この頃、私は兵庫県庁に勤めていたのですが、当時「兵庫県の若い職員が公営住宅の管理人をすれば、団地に住まわせる」という制度があったんです。私はそれに応募して、新しい団地で住むことになって、11棟あるうちの1棟を管理することになりました。あとは芦屋市の職員や警察官や消防士などが管理人をしていました。
ここでも空地で花壇を作ろうとして、大分県庁と交渉しました。管理者である兵庫県庁は「個人の目的のために土地を使ってはいけない」と言うのですが、「個人でやることでも、みんなのハピネスにつながるのだから良いことでしょう」という論理で押し切り、団地中で花作りをすることができたわけです。
それよりも面白かったのが、せっかくご近所同士になったのだからと、夏は盆踊り、秋は運動会と団地中で盛り上がったことです。場所をどうしようと話し合ったとき、道路でやったらいいじゃないかという話になって、本当に実現してしまいました。新宿の西口広場よりはハッピーな雰囲気でしたが、本当にすごく熱気のある光景になりました。
道路で運動会をするなんて本来の利用の仕方ではないと言われるかもしれませんが、そこにいろんな人たちのアクティビティがあふれている様子は、整備された空間で行うのと違って、美しくはないでしょうが、感動的な光景をもたらしてくれるのだと思った次第です。
ですから、人がハッピーになれる景色を生み出すためには、日本のいろんな道路や河川の空間が人が自由に活動できる空間になることが必要だと思います。そうした空間をみんなで良くしていこうという気持ちがないかぎり、役所からは「NO」の返事しか返ってきません。頑張って乗り越えていかないといけないのは、そういう所にあります。こういうことはカフェを作り出すだけでなく、まちづくりのいろんな要素と関係してくるんじゃないかと思います。「誰かがやってくれるだろう」と思っているだけでは、多分いつまでも何も起こらないだろうということが、この一連の自由空間を通した研究から学んだことです。将来的にもそういう発想で取り組んでいかなければならないだろうと考えています。
以上で「都市の自由空間」の話を終えさせていただきます。どうもありがとうございました。
おわりに
団地の運動会(1974年ごろ)
最後に挙げる写真は、1974年ごろにわたくしが住んでいた団地で行われた運動会の様子です。
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