行政の仕事に関しては、 その多くが「合意」することが前提です。 もう予算がついた以上「合意」してもらって、 つくらないと仕方がないんです。 しかし、 「合意」を得なくてはいけないという前提から入ることが自体が間違っていて、 「合意」を得られなければ先延ばしにするとか、 つくらなくてもいいという事がないといけないと思うんです。 しかしたいていは「これだけの予算が付いているのでつくって下さい」「その過程で参加を取り入れて下さい」となっているのが現実です。
私は都市計画・環境のコンサルをしております。 私の会社には土木・建築をやる部署と私の所属する都市計画・環境の部署があるのですが、 参加の捉え方が部署によってかなり隔たりがあります。 土木や建築の人たちは、 住民に事業を納得させたいんだとい行政の意向を常に感じる立場ですから、 会社のなかでさえ話が合わないわけです。
まちづくりでは、 何かをやろうとすると、 まずそのまちの状況を知ってもらう、 気づいてもらうというステップがあり、 そのあとそれぞれの考えを持ちよって話し合いが出来るようにもっていくというステップがあります。 その次に自分で何がやれるかわかった人には、 自発的にやってみていただきます。 そこでは自分たちで出来ること自分たちでやるという考え方、 言い換えれば自治組織(コミュニティ)を形成し、 そこから次々と展開してゆくところまで狙っているというわけです。
一方、 土木・建築の場合は、 モノをつくるのに賛成してくれればいい、 モノをつくったあとの維持管理は行政がやるんだという認識です。 これでは「どこでサインするか」という意味での「合意形成」になってしまうと思います。 同じ「参加」という言葉を使っても、 どこまで狙っているのか、 ゴールが違うということを感じています。
私自身は住民がまちの中で行動できる所まで狙うのが、 ベストの「参加」なのではないかと考えているのですが。
道路でも、 そんな話しばかりじゃないんですよ(笑)。 岡本でも道路を拡幅しようということを数年前からやっています。 行政がやれといって、 それにサインするかしないかといったことではなく、 自ら取り組んでいます。 でも総論賛成・各論反対で今立ち往生しています。 各論反対は2、 3名なんですが、 それでも立ち往生しているんです。
神戸は震災を受けましたが、 私はその災害事例を調査しながら災害危険度マップを作り公開しています。 災害危険度マップを作れば、 消防車も救急車も通れない地域があることが一見して分かるわけです。 それを見れば反対している人も「なんで反対しているんだ」ということになる筈ですが、 そういう下地を行政が住民にきちんと知らせない所に問題があると思うんです。
まちの環境を改善する時には、 住民の役割にも行政の役割にも限界があるわけです。 ですからその辺をまちづくりの皆さんには考えていただきたいし、 環境への参加の仕方についても考えていただきたいと思います。
建設コンサルとして住民参加に携わっております。 参加について関わりながら感じたことをお話ししたいと思います。
地方に行って、 住民参加で河川をつくることになりました。 そこで「自然護岸にして石を置いて、 いわゆる多自然型の河川をつくりますので協力して下さい」と言ったところ、 「いや、 そんな河川はいらないから、 三面張りにしてほしい。 その方が安全だから」という答えが返ってきました。
また、 急傾斜地の前に家がいくつかあると、 崩れないようにしなければならないわけです。 最近は「わがまちの斜面構造」というのが建設省から提唱されています。 コンクリートで貼ってしまうと見た目が汚いし、 自然を守るためにも木を残しましょうという話をしようとして地元に入ると、 「いやコンクリートで固めてもらった方が見た目が安全だからそうしてくれ」と言われてしまう。
背景には情報がきちんと公開されていないし、 情報提供ができていないということはあります。 木を残していても安全な斜面ができる、 見た目が土になっていても、 安全な川にできるということがきちん説明されていないところへ、 きれいな絵だけを見せても、 どうしても反発が出てきます。 とはいえ、 住民から出てくる答えは必ずしも最善のものではないということも事実です。
参加という言葉自体にも問題があると思います。 実際には参加ではなく、 みんなが主体となって取り組むべきものだと思うんです。 それぞれの立場で自分が主体になってやるべきだし、 そのためにも行政や我々のような建設・土木の専門家が、 情報を分かりやすい言葉できちんと公開するということから始めないと、 参加型がなかなかうまく機能しないのではないかと思っています。 思いながらなかなかそれが出来なくて苦慮しているところなんですが…。
また、 行政側から言いますと、 予算がかなり厳しく切りつめられている中で、 住民参加を勝ち取らないと国から補助金がおりないというのはよく聞く話です。 そのために参加を儀式的にやっている所が多いのが現状です。 そういった面を改善していかなければならないし、 お金がかからないようにするためにも、 住民が参加するのではなくて、 自主的にどんどん出ていって自分たちでやるという姿勢が、 参加型の基本ではないかと思います。
私が一番疑問に思っているのは、 まちづくりの中に景観は入るのかという事です。 モノをつくるとか、 形にするというのは、 当然景観をつくることになります。 しかしまちづくりは、 なかなか景観まで行かない、 モノまで行かないわけです。 形にする、 デザインするというのは、 当然プロの方が設計するわけですが、 果たしてそういうレベルまで一般の人を引っ張ってこれるのか。 そこまでやろうとすれば、 当然そのために修得して行かねばならない諸々があるわけです。 景観というのは、 ある程度プロが関わっていかないと無理なのではないか。 まちづくりと言いますか、 計画レベルまでなら、 プランナーに入ってもらえば出来るのかなという思いがあります。
私自身が関わっているのは田舎の方ですが、 そこで感じるのは本来のまちの中のまちづくりと地域のまちづくりは、 全く違うのではないかということです。 田舎というのはもともと安全な所に住みかがあって、 洪水や崖崩れといった恐れのある危険な場所は、 当然まちの周辺にあったわけです。 また、 そういう知恵の蓄積があった。 しかし今は田舎の方でもそういうことを忘れているのかなと。 本来集積されていたはずの知恵が忘れ去られてしまっていて、 そういう事をもう一度説明するのもまちづくりになるのかなと思いました。
三面張りが悪くて多自然型がいいという前提で地元に入っていき、 住民の答えが違うと「住民がおかしいのではないか」と言うのだったら、 極端に言えば参加などやらないで、 確信を持って多自然型でつくられたらいいのではないかと思います。
また、 澤さんがおっしゃるように景観デザインは専門家がやらないとダメなんだということになると、 なんのために参加をするのかと思えてしまうんですね。
今までの考え方のままで、 参加を得て納得してもらって、 みんなに愛されたら、 もちろんうれしいだろうし、 建設省もうれしいだろうけれども、 そんなことのためにわざわざイベントに出ていく元気は、 少なくとも私にはないわけです。
参加して下さいと言いますが、 参加によってその計画が潰れるかもしれないし、 あるいは自分たちにとってはとても納得できない、 あるいはひょっとしたら後世に悔いを残すことになるかもしれないという事も含めて、 どこまで参加した人たちの意志を尊重するのか。 あるいはそれをどこで止めるのか。 それは「ダメだよと」いうのが、 いったい何処にあるのか、 誰がどの立場で言うのかが、 お聞きしているとよくわからないんです。 参加をしたら予定調和的に何か良いものができる、 できる筈だと思って議論されているような気がします。
もう一つデザインと芸術についてですが、 例えば小林さんも丸茂先生も映画などは個人的な営為で孤独につくるものだとおっしゃったのですが、 メジャーな映画は建築以上にマーケティングされていて、 モニターの意見に従って変わっていくわけです。 場合によると結末までユーザーに受けるために大きく変えられたりします。 そういう意味では建築とか都市環境のようにユーザーとは無関係につくられて、 しかもつくった後評価を受けないものは他にないのではないかとすら思えます。
つまり普通の製品であれば、 不評をかえば売れないし、 あるいはお客さんが見に来てくれないから死んでいくわけです。 しかし建物は建ててしまうと残ります。 顧客と無関係に存在しているなかで、 なぜ専門家がつくれば良いものが出来るということができるのでしょうか。
ポストモダンのへんてこな建物や、 強引な、 あるいは無能な都市計画ばかり話題になってとても損をしているとは思いますが、 少なくとも専門家への信頼は地に落ちているという現実を忘れないで欲しいと思います。 だからこそ専門家には何かに迎合するのではない志の高さと、 主権者は国民だと言う当たり前のことを忘れない謙虚さを期待するのですが。
行政の役割と参加の目的
合意を強制する行政
谷口:
本来は主体形成こそ目的
野村恭子〔アジア航測環境部〕:
情報提供がまず肝心
田中(三):
無理解な住民もいる
平田顕三〔国際航業関西事業本部地域開発部〕:
住民参加ではなく住民主体へ
平田:
モノづくりはプロの手で
澤:
何のための参加型か
前田裕資〔学芸出版社〕:
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