一つは、 地域や市民のニーズを反映しやすいということです。 きめ細やかで多様な生の情報を生かし、 「こと」「もの」「ひと」の関係性が高まるような作業プロセスを保証することにワークショップの意味と役割があるのです。
専門家の場合、 自分の思い入れで計画デザインしたりしますが、 ややもすると固定観念で、 機能性とかいろんな可能性について矮小化して考えてしまうきらいもあります。 優秀な専門家はそういうことはないかもしれませんが、 ワークショップにはそういうことを避けるという役割もあると思います。
2つ目は、 個性あるまちづくりや環境デザインができやすいんではないか、 ということです。
3つ目は、 参加者、 住民がお互いに高まり成長していける、 その中で可能性が汲み尽くされて、 第三の道の提案だとか多彩な能力が引き出されるのではないかということです。
4つ目に、 つくり過ぎない創造活動と言いますか、 ハードで全部片付けてしまおうとしないで、 ハードとソフトとの兼ね合いみたいなところでデザインすることも、 使い手、 住民が参加することによって可能になっていくのではないかと思われます。
いずれにしてもつくり手と使い手なり、 住民がお互いにクロスオーバーするプロセスをもっと設けて計画・デザインされていくことがあっていいのではないかと思います。 また結果としては、 住民の方も参加したことによって、 愛着を感じたり、 まちに誇りが持てる。 その施設やまちを大事に使うということにつながるのではないかと思います。 参加のプロセスを通じて公共施設の有効利用を図るとか、 住民が維持管理に参加する可能性が高まるといったこともありうるかもしれない。 そういったことも視野に入れて実験していくべきでないかと思います。
ワークショップの意味と役割
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