。

人が街を選んで暮らし、 結果としてその街のアイデンティティを形成するのだとしたら。

頑に神戸らしさを守る人々がいる限り、 神戸は神戸なのだ。

「帰ったら、 どうぞ皆さんに、 神戸に遊びにくるよう、 伝えて下さい。

今の神戸を見に来るよう、 伝えて下さい。

   

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