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気持ち良い場所を求めて

自然エネルギーの利用というけれど

エイライン

横山あおい

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季節を感じる気持ち良い場所
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豊かさを感じる気持ち良い場所
 秋になると、 やっぱり紅葉狩りに行きたくなる。 紅葉狩りは、 別にもみじを狩り取らないのにどうして紅葉狩りというのだろうかと考えつつも、 近頃、 なかなか良い紅葉に出会えない。

 原因の一つに、 地球温暖化があるらしい。 温度の差が紅葉をよりいっそう鮮やかにさせると聞く。 地球温暖化は、 私たちの楽しみも奪って行くのだ(実は、 もっと深刻なのだが…)。

 紅葉といえば、 以前、 私は、 京都のお寺をライトアップしたことがある。 もみじで名高い寺である。 住職に教わりこの寺で、 最も美しく紅葉するもみじを一生懸命ライトアップしたものである。 この年そのもみじは、 美しく色づかなかった。 照明の失敗といえば、 広大な水田に走る農道を整備したときにも、 稲が実らなくなったことを経験したことがある。 これは、 共に生きる物の生理を知らなかったからである。 小さな知らないの(または、 無視)積み重ねが、 大きな大変になってしまったような気がする。

 共に生きる物の生理ということでいくと、 私は、 あのソーラーパネルのデザインが好きではない。 どうも生理的に受け入れられないのである。 夏の暑い日に太陽の反射でぎらついたパネルは、 あの大都会で、 舗装材と建築に囲まれたぎらぎら暑い空間から受ける不快さに似たものを感じるのである。 街中の屋根が、 あのソーラーパネルに埋め尽くされたらどうしよう。 装置の中で暮らしたくない。 暑い、 冷たい、 硬い、 機械的。 環境という言葉を武器に、 高度経済成長期に機能と効率、 効果で進んできたあの現象と同じにならないかと心配している。 豊かさや、 経年変化の美しさ、 不規則の楽しさなどが排除されてしまいそうな気がしてならない。 しかし、 地球は、 もしかしたら、 死にかけの病人かもしれない。 死にかけの病人は、 装置に囲まれるしかないのかもしれない。 でも、 クーラーの風よりも自然の風のほうが気持ち良いと私は感じる。 一個の生き物としての私が、 感覚的にいやなのであれば、 他の生き物たちにとっては、 もっと受けいれられない環境を作るのかもしれない。 少なくとも環境共生を考える上で、 私は、 自分たちにとって居心地の良い自然との関係を大事に考えることを基本に、 私たち以外の生き物たちを無視してはいけないと考えるのである。

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