参加型デザインの実践
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まちづくり協議会が立ち上がるまで

後藤:

改行マーク岡本は住宅地と商業地が複合している普通の街です。 まちづくりの課題という視点からは、 商店街主導の町おこしという立場と住宅地としての住環境を守るという二つがいつも課題になっている土地柄です。 ですから、 お医者さんである西崎さんが会長をされているということは、 商業者、 住民それぞれの接点でもあり、 最適の人選だったと地域の人はみなそう思っています。

改行マークまちづくり運動が長く続くにはどういう条件が必要かとよく聞かれますが、 一つには良いリーダーの存在があげられます。 良いリーダーがいないと続かないと一般的に言われますが、 今日のお話を進めていく中で西崎会長がいかに良いリーダーであるかということも感じていただけると思います。

改行マークではここで、 岡本地区の概要を説明いたします。 岡本はニュータウンでもなんでもなく日本のどこにでもある普通の街であり、 そうした街をどうしていくかがまちづくりの発端でした。 これは実は珍しいことなんです。 日本で参加型まちづくりが言われ始めたのは1970年代のことですが、 大都市で公害から住環境を守ろうというのがはじまりでした。 つまり「悪いところがあるから直そう」というアプローチであり、 それがまちづくりのきっかけになることが多かったのです。 ところが、 岡本地区は極端に悪いところはなく、 比較的良好な住商複合地でした。 だから神戸市側も「兵庫区や長田区ならともかく、 なんで岡本のまちづくりを?」という面も少しはあったようです。

改行マークまた岡本は、 東灘区の生活都心であり、 大学がたくさんある街です。 ですから若い人もたくさん岡本の街を歩いています。 もちろん、 高齢化社会を迎えて老人も歩いている。 若い人も老人も同等に見かけるのが岡本の街です。

改行マークそうした中、 約20年前に岡本でまちづくりの取組みが始まったのですが、 最初に西崎会長に、 まちづくりに取り組むきっかけを伺いたいと思います。

西崎:

改行マーク岡本地区ではちょうど25年前から人口が増えてきたんです。 駅もできて、 住宅地の建物が次々とマンションになっていったからです。 駅は岡本のすぐ近くに阪急とJRがあることから交通の便も良かった。 またご存知の通り、 阪神間に住むならできるだけ山側に住みたいという意識がありますよね。 そういうことから高度成長がピークになった頃から人口が急増しました。

改行マーク人口が増えてきますと、 街の中の商業活動も増えてきます。 商業活動が活発になると、 今度は商店と住民の間でいろんな軋轢が出てきました。 例えば匂い、 あるいは騒音の問題です。

改行マークそれで、 地域の中からこのままではいかんという声が出てきまして、 住民代表、 商店街代表、 それに婦人会、 青少協、 防犯協、 民生委員、 金融機関、 医師会など各団体の代表が集まって話し合った結果、 岡本地区のことを協議する機関が必要じゃないだろうかということになりました。 そこで岡本地区のまちづくり協議会を立ち上げることになったのです。 私は医師会の代表として参加していたのですが、 いろいろと活動しているうちにとうとう会長まで務めることになったというわけです。

後藤:

改行マークまちづくり協議会はいろんな団体が母体となってできたわけですが、 当時一般の住民はどういう立場だったのですか。

西崎:

改行マーク一般の人もいろいろと問題意識は持っていました。 ゴミや側溝の問題など、 いろいろありましたから。

改行マークまた岡本の街の特徴として、 駅が近いことから、 通り過ぎたりお店を利用するだけの人がやたらと多いんです。 岡本に住んでいない人にとっては、 街がどうこうというより、 便利で安い店がたくさんありさえすればいいという感覚になっていくんです。 ですから、 タバコやゴミを捨てても平気という人が増えていく。 岡本の住民にしてみれば「住んでいる者が立ち上がってまちづくりを考えていかないと大変なことになる。 街は悪くなる」という危機感がありました。

改行マークそんな背景もあってまちづくり協議会ができたのではないかと思います。

後藤:

改行マークそうやってまちづくり協議会ができて、 住民と行政の共同作業が始まっていくわけですね。 時期的には岡本はちょうどいい時期に動き出しており、 昭和55年に地区計画制度が日本に導入され、 神戸市がいち早くそれを取り入れたまちづくり政策を打ち出してまちづくり条例を制定した時期と重なっています。 まちづくりにおいて環境を保全するという視点もこの頃から必要とされたのですが、 その後平成のバブル経済の時期になると、 西崎会長のお話のように日本のあらゆる所にビルがガンガン建って、 人も急増して「街」はめちゃくちゃになりかけたのです。 そんな時代の中で、 岡本協議会はまちづくりルールをつくって頑張りました。

改行マーク印象的だったのは、 住民が立ち上がったまちづくりにしては行政と対立したわけでもなく、 行政と仲良くしながら運動を進めていったことです。 神戸市は、 岡本地区のまちづくり以前にも真野地区で住民参加型のまちづくりを進めていました。 どちらも住民参加型のまちづくりであったのに、 真野地区ばかり脚光を浴びて岡本はあまり目立ちませんでした。 行政の立場からすると、 真野地区のように公害問題(住環境の悪化、 住工混在)など問題をかかえているところはやるけれども、 岡本のように一見何の問題もなさそうなところはあまり積極的に動かなかったように見えます。 住民が主体的にやってきたという体験から言えば、 岡本は自立型まちづくりと言えるのではないでしょうか。

改行マークそのあたりで、 行政とのつきあい方は難しかったかどうかを伺いたいのですが。

西崎:

改行マーク我々がまちづくり協議会を立ち上げた時は、 行政が指導したという形ではなく、 住民主導型で行いました。 ちょうどその頃、 神戸市がまちづくり条例を制定してまちづくりに力を入れ始めた時期でしたので、 我々の動きとマッチングしていたんですよね。 まちづくり協議会として神戸市の認定を受けることになり、 神戸市では5番目の協議会になりました。

改行マーク行政との関係で言えば、 住民と行政は車の両輪のようだと思います。 どちらが先に動いても車はうまく動きません。

改行マークただ、 行政について問題だと思うことは、 担当者の人が3年もすると替わってしまうことです。 行政の仕組みなのかもしれませんが、 仕事の引き継ぎがうまくないから相手が替わるたびに一からレクチャーしなくてはいけない。 そういうことで、 行政とつき合うにはテクニックがいるけれども、 昔のお役所仕事と比べると今の神戸市は良くなったと言えます。 上手に住民を使うようになったとも言えますが、 まあそれは考え方によりますね。

後藤:

改行マーク車の両輪というたとえが出ましたが、 現実には住民の方が早く動いて行政の動き方が遅いということになりがちです。

改行マークではここで、 実際の岡本の街をスライドで紹介いたします。

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