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−環境共生−
環境破壊の免罪符になっていないか

矮小化された環境共生装置
技術を語る前になすべきこと

都市設計工房

成瀬惠宏

エコロジー・リサイクル・サスティナブル

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第15回まちづくり設計競技での私達の提案
 最近、 巷には「環境共生」を巡るエコロジー・リサイクル・サスティナブルなどという言葉が溢れているが、 これには宇宙でも稀なバランスの上に多種多様な生物を育む緑の天体(地球)を人類の手で破壊することがないようにとの思いが込められている。

 人類だけが宇宙船『地球』号に乗り込んでいるわけでもないし、 仮に最後まで生き残ったとしても長く生き続けられるという保証もないからである。


自然環境の保全を巡る多彩な論点・疑問点

 往々にして、 本来の“あるべき姿”を巡って議論が白熱し空転したり見解が相違したりするが、 私自身にも、 例えば、 次のような疑問が沸いてくる。


環境共生デザイン活動はある種の社会運動

 そうした中で、 人間活動と自然環境が共存共栄できるバランスを見極めることは至難の技である。

 1992年のブラジル地球環境サミットでの「サスティナブルデベロップメント/持続可能な発展」や「シンクグローバリィ・アクトローカリー/地球的観点で考え身近な場所で行動しよう」というキャッチフレーズの中には、 地球環境が行き詰まってしまう前にやれることはやっていこうとの意味が込められる。 ある意味で、 人間活動と自然環境の何年か前の状態へ復元させていく過程という見方もできる。

 だから、 地球環境への感謝の気持ちと危機感を持ちつつも各人が身近な場所で参加できることをステップ&ステップでおこなうことが重要である。 多少は妥協的な側面も目立ってくるが、 多くの人々を巻き込んで無理なくやれるという視点が重要である。


環境共生装置・技術のオンパレードに危惧

 しかし、 私は長らく新都市(ニュータウン)開発や住宅地開発に関わりながらも自然環境との調和を追い続けているが、 昨今の“環境共生”という名の装置や技術に頼る先行事例が多くて面食らっている。

 世田谷区深沢や多摩ニュータウン長峰での環境共生住宅プロジェクトを見ても、 前提条件を知らなければ最適解だったのかという疑問も沸いてくる。

 例えば、 深沢では、 世田谷区のような密集市街地を本当にエコロジカルに改善したいのであれば、 公園など完全なオープンスペース化を試みる努力の方が必要だったのではないかという見方もできる。

 また、 長峰では、 現況の地形や樹林等は残っておらず、 凡そ「環境共生」を感じさせない風景から、 我が国のようなモンスーン気候に耐えるサスティナブルな環境を本当に創出し得たのか不安も覚える。

 しかも、 環境共生の“装置や技術”を売り物にしている点が非常に気になっている。 それで自然環境の早期復元できるなら」」ということで、 安易な環境破壊がはびこるかもという危機感すら覚える。


ゼロエミッション、 リサイクル百%に疑義

 そうした環境共生の“装置や技術”による環境負荷を最小限にしようという姿勢や意気込みを究極の形で表現したのが、 あの「ゼロエミッション」や「リサイクル百%」というキャッチフレーズである。

 しかし、 こうした「ゼロエミッション」や「リサイクル百%」を語る前に、 物に溢れ過ぎた人間社会を反省する、 例えばペットボトルに代表されるような不要不急の原製品を産み出すことの是非を問わねば、 本当は意味がないのではないかという気もする。

 また、 都市のスクラップ&ビルドからも早々に脱却し、 人間定住の主要な場として“ストック”を生かし積み重ねていくという姿勢が重要になる。

 このような観点から、 私は「環境共生」デザインを進めるにあたっては、 多彩な技術や装置に頼ろうとする前になすべきことが多々あると考える。

 常日頃、 私が言っている「安易に自然環境を破壊するな」という主張は、 こんなところにある。


環境共生の実践デザイナーが持つべき資質

 そうした「環境共生」を実践するデザイナーが持つべき資質について触れる。 従来の建築デザインや都市デザインあるいは景観デザインは“人間至上主義”であり、 人間以外の“生物至上主義”とも言える「エコロジカルデザイン」の主張を検証してみる。

 例えば、 河川景観デザイン分野の土木研究所・島谷幸宏氏の主張は「……従来のデザインにはデザイナーのオリジナリティが要求されるのに対し、 エコロジカルデザインは、 そこで成立している形や植生の成立の要因を読み取り、 それを真似るデザインである。 デザイナーに要求されるのは、 形を創造するオリジナリティではなく、 形を成立させている環境を読み、 理解して再現する能力である。 ……エコロジカルデザインでは、 構造物はなるべく目立たず、 自然の中に溶け込むこと(融和あるいは埋没のデザイン)が基本になる。 ……エコロジカルデザインは、 従来のデザインとは異なる脱人間主義のデザインである。 従来のデザインとは違って自然が主体であり、 デザイナーはあくまで黒子である。 自然を生かすことが中心であり、 デザインしていること分からないのが上手いデザインである。 ……デザインナーにとって重要な資質はオリジナリティではなく、 現象を的確に把握し、 その原理を再現する能力である。 /造景No. 11」とある。

 私は、 こうした「エコロジカルデザイン」の考え方が人間活動と自然環境との共存共栄的バランスをめざす「環境共生デザイン」にも有意義と見る。


環境共生デザインにおける基本原則と課題

 国際自然保護連合IUCNは、 1980年に『国土計画や都市計画を検討する場合の自然を上手く残すための五原則』((1)広いほど良い(2)分割しない方が良い(3)分散させない方が良い(4)道で結んだ方が良い(5)円形に近い方が良い)を発表しており、 都市部での「環境共生デザイン」においても有意義と思われる。

 しかし、 これが人間にとって「好ましい」とか「美しい」とは限らない場合も予想されることから、 この二律背反を上手く解決する役割として、 私たち“都市環境デザイナー”の出番があると考えられる。

〔西暦2000年9月17日/成瀬 惠宏〕

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