環境共生をテーマに、 最近は、 いろいろな場所で、 ビオトープが見られるようになり、 街中には、 ガーデニングブームと共に、 市民農園や、 家庭菜園が、 盛んに見かけられるようになった。
その背景の一部には、 土を見て怖がる子供がいることが問題となったり、 園芸療法が、 人の心を癒すことが話題になったりと、 生き物と共に暮らす暮らしが、 見なおされてきていることがあげられる。
街中に溢れ出した、 ビオトープや、 市民農園。 確かに自然と触れ合うことは、 とても良いことだと思うものの、 「良いかもしれないけれど、 なんか、 きたないなー」というのが、 私の正直な気持ちである。
ある小学校のビオトープを覗いてみた。 ゼロエミッションを目指し、 校庭のあらゆる所に工夫が見られた、 近くの材木屋の木くずや、 学校給食の残り、 雨水などを動物植物を介し循環させている。 すごい手作りの装置と、 観察記録である。 今年は、 山のようなカブトムシの幼虫が生まれたと話されていた。 しかし、 臭い。 私は、 小学校のときに、 「ちゃんと片付けなさい」、 「きちんと掃除をしなさい」と教育されてきた。 学校内は、 一生懸命掃除したものである。 この違和感は、 何だろうと感じつつまだ解決できないでいる。 街中のビオトープを見ても「汚い」、 「管理が大変」等と思ってしまう。 市民農園を見てもなんだか小汚く感じる。 といいつつ、 その農園で、 野菜作りを自分は、 楽しんでいるのも事実である。
最近、 放置されている埋立地にビオトープを見かけた。 自然にできたもののようである。 気持ち良い。 夏の棚田風景は、 これまた気持ち良い。 この違いは何だろう。 場所の問題なのか、 スケールの問題なのかそう言えば、 『日本の庭』と、 今はやりのビオトープ、 循環型社会システムとは、 何が違うのだろう。 とにかく、 環境共生を感じるのは、 どっちなんだろうか。 環境共生するにも日本には、 日本の都市環境デザインがあると考える。
環境共生へのさまざまな試み
環境共生と都市デザインの狭間
エイライン
横山あおい
小学校の校庭外周路
小学校内ビオトープ
市民花壇
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ