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(46)特に文脈はありませんが、 静かな住宅街の道路沿いのわずか30cmほどの側溝のような水の流れでも、 大きな石を張り付けているだけで、 水のある風景は私たちの心をなごませます。
[京都市内]
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(47)自然の玉石、 ゴロタ石とも呼んでいますが、 それを先人達がきめ細かに積み、 張り込んで地域の水路の風景をつくっています。
[岐阜県郡上八幡]
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(48)これは農村でよく見かける農業用路です。 両岸をきちんと土で造っています。 最近では田舎の方にいっても、 あぜ道の小川までコンクリートで覆っている風景をよく見かけます。 そんな中で、 きちんと心配りをしさえすれば、 この様な昔ながらの風景が護れるのだということを示す一例です。
[高知県四万十川流域]
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(49)両側の緑の土堤に挟まれて流れる川幅4m前後の農業用路には生活の香りと農村の風情が見えます。
[滋賀県近江水郷]
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(50)草花と川の玉石で護岸を築いています。 住む人、 生活する人の手が入った地域独自の川の風景です。
[福井県大野市]
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(51)これは金沢の辰巳用水です。 山から川へ、 川から金沢の町へと引き込まれた清水によって、 兼六園などの名園を生み、 その庭園から用水として金沢の町へと再び流れて、 水が回遊する城下町金沢の評価を創り出しています。
[金沢市]
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(52)ここでは長良川の河石を両岸の護岸に使用しています。 今では河石を使用することは出来なくなりましたが、 この様にもとからそこの地にあったものを出来るだけ使用するということは非常に大事なことだし、 また新しい空間の創出として、 その材料をどの様に使いこなすかがデザインとして重要になってきます。
写真の左手に白い建物がありますが、 この建物がなかったらどんなにいいだろうかと思います。 この建物があることでこの景観は60点ぐらいの評価しかできません。 これは我が国の悪い事例で、 まちづくりや景観デザインを全体性のなかで考え、 つくることができない貧しさが原因です。
また、 中央奥の鬼の顔をしたアンバランスなデザインの水門は誰がやったのか。 非常に残念です。
[岐阜県長良川]
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(65)日本の川の景観を壊してきたものは、 スライドに見られるようなコンクリートによる護岸です。 それでもこの写真の護岸は垂直に切り立ったものではなく、 45度に寝かせてあるだけでも、 まだ許せる水際のエッジになっているかと思います。
[岐阜県木曽川]
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(66)洪水が来たら大丈夫なのかなと思えるような、 中州の部分に生活の場が残っているところが今でもあります。 緑があって川があり、 住み手の家々があり、 スライドのように中景レベルで見れば、 川と人間とが共有し生活と風景を支えています。
[岡山市旭川]
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(67)(68)これは嵐山の風景です。 ダイナミックな時代性を感じさせる木橋です。
[京都市]
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(69)(70)悪い事例だと思います。 川との水際のエッジの部分、 橋脚、 また橋そのものを造ることにデザイナーや技術者はがんばるわけですが、 がんばりすぎて、 川の持つ優しさ、 水の流れる美しさや自然のよさといったものを壊してしまっています。
[岐阜県木曽川/大阪府石川]
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(71)都市の中では、 川にかかる橋や欄干などに、 都市風景として、 新しいものを取り入れていきます。 これ自体は悪いことではなく、 問題はそのデザインの質だと思います。
[岡山県西川]
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(72)緑の中の小さな橋は、 風景としては印象的な点景となり、 また人々が集まるランドマークにもなります。
[岡山城周辺]
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(73)これは質の高い橋のデザインです。
橋のデザインで最悪のものは、 このスライドのようではなく、 高欄や手すりを白いガードレールでつくることです。 農村風景についてもあてはまります。 全国的に統一された頑強な鋼材に白い塗装で無味乾燥な構造・デザインです。 おそらくイニシアル・ランニングコストなどの面から橋のデザインとして白いガードレールを国が使い、 地方自治体もなんの疑問も持たずにそれを使用しているといったところがあると思います。 きちんとデザインすればお金もかかりますが、 この様に美しくなります。 八百八橋といわれた大阪の橋にもほとんど感動するものに出会えません。 残念です。
[大阪市、 大川にかかる淀屋橋]
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