参加型デザインの実践
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参加の諸相

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当日レジュメ
改行マークまず、 参加に関連していろんなことが言われているわけですけが、 それをどういう風に考えていけばいいのかということを、 私なりに整理してみようと思います。

改行マークまず“参加”という言葉、 これは何かに加わる、 参って加わると書くわけですが、 “加わる”ということで広く捉えていいんじゃないかと思います。 何かに加わるということは、 加わる対象がすでにある状態ですから、 やや主体性に欠けるような語感を持っています。 よって参加という言葉が非常に軽いのではないかと、 抵抗感を持つ方もおられるようです。 ならば“何かを共にする”と言いかえれば、 何かが先行していることを前提にしなくても良いと思います。 そこで、 ここでは“共に何かをする”という読み替えをして議論を進めたいと思います。

改行マークこの“共に何かをする”という時の「共に」がキーワードです。 対して「何か」の内容は、 いろんなことが考えられるわけです。 何に参加するかによって、 何かの内容が変わってくるわけですが、 都市環境デザインに関係するものとして、 特に重要なものは“あらわれ”“選択”“製作”の三つです。


“あらわれ”としての参加=共通の場にいること

改行マーク最初の“あらわれ”は、 共通の場に現れるとか表すということです。 具体的には出展するとか出品する、 出場するということです。 今日皆さんもフォーラムに出席されていますが、 これはフォーラムに参加しているという言い方も出来るわけです。 オリンピックに出場することと参加することは同じです。 作品を出展することは実際に参加することでもあります。

改行マークそういう意味での参加を考えますと、 共通の場、 公的領域に私物が姿を表すということも参加だと言えます。 それは作品とか服装であるとか、 建物とか看板、 門構え、 塀という都市を構成する要素が、 例えば街並みに現れるということです。 街路に面した自分の店をつくるとか、 自分の建築作品を都市空間の中につくるということも参加です。

改行マークこの参加にも幾つかの形があります。 普通のまちでは個別的にバラバラにつくられ、 しかし結果としてその都市空間なり街並みという共通の場に現れるということがあるでしょう。 それに対して、 表している物は同じく自分の家や看板という私物であっても、 一定のルールを持って協調的に現れるということもあります。

改行マークその違いは、 思い思いの格好で参加する気軽なパーティと、 それなりの正装をして出席する結婚式やお葬式といったところでも見られます。 また再開発ビルのようなものをイメージしてもらえば分かると思いますが、 私物なんだけれども共同的に現れる、 あるルールに従って街並みのなかに現れてくるものがあります。 そういうものは私物であるけれども非常に公物に近いというか準公物的な意味合いのものと言えると思います。

改行マーク公的領域の現れということで参加と言ったわけですが、 私的な領域に対してはむしろ隠れるということになり、 参加とは言いません。

改行マークまた私物で現れるということを言いましたが、 いろいろな公共施設が公的領域に現われるということも当然あるわけです。 そういうときには共同体のシンボルになったり、 都市の個性として表出されるということもあるわけです。 それも一つの現われの姿だと思います。

改行マークいずれにしても共通の場に姿を表わすことはベーシックな参加のあり方ですが、 ベーシックであるがゆえにあまり気が付かない、 参加という形では見なされない傾向があると思います。


選択による参加

改行マークその次に選択による参加です。 これは共通のものを選ぶということで、 公物、 公的なもの、 ルールや計画案などを選択するということです。

改行マークそれを我々が手にする場合、 大きくいうと3つの形があると思います。

改行マーク一つはレディメイドのものを手に入れること、 その次はオーダーメイド(注文して作ってもらう)、 セルフメイド(自分で作る)という3つです。

改行マーク私物の選択、 特にレディメイドのものを選択する場合には、 市場に参加するということです。 これは経済の領域になっているわけですが、 公的なものを選択する場合には一般に市場以外のところで選択しています。 特に都市環境デザインでの選択を考えたときに問題になるのは、 一旦作ってしまったら取り替えがきかないということです。 作ってしまう前に幾つかの可能なものから選択する必要があるというわけです。


製作への参加

改行マーク次は製作への参加です。 これは要するに作るということに参加することです。 まちづくりが作るということになるのかは分かりませんが、 公園を作る、 家を作るということに直接参加することは実際にあるわけです。

改行マークただし私物の製作の場合には、 たとえ自分の家を自分で作っても参加とは言いません。 共通のものをみんなで作る場合に参加と言うわけです。 これにも公物であるとかルール、 計画案を作るなど、 様々な場合があります。

改行マーク先ほどハンナ・アレントの話で申しましたことをもう一度繰り返しますと、 製作とは非常に専門性が要求されるものであり、 職人気質みたいなものが仕事の質を支えるので、 参加とは両立しません。 一方、 選択という行為は鑑賞眼とか鑑識眼というものがありさえすればできる話で、 判断力の問題です。 洗練された常識人に委ねられるべきであって、 基本的に政治的なものであり、 参加がむしろ前提なんだということです。

改行マークそれを合わせますと、 公物やルールとか計画案、 あるいは公的領域に現れる私物、 そういうものは専門家が作り、 市民が選ぶべきだというのがアレントの主張だと思います。

改行マークここでいろんな問題が出てくるわけです。 例えばこの原則みたいなものを認めるかどうかが大きな分かれ道かと思いますが、 より日本の現実に近づけて問題を設定しますと、 以下の6つばかりの視点があるだろうと思います。

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