参加型デザインの理論
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場所に密着した展開の仕方が必要

佐々木

改行マークデザイナーが参加に関わった場合、 自分の意図と住民の方々の多数の意見とが合わないというのは、 もう当然の事なんです。 私たちのような近代主義の計画論を研究した連中の意識のなかには、 ある一つのテーゼがあったんです。 記号があって、 それを当てはめることによって絶対像に近づくという暗黙のプロセスを刷り込まれてきたわけです。 三面張りの例もそうですが、 それがいいんだというすり込みがあって、 どうもそうではないという現実にぶつかった時に引き返す余裕をデザイナーは持っていなかったと思うんですね。 絶対正しいものはあると思っているために、 地元の方々の意見は素人の意見だと思っていたのです。

改行マークところが持続ということが出てきて、 まちがそれで持続するかといった時に、 技術的にはフォローされているけれども、 住んでいる人たちが関わることで、 その環境が維持され、 保存され、 育てられていくのを見た時に、 一つのテーゼだけではどうしてもうまく行かないということが最近になって分かってきたんです。 そういう部分は生活風景に最も関わる部分において露出してきているわけです。 そこにおいては徹底して振り返って、 そこから育てるという形へデザインをシフトをしなくてはならないし、 そこでは純粋な美学を追い求めるようなことは止めた方がいいわけです。 そこには生活の美学というもっと別の美学があって、 そこからは醸し出される匂いがあるわけです。

改行マークところが、 例えば都市空間の必要性を求めなければならないとなると、 また別の話になります。 商業空間とか都市の中心性とかモニュメント性などを求めなくてはならない場合、 そこにおいては徹底的な一つのテーゼを出してもいいだろうと思っています。 それは全部同じことをやるのではなくて、 その場所場所の性能や空間の意味を読みとることによって、 デザイナーがそれぞれその場所に密着した展開の仕方をしていくことが、 今求められているのではないかと思います。

改行マーク灘の浜の例では、 当初は大きな畑をつくったんですが、 それをお年寄りが管理するのは大変だと思ったんです。 ですから一人で管理できる管理のスケールを計算しまして、 路地花壇になったんです。 ここまでがデザイナーの記号論で、 そこからの活用の仕方、 何を使いどうされているかは、 住民の方から学んでいるんです。 ですからこの議論で非常に面白いと思ったのは、 利用における主体とはいったい何なのか、 デザイナーとしてのつくり手の主体とは何なのかということです。 主体同志がぶつかった時に対話になるのだけれども、 長続きする対話の場所を持たない限りにおいては、 離反して行くだろうと。 会話が接着剤になって、 じっと相手の意見を聞いて、 本音を探るじっくりした時間を住民の方々が持ち始めてこられたというのが、 神戸での快挙だと思っています。

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