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昭和20年の御池通りです。
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明治時代の四条橋付近です。
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明治時代の円山公園からの眺望です。
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1929年の池田遥邨さんの「京の春宵」という絵画です。 新京極には芝居小屋やお寺があり、 鴨川には柳と桜が交互に並び、 瓦の家並みが続くという美しい風景です。 この頃の京都が一番きれいだったのではないかと思います。
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明治初期、 八坂神社の西楼門の上から写した祇園石段下の写真です。 現存する町家の多くが二階は虫籠窓で背が低いのですが、 この写真からは二階の背が高く、 二階にも格子をもつ建物が多いことが分かります。 洛中洛外図にも同様に背の高い町家が多く描かれており、 大きな通り沿いには背の高い町家が並んでいたようです。
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昭和初期の祇園石段下です。 明治時代の終わりに道路が拡幅されました。
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現在の祇園石段下です。 近代化はされていますが、 都市デザインとしては何も特徴がないまちになってしまっています。
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昭和5年頃(1930年頃)の室町姉小路付近の写真です。 祇園祭り当日であるため、 提灯が並んでいます。
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現在の状況を反対側から撮った写真です。 近代化自体を批判するよりも、 今後いかに近代的な都市美をつくっていくかが課題であると思います。
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四条通り一力付近です。 デザインは必ずしも悪くはないのですが、 建物の規模が問題なのだと思います。
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室町通りと五条通りの交差点の付近の図です。 白色が2階建て、 灰色が平屋、 黒色が庭です。 昔の町家街区は真ん中に平屋と庭が続いている空間があり、 採光と通風が確保されていました。 これは所謂オープンスペースではないのですが、 非常に重要な空間であると思います。 (出典:『都市デザインの手法』)
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現在の状況です。 空地の全体量には大きな変化はありませんが、 その配置が全く変わってしまっています。 また、 平屋建ても少なくなっており、 以前のような連続的な空間が失われてしまっています。 建物が建て替わるたびに、 昔からの秩序が失われてきているのです。 この地区は五条通りに面しているため大きな変化が見られますが、 場所によっては現在もそのような空間構造が残っているところもあります。
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錦商店街の裏です。 現在も街区の真ん中に緑の空間が続いています。 現在はそのような空間構造を維持していくための制度がありません。
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時間の都合上今日はここまでにしておきます。