魅力ある都市観光とデザイン
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川の賑わいをまちの賑わいに〜なにわコミュニティツーリズム

株式会社せのや 野杁育郎

 

■DSJの取り組み

 私が所属していたDSJ(道頓堀スタジオジャパン)は2001年4月に設立致されました。その10月には道頓堀とUSJを結ぶ水上バス「オクトバス」を運行開始致しましたが、結局3千万円の赤字を出しまして、翌2002年3月には運行を休止しました。私が社長に就任致しましたのは、その直後でございます。それ以来、道頓堀を活性化すべくコミュニティツーリズムやとんぼりリバークルーズなどの企画を立ち上げて参りました。今日は、そんな話をさせていただきます。

 まずは、戦前ミナミに芸妓さんが数千人もいた頃の写真と音楽で、この宗右衛門町がどんな街であったかをご想像ください(DVDは省略)。

 音がよく聞こえなくて恐縮ですが、南地囃子の中に「かむひやかむひや、ウエルカム」と英語の歌詞があったのお分かりでしょうか。この頃は、こんな英語の歌詞を取り入れた歌が多かったようでございます。

 さて、現代に話を戻します。DSJという会社は、地元の商店主や大阪で芸能に携わっている人びと、市民のみなさんが集まって、ミナミを活性化するために立ち上げたまちづくり会社です。約四十数人が参加しています。社名は、USJが出来ましたときに「何かインパクトのある名前が欲しい」ということから名付けました。

 DSJ設立当初の目的は、ミナミを集客観光都市として発展させていくためのまちづくり会社でした。当時、USJがオープンしたらかなり道路が混むだろうという話があって、それなら水路を利用したらいいだろうということから水上バス「オクトバス」を就航させたのですが、これが大失敗に終わってしまい、その後何をしたらいいのかをみんなで相談することになりました。最初の事業からDSJは水運の会社だと思われていたのですが、やはり当初の目的通り「大阪を元気にするまちづくり」の方に意識を切り替えようということになりました。

 2002年3月(平成14年)には、「水都復活特別イベント」と銘打ち、1000人の人を集めた水都再発見ツアーを企画しました。これは、道頓堀川から木津川・土佐堀川・堂島川を巡り、天保山までの約2時間をめぐるツアーです。アメリカのサンアントニオや国交省、大阪市等からゲストも招いての「水都再生セミナー」を開催するなど、いろんなことをやりました。

 その後もいろんなイベントを開催しましたが、私が一番記憶に残っているのは、2003年(平成15年)に開催された「水都ルネッサンス大阪」の中の社会実験である「手漕ぎ和船運航事業」です。この時、滋賀県の近江八幡でやっておられます水郷めぐりの船を借りてきたのですが、船頭さんまでは連れてこられなかったので、30人ほどを新聞で募集したのです。そうしたら、3百人ほどが申し込んでこられました。大半が60代以上の方々で、「若いときは船に乗っていた」と腕に覚えのある方々でした。本当言うと、海の舟と川舟は扱いも違うのですが。

 その時の面接の会話で「お金を払っても良いから、もう一度舟をこぎたい」と言う方が少なからずいらっしゃったことは、今でも印象に残っています。中でも、この時のツアーに一族郎党を呼んできて、船頭のおじいちゃんが一世一代の晴れ姿を見せたということがありまして、「水都再生ってこういうことなんだろうなあ」と思ったことがございます。

 その後、平成17年(2005年)には、経済産業省の「サービス産業創出支援事業(集客交流サービス)採択調査事業」に、「なにわコミュニティツーリズムコンソーシアム」として参加しました。この中でいろんな社会実験をしながら、今あるとんぼりリバークルーズ、まち歩きガイドツアーなどが定着していったわけです。

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DSJ年表
 

■なにわコミュニティツーリズム

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ミナミタウンテーマパーク構想〜入場無料の博覧会場
 
 これは、ミナミの街全体を入場無料の博覧会場、街全体をテーマパークとして位置づけた企画で、そのアトラクションのひとつが「まち歩きツアー」であり、「とんぼりリバークルーズ」であるのです。

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大阪ミナミのまち
 
 ミナミの街を対象にしたガイドブックも多数発行されていて、いろんな訪問客の方々が大勢ミナミを訪れてくださっています。しかし、それにもかかわらず「どこをどう歩けば楽しめるのか分からない」という方はたくさんいらっしゃいます。昔大阪駅でタクシーに乗った人が「梅田まで」と言った笑い話もありますが、ミナミでも戎橋から「難波まで」と言う人もけっこうおられるようで、地理勘も含めて歩き方などの指南をしていく必要はあるだろうと思っております。

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とんぼりリバークルーズ
 
 社会実験のひとつとして始めたのですが、当初は遊覧チケットひとつ売るのにも煩雑な手続きが必要で、河川法というのはほんまに難しいもんやなあと痛感させられました。それでもこうした社会実験を通じ、関係者にもがんばって頂いて、定着するにいたった次第です。

 資料は夏の実績です。平成17年8月10日から9月19日まで41日間運行致しました。

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コミュニテイツーリズムとは
 
 我われは、ツーリズムを舟での遊覧だけではなく、我われの普段の日常を観光客の方々にも体験して頂きたいと思っています。大阪の魅力はそういう日常生活にあると思いますし、それをコミュニティツーリズムと位置づけ、お仕着せの観光コースではない新しい観光交流サービスとして発展させていきたいと思っています。

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クルーによるまち歩きガイドツアー
 
 コミュニティツーリズムを具体化したのが、ガイドさんによるまち歩きツアーです。今度大阪でもたくさんのガイドさんがデビューされますが、地元のことをよく知っているガイドさんによってお店や地元の人の魅力、楽しさを引き出すことが出来れば、観光客と地元の距離が近づくのではないかと期待しています。

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検討課題
 
 検討課題として上がっていることに、どういうコースを開発していくか、どういうガイドさんにやっていただくかということがあります。ガイドさんにしても、ボランティアなのか、コミュニティビジネスとして稼いでいく必要があるのかという選択肢があります。私個人としては、ボランティアとしてやっていくのは限界があるので、コミュニティビジネスとして収益性を追求していくべきだと考えております。


■なぜ今コミュニティツーリズムなのか

 まち歩きをやっていて絶えず思うことは、まち歩きの対象になっている商店や施設の方々の本音はどうなのかということです。ガイドさんやツアー参加者にはいろんなアンケートをとっていますが、本当はこういう人たちの意見をもっと汲み上げないといけないのではないかと思っているのです。街の受け入れ側が、このコミュニティツーリズムをどう捉えているのかが、今後の発展を左右するのではないかと考えています。

 というのも、当初まち歩きツアーを企画した際、「そんなことしてて商売になるのか?」という懸念が商店街から出てきたからです。確かに、一軒一軒のお店にしてみたら小さいのでしょうが、今は万博の頃と比べたら、戎橋を歩いている数は30万人から10万人に減っているのです。25年前のデータでも25万人近い人出がありました。USJが出来たおかげでここ5、6年はお客様が戻ってきたとは言え、その頃に比べたらまだまだなんですよ。特に昨秋以来の経済危機のせいで、韓国、中国、台湾からのお客様が激減してしまいました。

 商店街の中でもこうした海外からのお客様にどんどん来て欲しいという店がある一方、「いや、うちはそれほどでも」と様々な意見がありましたが、商店街としてはお客様をウエルカムで迎える仕組みを作らねばいけないだろうと考えています。

 道頓堀に、中国からの観光客に人気がある中華料理店があるということから、どんな味なんだろうと、私たちのまちづくり仲間で行ってみたことがあります。いまはもうないお店なんですが、この中華屋さんは言うたら値段だけでそんなに美味しくない。せっかく大阪に来られているんだから、ちゃんと本物の大阪の美味しいものを食べられる、そんな仕組みを作っていかなあかんなということを考えさせられました。


■虚を実にしていくために

 『街場の大阪論』という本がございます。これは、『ミーツリージョナル』の編集長をなさっていた江弘毅さんが書かれた本ですが、その中に「道頓堀が泣いている」という項目があります。これは、「極楽商店街の作り物的なまちづくりは是か非か」という座談会でして、その中で出席者の日隈萬里子さんが「街とは昔からの畑のようなものであり、そこに違う種を蒔いても絶対にうまく育たない」とおっしゃっています。江弘毅さんも「どうしてここにこの店があるのか」をちゃんと考えて店作りをしなくてはいけないとおっしゃっています。

 こういうことは私も常々考えていることです。道頓堀では浪花座、今述べた極楽商店街、角座が次々と閉鎖しています。宗右衛門町はようやく再生への兆しが見え始めたところですが、まだまだ今の状況はかつてのにぎわいからするととうてい比べ物にならない。このような状況でどんなまちづくりの種を蒔くかは、私も絶えず仲間と話しているところです。

 そんな中で、私がキーワードとしたいと思っているのが「虚実皮膜」という言葉です。極楽商店街を例にあげると、わざわざ昭和レトロの街を新たに作ったという点では偽物づくりをした、虚の世界だと言えるでしょう。しかし、そこに魂を吹き込み魅力を作り上げていけば「実の世界」になったのでしょうが、虚を作っただけでそれを実にしていくことができなかったのが、今の大阪ミナミの実情ではなかったのでしょうか。これは友人の映画監督である金秀吉氏が言ったことですが、彼は「虚を実化できない大阪の演出能力のなさ」という言い方をしております。

 去年の春、今日来ておいでの藤本先生にもお手伝い頂いて、戎橋に銘板を作ったのですが、その時協力頂いたのが、「モダン道頓堀探検」を書いた橋爪節也さんや古川武志さんです。古川君はいつも良いことを言ってくれるのですが、彼が言うには「建物や展示物には責任はありません。すべてのものは最初出来た時は虚なんです。その虚を実として埋めていく作業を怠ったことが最大の問題。にせもんをほんまもんにしていく、つまり魅力をデコレイトしていくことが大事で、それを地域やまちがサポートしつつ活用することが必要だった。この連係プレーの欠如が最大の問題」ということです。

 こういった問題については、私も含めて地元の商売人がどう本気になって関わっていくかが問われてくるところだと思います。また、施設やお店を作った方々と、その施設を運営してお客様を楽しませていく我われ商売人との連携プレーのあり方に問題があるのだなと考えています。


■デザインへの期待

 最後に、都市デザインやクリエイティブに携わる人たちへの期待を述べさせて頂きます。

 道頓堀の魅力は何かと聞かれると、コナモン=たこ焼き、お好み焼き、それとグリコなどの巨大看板だろうと思います。現実に、大阪に来られる観光客の多くがこういうものを求めてやってきています。しかし、このコナモンに対する評価というのが(まちづくりの専門家や行政の方々も含めて)地元では、そんなに定着していないようです。「いつまでもコナモンじゃないだろう、そんなことしか言わないから大阪のポテンシャルも下がるんや」というバッシング意見もありますが、コナモンも立派な大阪の文化ですから大切に育てていきたいところです。

 それと、大阪の看板と言えば、先頃引退してしまった「食い倒れ太郎」ちゃんの報道を思い出される方は大勢いるでしょう。太郎ちゃんが引退したのが昨年の7月8日ですが、その日を境に道頓堀にある私の店の売り上げは激減しました。道頓堀を歩く人の数も減りました。太郎ちゃんの集客力がいかに大きかったかを示す出来事でしたが、こうした個性的な看板に対する評価もいい、悪いが2分されており、「あんなもんが大阪のシンボルでいいのか」という声が地元のミナミでもありました。カーネル・サンダースおじさん人形が道頓堀から久しぶりに引き上げられたときも、「あんなことで大騒ぎしているようじゃ大阪はダメだ」という声を聞きました。

 道頓堀の五座再生についても、「松竹座が1人がんばってるのがせいぜい。今さら無理や」という声が多い。どうやら否定的な声の方が大きいような気がするのです。

 そういう否定的な意見は正論かもしれませんが、じゃあこれからどうやって道頓堀の魅力を出していくのかということが見えてこない。今までの歴史、文化を下敷きに置きながら、これからどんなフィクションを練り上げていけばいいのか、そういうことが残念ながらまだ見えていないと思うのです。とんぼりリバーウォークなどの周辺整備はできてきていますが、いろんな仕組みの中で何を魅力にしていけばいいのか、その具体的な中身が出てこないというのが現状だと思います。今日は、クリエイティブなお仕事に携わるみなさまから是非そうした道頓堀の魅力への提案を伺いたいと思います。

 私の話は以上です。ご静聴ありがとうございました。

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