司会(堀口:アルパック):
JUDIのメンバーもこれまで道頓堀の事業ではいろんな形で関わりを持ってきました。僕自身も道頓堀に関わって思ったのは、世界の中でもここしかないという場所を作らないといけないと同時に、普遍的に美しいものを作らないといけないので、なかなか難しい所だということです。特殊性と一般的な価値をどう作るかという二つのデザインを求められたわけで、作り手としても難しい場所だったと思います。
今日は、あそこを実際に一種の舞台として商売をされている方々はどう思っていらっしゃるのか、またJUDIメンバーはどう考えているか、そういったことをご意見頂ければと思います。
木造の太左右衛門橋は、たしかJUDIのメンバーがデザインに多く関わっていました。戎橋に比べるとずいぶん歴史にこだわって作っているようですが、今日、実際に見て、どうも周囲の景観から浮いているように感じました。あの橋のデザインと回りの遊歩道にJUDIの意見が反映しているのですか?。
堀口:
平成15年、16年にJUDIの有志グループがデザインに関わりました。一番最初は、戎橋から太左右衛門橋の間の遊歩道の材料をどうするかというところから関わって、デザインを決めるところまでやりました。橋については、戎橋のコンペがあった後、具体的に実施設計する所からJUDIが関わりました。太左右衛門橋は、最初から木造の橋を造るということが決まっていて、江川さんなど建築の人も交えてデザインを決めていきました。ただし、決めると言ってもこういう事業は行政的な決まり方をするので、安全性などを求められてなかなか思うようなデザインが出来ないということがありました。
当初は屋根付きというアイデアだったのが、行政との話し合いの結果、現在のデザインになりました。
ミナミは子どもの頃からよく来ている街ですが、最近では来るたびに何もなくなったと寂しい思いをしています。今日歩いてみて一番ショックだったのは、東京から進出した企業の建物が出来ていて、大阪らしさが薄れてきたことです。
このあたりは、特例で大きな看板が許されており、夜になるとそれが点滅するのがすごく綺麗で、日本国内でも他にはないだろうと思うような場所です。しかし、新しい建物を見ると、大きなテントをかぶせただけだったりして、特例をうまく生かせていないように思いました。それは、やはり景観破壊と言えるのではないでしょうか。巨大看板の景観がなくなると大阪には何が残るんだろうと思うと、寂しい思いがいたしました。
コナモンについて言うと、あれは吉本の芸人がテレビでしゃべったことから全国に「大阪=コナモン」というイメージが定着したのだろうと思います。大阪は、そのイメージに乗っかったのですね。劇場復活にしても、小さくても全国に発信ができるような人を呼んでこないと、なかなか復活するのは難しいと思いますね。
太左右衛門橋について言うと、大阪に外国人観光客が来るようになりましたから「和」の演出をするのは大事だと思います。しかし、それが浮いて見えるという現状こそ、今の大阪が持つアピール力の弱さだと感じます。あのデザインが自然にとけ込むように見えれば、外国人観光客へのアピールにもなるし、街も随分良くなるのではと思います。
先ほどからお話をうかがっていて、これは大阪というか、道頓堀をどうしたいのかという自立的なビジョンの問題だと思いました。と言いますのも、今の道頓堀のイメージ、コナモンや太郎ちゃん、カーネルおじさんの看板は、「これが道頓堀の象徴だ」とマスコミが作り上げたものです。先ほどのお話の例にあった「大阪の人は、100%撃たれたまねをする」というのも本当のことじゃないんです。大阪でも「こけない」人は大勢います。大阪人は楽しくてお笑いが好きと言われますが、そうでない人は大阪人として認めないという一面的な見方はやめて欲しいんです。
私が問題にしたいのは、関東のマスコミの視点で「大阪はこういうもんだ」と決めつけられていることです。「大阪はこうじゃないといけない」と規定されて、有名にさせられたのが今の道頓堀であり、コナモンであり太郎ちゃん、カーネルおじさんだろうと思うんです。もちろん、そのイメージに乗っかった大阪の人が大勢いたこともあるのですが。
私は太郎ちゃんやコナモンが悪いとは思っていませんし、それもひとつの方法かなとは思いますが、「大阪にはそれしかない」という風に情報発信されていることがイヤですし、一番の問題だと思います。大阪には、中之島もあり大阪城もあり、いろんな文化や歴史があって、道頓堀はその中のひとつにしか過ぎません。そういうことを必ず把握しておいてほしいと思います。ステレオタイプな大阪のイメージに、大阪の人自身がどっぷり漬かってその違いが分からなくなっているんじゃないかなと私は感じています。ですから、大阪の人としてどんな風に道頓堀を自立的に作っていくかが、一番の課題だろうと思うんです。
私の母、祖母はずっと大阪に暮らしていますが、彼女たちは今の道頓堀はとても嫌いだと言います。昔の道頓堀はもっと品格のある街で、道頓堀・心斎橋筋を歩くということはいっぱしの大人になった証だったらしいのです。でも今の道頓堀はそうした晴れやかな気持ちを与えてくれない。年配の方々はみんな「見ると悲しくなるから行きたくない」と言っています。
それから地方の友達が大阪に来たときのことですが、どこに行きたい?と尋ねると新世界か道頓堀という答が返ってきました。どういうとこが良いのと聞くと、「だって大阪はそれしかないでしょう」と言うんですよ。つまり、テレビで大阪が紹介されるときはそこしか映さないから、みんな大阪=新世界、道頓堀と思っているということなんですね。私がこの間見た番組でも、話題は心斎橋なのに映っていたのは新世界と道頓堀だったんですよ。梅田の話題の時は、背景が太郎ちゃんでした。
実際に道頓堀でお商売をされている方々は、今、このままのイメージに乗っかって商売を続けて行かれるのか、それとも昔のイメージを取り戻したいのか。その辺をはっきりさせるための地元のコンセンサスは必要じゃないかなと思います。
野杁:
私は地元にコンセンサスがないと判断していますので、専門家の方々の知恵を借りたいと思っています。若松さんや永山さんがおっしゃったようなことは、道頓堀の人たちの間でもしょっちゅう出てくる課題です。私自身も今の道頓堀には魅力がないと思っていますから、じゃあこれから何を打ち出すかを議論することは大事なことなのに、どうも議論が前向きに進んでいかないんです。
ですから、私はコナモンというものをきっちりと再評価していく必要があると提案したわけです。文化としてちゃんと育てていくべきものなのか、それともやはりそれに値しないものなのか、そういうところから話し合うところから次の時代の魅力が出てくるんじゃないかと考えているんです。あれはダメ、こっちもダメという話ばっかりだったら、物事は前に進まないし、地元からどんどん人が減るばっかりだろうと思うんです。
道頓堀についての私の意見を述べさせていただくと、やはり街のボリュームがでかすぎまして、商店街などのまちづくり活動も埋没している状況だと思います。我われ専門家はそんな活動もよく知っていますが、先ほどのご意見にあったように外から見た目、マスコミから見た目の大阪のイメージが固定化されていて、我われがいくらこうしたいと活動していても、なんだかむなしい感じもしてくるんです。だから、パブリシティの対象とするには難しい街なんです。
むしろ、まちづくり活動はそういうメジャーなマスコミとは一線を画したコンセプトで活動していく方が面白いような気がします。マスコミで語られる道頓堀=コナモン、太郎ちゃんの世界に我われが出て行っても勝てないので、違う切り口での活動をしていった方がいいでしょう。たとえそれが小さな動きで、一部の人しか関心を示さないことではあっても、これから作りたいと思っている道頓堀の方向に合うものであれば、いずれは大きなものになっていくと思います。
さっきはマスコミの影響力を強調しすぎて、確かに探偵ナイトスクープの事例は極端でした。ただ「人が面白い」という事例で取り上げたと思ってください。
やはりマスコミにどういう風に取り上げられるかはこちらからコントロールできませんが、はっきり言えるのは大阪の情報発信力が今弱くなっているということです。私も老舗が心斎橋からどんどん消え、全国ブランドの店が進出して大阪らしさが薄れるのを残念に思っている1人ですが、それを踏まえた上で積極的に発信していかねばならないだろうと思っています。東京と比べたらマスコミの数も少ないですし、東京と同じことを大阪でやってもそれを伝えてくれるマスコミの数は少ないですよね。ですから、とにかく我われは情報発信を積極的にすることを心がけないといけないでしょう。それも正しい情報ですね。
堀口:
ミナミの商業施設は相当な量がありますし、お客さんの購買力はまだすごいもんがあります。ですから、そういう所は地元だけのビジネスはありえなくて、ナショナルブランドが入ってくるのは仕方のないことだと思います。購買力に合った品揃えをして収益を上げていくビジネスになるのは仕方のない環境にあるのです。そういう中で地域の自立的なコンセプトだけでやろうとするのは多分無理です。
むしろ、吉野さんがおっしゃったように小さくても真面目なまちづくり活動をいくつか積み重ねていって、大きなまちづくり活動の流れと合えば残っていくだろうというぐらいのやり方しかないんじゃないかなと思います。
ここに来る大部分の人は、大阪のことをよく知らない修学旅行生とか外国人でしょうが、そういう人たちに合わせたお店の展開があるのも、それはそれで仕方のないことだと思います。しかし、先ほどの話にも出た昔の品格のある道頓堀を取り戻すためには、地元の人たちが小さくてもこつこつと自分たちなりの展開を続けていくしかないのではないかと思います。
結局、テレビの紹介は誰にでも分かるレッテルの張り方しかしてくれないので張り合っても仕方がない。でも、真面目にやっていればそっちの方が残っていくでしょうし、その方法しかありえないのではないかと思います。このボリュームのある街を「こっちの方向だ」と引っ張っていくのは相当難しいように思います。
今朝のテレビを見ていますと、高山に外人さんがいっぱい観光に来ていると紹介されていました。ミシュランの観光ガイドに日本の代表的な都市として高山が紹介されたらしいのですね。で、道頓堀はミシュランに載るかと考えてみると、今の状況ではとても紹介されそうにないという気がします。
しかし、今日のJUDIセミナーに一般の方が大勢参加されています、これは珍しいことで、道頓堀に興味を持たれている方が大勢いることの証だと思うのです。昨今、道頓堀が徐々に整備が進んでいるとは言っても、ミシュランに載るぐらいに全体的に興味を引くまちづくりはなかなか難しい話で、やはり小さいユニットで特徴のあるものを、一つ一つ造っていくことを持続させていくのが、結局は伸びていく早道と思います。
道頓堀で五座復活という大きい計画よりは、それぞれ考え方の違う人びとがいろんなことをやって、それが道頓堀の街の雰囲気を形成しているという地道なやり方しかないのではないかなという気がいたします。
前田:
1年前の連休にこのあたりに来たとき、歩けないぐらい人が多くてびっくりしたのを覚えています。たこ焼き屋さんにも大勢が行列していました。昔はこの3倍は人出があったと聞くと、もっと驚きです。
ただ、僕が思ったのは、たこ焼き以外に選びたいと思ってもどこに行ったらいいのかわからないという印象があります。
また、五座復活と言っても、今時大きなホールを作っても運営できないでしょうから、もっと小さなものでいいから、個性的な施設があったら面白いかなと思います。
今日のお話をうかがっての感想ですが、水際については行政主導で整備がされましたが、そこを本当に魅力のあるところにしていくためには、水際と陸地のネットワークがカギになると思うんですよ。そして問題は、その主体となるのは誰か。私は、やはりそこに住んでおられる地元の方や、商店主の方々が主体にならない限り、こうしたまちづくりは成功しないと考えています。
宗右衛門町は独自に防犯組織を作って活動されているようですが、私自身治安のよくない街だなあと思いますし、ひとつの商店街だけに任せるのではなく商店街同志の横の連絡がもっと必要ではないかと思います。商店街同志のネットワークの中に、我われ専門家が入り、さらに観光客も入っていけるシステムがあればまちづくりの流れは出てきます。そうした流れを作っていかない限り、小さい活動は大きくならないと思うんです。
その点では、道頓堀はいろんな主体性が出てきていますから可能性は大きい。JUDIの役割も大きいと思います。そういう外の力、さらに訪問客、観光客の力をもっと引き出すような活動ができないかと思うんです。そういう中には、今の道頓堀イメージのような笑える要素があってもいいんです。
川とのつながりでいえば、川の緑をまちなかにつなげるよう、商店街に緑を作っていくとかいろんなアイデアが考えられます。まずは出来ることから始めていったらいいんです。私は「観光とまちづくり」を大学で教えるかたわら、町なかでもいろいろと活動していますが、出来ることからやっていったら活動の道筋も見えてくるのではないかと思います。まずは行動として見えてこないと、主体も作れないのではないかなあと考えるところです。
今日は道頓堀川の遊歩道に興味があって参加いたしました。遊歩道が出来た年から、毎年1回ぐらいは見にきています。どのくらいの店が川に顔を向けた格好で営業しているのかを見るのが楽しみです。
先ほどのお話では36件のうちの14件が川に向けて開店したと伺いましたが、もっと増えるのかと思っていましたので、3年たってもまだそのくらいなのかという印象をもちました。
歩いていても換気扇の裏側が丸見えだったり、あまり綺麗でないビルもたくさんありました。また、通りから気軽に入れる雰囲気のお店もあまり多くなく、お店を通り抜けて向こう側に出たいと思ってもそれもまだ出来にくい。お店と川、通りとの回遊性が、まだできていないのが残念です。
もう少し、川に面しているお店が意識して営業されていくと、さらに活性化していくんじゃないかなと思います。川に面しているお店の組合がもう少し力を持てるような仕組みが出来ればいいと思います。
コミュニティ・ツーリズムではたくさんのガイドさんを養成しているとのお話でしたが、どういう人にやってもらっているのでしょうか。また、その人たちはどういうガイドをするのか、その辺の具体的なことを教えていただけるでしょうか。
野杁:
今は長崎さるくを成功させた茶谷さんが総合プロデューサーとなって大阪市の協議会の方でされてますから、私は直接関わっていないのですが、我われがなにわコミュニティツーリズムをしたときの経験をお話しします。
まず、歴史のうんちくだけを語って聞いているうちにつらくなってくるようなガイドはやめようということを最初に考えました。やはり、エンターテイメントとしてお客様を楽しませながらガイドできる人でないといけないなどと話し合いました。
それに、ガイドさんになる人は、地域の中で普段からガイドみたいなことをされている方がふさわしいだろうとも話しました。私自身、舟の案内も含めて地域ガイドは年に何十回もしていましたし、うちの商店街の若手もガイドを務めてくれました。その時の体験で印象に残っているのは、ガイドをした本人が人に案内することで、自分の街や商売を改めて知ることが出来たことですね。普段の接客とは違うお客様とのふれあいが出来たのも良かったことで、「ガイドすることで自分の商売も広がるね」と言ってくれたことがとても印象に残っています。ですから、私個人としてはそういうガイドさんがもっと増えてくれればいいなと思っています。
具体的なガイドの内容ですが、私が舟のガイドをしたときはお客様をどれだけ楽しませるかを考えて、中座のエピソードを話ながら、大阪クイズをしたりしていました。クイズに正解した人には「おめでとう」と、私の店で売っているるたこ焼きキャンデイなど人気の大阪みやげを賞品として渡していました。やはり、こちらが一方的にうんちくを垂れ流すだけでなく、人とのふれあいが感じられるようなガイドをしようということを我われのコンセンサスとしていました。
黒山:
うろ覚えではございますが、確か「大阪あそ歩(ぼ)」というコミュニティ・ツーリズムの会では、まち歩きツアーのガイドさん養成講座をやっておられます。これは純粋なボランティアではなく、少しは謝礼的なものを払うという内容になっています。ここでは、1〜2時間ぐらいのコースを約25設定していますが、それぞれのまち歩きには地域の方がガイド役として務めておられると聞いています。
吉野(DAN):
コミュニティ・ツーリズムのガイドさんは大きく分けて、二つの種類があります。
ひとつは、プロが有料でガイドするもので、これはJTBなどの旅行代理店から派遣されるケースがほとんどです。大阪では小田切さんなどのスター級の人が何人かおられます。
もうひとつは、街の素人の人を最低限の案内ができるよう教育してからガイドさんとするというシステムです。もともとは茶谷さんが長崎で作られたシステムですが、今大阪向けにも作られています。
そのパターンのもうひとつのバージョンとしては、e-横会で開発したコミュニティ・ツーリズムがあります。e-横会のメンバーは川沿いに自宅や事務所を構えられている方々なのですが、普段公開しない自分の家や会社のお宝を定期的に公開して、そこの社長さんが説明するというものです。中には会社に立派なギャラリーを持っている方もおられて、すごい掘り出し物が見られることもあるのです。そういう家や会社を10〜20オープンして、町なかを自由に歩いたり、ガイドするというやり方があります。こういうのは社会実験でやっているケースですから、無料です。
このe-横会も含めると、大きく3つになりますね。大阪はコミュニティ・ツーリズムもバラエティに富んでいていい実験をされていると思います。
私自身、道頓堀の橋のコンペにも関わって、けっこう長くこの界隈のまちづくりに関わってきました。もうすぐ全部出来上がりますよね(黒山:あと2年後です)。これが完成すると街の印象も変わってくるでしょうし、遊歩道が抜けるようになると街の雰囲気も変わっていい環境になってくるんじゃないかなと期待しています。
今日のお話では、野杁さんが用意された資料の中の「街とは昔から畑のようなもの」という日隈萬里子さんの言葉が印象に残りました。こういう発言は、女性がよく発想されるみたいですね。アメリカでもロバータ・グラッツさんという、まちづくり系のジャーナリストの方が、「まちづくりは庭を造るようなもの」という言い方をしています。まちは庭のようなもので、育てるという取り組みが必要だ、ということを強調されていました。その発想ととても似ていると思いました。
私は先ほどガイドさんは何をガイドするのかと質問しましたが、実は私自身、外国からお客さんが来ると大阪を案内するのですが、けっこう満足してもらえていると自負しています。私の場合、ガイドのポイントは環境と食べ物です。それをうまく組み合わせると、面白い体験になるようです。環境というのは、まちの履歴のようなことです。ですから、この界隈をガイドするのなら、僕だったらこことあそこという具合に決めることができます。コミュニティ・ツーリズムのガイドさんも、多分独自のガイドポイントを持っていて、それを1人1人が楽しんでガイドするというやり方だと思います。自分の自慢のガイドポイントを観光客に経験してもらって、それを通じて街の面白さを知ってもらうという仕組みになっていると思います。
ですから、どのガイドさんに当たるかは実は重大な問題でして、好みが全然合わなかったら最悪のガイドになってしまいます。自分に合ったガイドさんをどうやって選ぶのかは、けっこう重要な問題です。その辺はどうやっているんだろうと考えてしまいます。後で教えてください。
まあいろいろ課題はありますが、先ほど申し上げましたようにインフラが整ってきて、それを楽しむガイドをして、それが自分の商売の儲けになるようになってくれば、だいぶこの辺の環境は変わってくるのではないかと期待しています。
今のところ、ちょっと残念なのは、この界隈で見かける人たちはみんな忙しそうなことです。ヨーロッパの町なかだとけっこう暇そうな大人がたくさんいて、それが絵になる光景だったりするのですが、この界隈だとゆっくりしているのは地べたに座っている若者たちだけだったりします。大人が立って格好良くおしゃべりしている光景が出てくるといいなあと思うのですが。イタリアなどでは、地元の人が広場で遊んでたりしますが、あれはけっこう絵になりますよね。とんぼりウォークなどで、ぜひ地元の人たちが交流を楽しみ、それが絵になるようになると面白ですね。
道頓堀界隈は、先ほどからみなさんが指摘されているとおり、再生のタネはあふれるほどあります。そのアイデアにどういう筋立てをしていくかが、これからの課題でしょう。ひとつの筋だけではもったいないですから、いろんな物語がこの中にあると理解した方がいいですし、「私はこんな楽しみ方をしてみたい」「こんな人が来たらこんな筋書きで案内しよう」という風にたくさんのシナリオを作って、それが絵になるようにして欲しい。そういった期待をしています。
今日は貴重なお話をたくさん聞くことができました。みなさん、どうもありがとうございました。
意見交換
■太左右衛門橋のデザインについて
前田(学芸出版社):
■巨大看板の特例を生かせない新しい建物
永山:
■大阪はコナモンしかないのか?
若松:
■マスコミとは違ったレベルで独自の活動を
吉野:
■道頓堀イメージと情報発信力
藤本:
■道頓堀はミシュランに載るか?
難波:
■道頓堀に現れてきたいろんな主体に期待したい
金井:
■遊歩道と店舗との関係は?
浅沼:
■コミュニティ・ツーリズムのガイドさんについて
鳴海:
■締めくくりコメント
鳴海:
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