私はこの2000年の3月まで、 都市基盤整備公団に勤務していました。 公団では「環境共生」という言葉は、 耳にしない日はないくらいに、 一般的なものになっていました。
現場では、 「ビオトープ」が環境共生であり、 「浸透桝」が環境共生である、 という感じで仕事をしていたような気がします。 とにかく環境によい、 とされるものは、 なんであれやっていこう、 という感じだったと思います。
私自身は、 職種が造園職だったこともあり、 生物環境も含んだ、 緑環境づくりを中心にやってきました。 なかでも専用の重機を使った、 大径木の大量移植による林づくりを、 三田市のウッディタウン、 相楽群精華町の光台などで試み、 なんとか初期の活着を得、 ある程度の成功はしたと思っています。
この試みは、
環境共生をめぐる議論の中には、 生物的多様性をめぐる問題や物質やエネルギーをめぐる熱力学的問題、 社会システムの問題などが相互に入り組んでいて、 ひとつひとつの試みを、 総合的に評価していくのはなかなか大変です。 実際私も、 実務のなかではこのあたりは不問に付してきてしまったと反省しています。 こうした複雑な問題展開のなかで、 デザイナーに何ができるのか、 というのが今回のフォーラムのテーマなのでしょうか。
さる9月8日に、 京都市のギャラリー楽で開催された小シンポジウム「京の自然と風土」で、 中村一先生のお話を伺いました。 その中で「風致とは、 視覚によって外から感じるものではなく、 その中に入り込んで五感で感じるもの」「直接五感で感じるということが、 子供たちにとって特別に重要」と話されていたのに、 強い感銘を受けました。
この10年、 公団の先輩の縁で、 水(辺)環境の復元についての様々なシンポジウム等の企画に入り込んできました。 1990年代の初めの頃は、 近自然工法が紹介されたころで、 河川断面等のディテイルの議論が中心でした。 1995年の「大和川河川塾」、 96年の「全国水環境交流会&シンポ(近畿大会)」のあたりから、 地域の生業に注目した流域連携に、 市民の関心が集まり始めたような気がします。
そして、 この9月に八幡市で開催された、 「『川に学ぶ』シンポジウムin近畿」では、 そうした流域圏地域づくりと、 川での直接経験の継承とが、 お互いがお互いを根拠づけるような、 不可分の関係にあるのだ、 という認識に至ったように思います。
直接経験によって学んで行くことが、 次世代のよりよい環境づくりにつながっていくのだとしたら、 そうした直接経験の場をしつらえていくことが、 デザイナーの大事な仕事になっていくような気がします。 これは、 中村先生の仰っていた「風致のデザイン」そのものなのかもしれません。 このときに、 既存の「アメニティ」だけでなく、 本当にいろいろな環境の諸相(危険なものも含めて)を実感できる、 モノとしくみのデザインが必要になってくるのでしょう。
私のつくった林が、 子供たちのそんな体験の場として育っていってほしい、 と願っています。
「直接体験の場」のデザイン
京都造形芸術大学
下村泰史
1 成熟木をつかって、 良好な樹林地環境を形成
といった動機に支えられていました。 実際できあがった空間は、 なによりも樹木の大きさに支えられ、 人間の感性に対しては一定の訴求力を持つものになったと思います。 しかし、 それが本当にエコロジカルに優れた空間になったのか、 重機使用による負荷も含めて本当にリサイクルとして意義があったのかは、 実のところ未検証です。 当初掲げていた「新しい里山づくり」などという唱い文句はちょっと言い過ぎだったかもしれないと思っています。
→生物生息環境への寄与
→アメニティへの寄与
2 消失する樹林の資源の有効活用
→開発におけるリサイクルとしての意義
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