生きた公共空間、生き生きとした公共空間
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忘れかけた「屋外生活」を取り戻すことの意味

 

 私たち日本人は、 昔から公共空間をはじめとした屋外で様々な活動を行ってきたのですが、 そうした活動自身がモータリゼーションなどの影響で現在はどんどんなくなってきています。 それが、 上記のような公共空間利用実態調査の背景にありました。


古くて新しいJ.ゲールの主張

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屋外活動と屋外空間の質の関係(J.ゲール)
 「忘れかけた屋外生活を取り戻す」というのは、 ヤン・ゲールという人が1987年に書いた『屋外空間の生活とデザイン』(北原理雄訳、 鹿島出版会)という本の中で述べている言葉です。

 ゲールによると、 人間の活動は3つに分類され、 一つは毎日の日課になっているような「必要活動」、 そして、 したい気持ちがあって時間と場所が許すと出てくる「任意活動」、 さらに複数の人達が行う「社会活動」があるそうです。

 またもう一つの軸として「物的環境の質」と上記の活動分類との関係を整理しています。 例えば、 環境が貧弱でも必要行動は起こりますが、 任意活動や社会活動はあまり起こりません。 逆に環境を良くすることによって特に任意活動が起こってくると述べています。


ヨーロッパやアジアの豊かな屋外空間

 ヨーロッパ、 特に北欧の方ではここ15〜20年間に屋外空間の質を向上することによって屋外でのアクティビティを盛んにするような取り組みをしてきたそうです。

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ドイツ・ブレーメン市のマルクト広場
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ベトナム・フエ市のマーケット
 北欧に限らず私たちがヨーロッパに行くと、 街の中心の広場でこういったカフェなどの風景がたくさん見られます。

 特にドイツでは都心部を歩行者空間として開放してきた歴史があるので、 様々な空間が創られています。

 先進国ばかりではなく、 私が昨年行ったベトナムを例にとっても、 道路というものが生活空間、 あるいは商売の空間の一部として盛んに使われていました。

 ベトナムのフエのバザール(市場)では、 両側の店の前の通路で店を持たない人達が勝手に商売を始めます。 市場の管理者がここでは営業してはいけないと排除しても、 彼らはしばらくすると戻ってきて商売を続けます。

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ベトナム・ホーチミン市内
 また、 ベトナムでは集合住宅の中に入ると、 その中の特に階段室に近い住戸の人が自分の玄関口でお店をやっていたりします。

 こういうものを一つ一つ見ていくと、 道が持っていた本来の意味や、 道と店との関係の原点が見えてくる気がします。

 人が通る所は「モノとモノの交換」「モノとお金の交換」という交易が起こる場所であって、 そういう所に店が出てきているのです。

 どうやら日本では、 こういった道と店の関係の原点が廃れていってしまっている気がします。


環境共生都市と屋外空間

 私は環境工学を専門としていますが、 まちづくりなどで環境共生を考えて行った場合には、 「コンパクトなまちをつくろう」ということがよく言われます。

 ある程度コミュニティ単位でまとまった、 近隣レベルを重視した空間を人間尺度で創っていこうということがあって、 その中では車ではなくて歩行者や自転車を重視した空間をつくって、 それを公共交通で繋いでいこうという考えです。

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ドイツ・ダルムシュタットの都市空間
 ドイツのダルムシュタットという小さな街では、 公共空間を重視し、 都心空間からは自動車を排除して道路を地下に潜らせ、 広場には車が入ってこないようにしていました。

 公共空間と言えば主役は人間だというスタンスで、 わりとコンパクトな都心を創って賑わいを出していました。

 このように街の空間像としては、 屋外空間を充実して歩いて楽しい街にしていくことが環境にも貢献していけるのではないかと思います。

 環境共生とともに自然共生もよく言われますが、 例えば緑とか土とかいう以前に、 「外気」あるいは「空気」と接すること自体を私たちは忘れているのではないでしょうか。

 たまに外で昼食を食べるとすごく美味しいものです。 そういった「外気」との関係を都市生活者は取り戻していく必要があるのではないでしょうか。

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