方向感覚が失われ、 どこに何があるのか全くわからない。
しかし、 そこに住む人々は自分のまちをよく知っている。
そこでは、 狭い路地に高密度に建つ家々が、 その奥にある居住者の生活、 音、 匂いを伝えてくる。
家と家の隙間は、 通路である。
その建物の密度の割には低層であるので、 空がよく見える。
古い家屋は今にも壊れそうであるが、 手作りのベランダや不安定におかれた植木鉢が人の手をかけてきたことを忍ばせる。
隣近所の人と大きな声で話しているのが聞こえてくる。
老人がいて、 子供がいて、 買い物帰りのお母さんや働いているお父さんがいる。
大阪市内には、 このようなまちがある。
生野区や福島区野田には、 戦災で被害の少なかった地域が今もこのように残っている。
小さな祠、 おもしろい看板、 古い長屋、 ふたをされた井戸、 あふれるほどの鉢植えの緑…。
そのまちで目にするものは特に取り上げるほど個性的ではない。
しかし、 幾度かそのまちを訪れると、 全くわからなかったまちが少しずつわかってくる。
「あそこで見た祠は、 これとは違う」「こんな路地奥に神社がある」「こんなとこを抜けると表にでるのか」。
無秩序に見えたまちの成り立ちがわかってくる。
私に、 そのまちを教えてくれるものが、 そのまちのアイデンティティに違いない。
路地にあふれた洗濯物と布団、 そこで遊ぶ子供達、 道にまで張り出した八百屋や酒屋、 網の目のような道を通り抜ける自転車、 個性的な人々。
決して同じ空間はない。
どの辻も、 どの路地も決して同じものはない。
どの店も、 どの祠もその違いを教えてくれる。
訪れる度に新たな発見がある。
これらが、 アイデンティティを作り出す生活の現れであるからだ。
これが都市の持つアイデンティティであるに違いない。
一般に下町と呼ばれるまちのアイデンティティは、 人情が…とかいわれる。
その一般的なアイデンティティを失うことなく独自のアイデンティティを創っている。
それがこのまちだ。
一見ありふれたまちのようだが、 私自身の中のなにかノスタルジーのようなものを刺激して、 通り過ぎる景観の一つひとつが、 とても印象深い。
それらが、 個々の小さな空間の存在感を高め、 まちのアイデンティティとなっている。
そのアイデンティティはある建築や物に帰属しているというよりも、 それらが変化しても必ず継承される人の生活や感覚が生み出すものだろう。
そして、 高度経済成長の中でアイデンティティを守り続けてきたまちは、 現在、 根本的な住環境整備に直面している。
道路整備や建築の不燃化は必要であるが、 このアイデンティティとそれをつつんできた生活を失うことなくそれらのまちづくりを考えてみたい。
アイデンティティと共生するまちは、 ひとと歴史と環境が共生できると思うからだ。