参加型デザインの実践
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参加の限界と課題

参加しない人をどうする

改行マークしかしながら課題や限界性もあります。

改行マーク一点目は、 参加する人は良いとして、 参加しない人をどうするのかということです。 結論から言うと、 自主的に参加するのがワークショップです。 強制は好ましいことではないわけですから、 まず最低限住民の積極層に参加の機会、 場を提供していくという事が出発点であって良いと思っています。 そういう意味では参加しない人にとってワークショップは何ら関係ない、 有効な手立てでもないと言わざるを得ないわけです。


地域の合意と言えるのか

改行マーク二点目は、 ワークショップが地域の合意形成手段と言えるかどうか、 という疑問です。 地域の全員が参加してつくり上げていくというプロセスがあれば、 あるいは地域で誰か代表者を選んでその人たちがワークショップに参加するのであれば、 それなりの理屈はあります。 しかし先ほど申し上げたように、 現実は自主的な人、 積極層の参加に依拠してワークショップをすすめることから、 参加するのは一部の人です。 ですから、 これをもって地域の合意形成とは言えないだろうと思います。

改行マーク地域は関係する全ての人の参加は非現実的でもあり、 一部の積極層が参加したワークショップの意味を、 日本のまちづくり、 都市計画の中で、 制度上どう位置づけるかが問題です。 積極層の合意=地域の合意ではありませんので、 積極層の合意を地域の合意に引き継いでいくいろんな仕組みが整備されないと、 合意形成の有効な手段とは言いきれないのではないかと考えます。


参加で良いデザインができるか

改行マーク三点目は、 住民が参加をして良い計画デザインができるのか、 です。 「参加方式をとればとる程、 ろくなものにならない」ということを専門家がよく言われます。 結論から言いますと、 ワークショップはあくまでも手法ですので、 どういうデザイン・計画をするのかということは、 それとして全く別に評価されなければなりません。 手段と目的がちぐはぐであったり、 未成熟であったりということは当然起こります。 参加など取り入れなくても専門家がデザインしたらもっと良いものができる、 ということも言えるかもしれません。

改行マークしかしここで申し上げたいのは、 先ほども触れたように、 誰の為、 何のためのデザインかということが問われている時代だということです。 今は、 評価主体が変わりつつあるのです。 ですから評価の基準も変わってくるのです。 そういった流れを無視して、 従来の専門家の視点のみから「良いか悪いか」を言っていて良いのかということです。

改行マークもちろん、 私たち専門家自身が、 参加のプロセスを取り入れてデザインすることに未熟であり、 能力が問われているという事もあります。 これは専門家として関わる我々にとって、 永遠のテーマだと私は思っています。

改行マークそういう意味では参加手法を取り入れたらから良いとか、 参加型だから駄目と言った短絡した評価レベルに留まることなく、 出てきた計画やデザインの結果について、 専門家の視点から真摯に批評しあう中で、 お互いに切磋琢磨していく姿勢や能力も、 専門家に問われていると私は考えています。


専門家は不要になる?

改行マーク四点目には、 参加型ワークショップを進めると、 地域に優秀な住民が育ち専門家はいらなくなるのではないかという疑問です。 建築学会でも3年ぐらい前にそういう議論がありました。

改行マークしかし私は参加型を取ればとるほど専門家が鍛えられると考えています。 どんな時代でも専門家はいらないという立場に組みするつもりは一切ありません。 やはり専門家は専門家としての役割を担うべきですし、 能力の水準はいろいろありますが、 それぞれの立場を尊重しあって住民と専門家の関係性がきっちりかみ合っていけば、 不要論は起り得ないと考えています。

改行マーク東京のあるコーポラティブハウスの事例では、 彫刻家であるユーザーの室内の内装がすごく良く、 建築家が設計料を返上して自分で設計してもらったという例があるそうです。 今のところは特殊解でしょうし、 建築家として面白くないとは思いますが、 そのように「委ねる」という関係まで土俵を拡げ、 課題に対応していける場合もあると思います。


どこまで参加が可能か

改行マーク5点目として、 方針づくりには住民が参加できるが、 計画デザインそのものまでは住民が関与できないのではないかという声もあります。 もちろん専門家には、 ニーズを受けていろんな考え方やコンセプトに基づいて作業し、 空間化したり、 デザインするという職能があると思います。 しかし私は、 住民がデザインに参加するのはおこがましいという立場は取らず、 いろんな可能性、 限界性を住民とともに探っていくことが必要ではないかと思っております。

改行マークと言いますのも、 残念ながら、 専門家不信が国民にあるからです。 丹下先生も立派なホールをつくっておられますが、 「建物は立派だけれども、 使い勝手があまりにも悪い」といった声を、 演者や演出家など芸術関係の方に伺うことも現実にあるのです。 それをどう捉えたら良いのか。 ワークショップを通じて専門家の役割をもっと理解していただき、 信頼関係を築いていく、 さらに専門家が尊敬されるような関係をもっともっと築いていくという作業が求められていると思います。

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