アジア太平洋の地域の都市環境デザインの新しい流れ
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ


2 台北市の都市設計が始まった背景


1 都市の形成経過と空間形態

画像ti002 改行マーク台北盆地の衛星写真を見ると、 大きな盆地ではありません。 台北市の西側に淡水河、 北側に基隆河、 南側に新店渓と景美渓がそれぞれ流れており、 後者の三本が全て淡水河に合流したあと、 北側の海に入ります。 この盆地は1900万年前と20万年前に、 二度、 湖になったこともあり、 地質はよくありません。 地図の右側部分が台北市ですが、 台北県と合わせて約500万の人々が、 淡水河両側の茶色の部分を中心に住んでいます。

画像ti004 改行マーク台北市の半分は山です。 北側は、 最も高い所が海抜千メートル以上もある大屯山系で、 そのほとんどは急傾斜の地域ですので人が住めません。 一部分は国家公園と指定されており、 ほとんどの人は残りの平坦地のほうに住んでいます。

画像ti005 改行マークこれは台北市市街化区域の拡大の様子を示した図です。 最初には、 西側の淡水河を利用して都市活動が始まったので、 河沿いにマンカと言う最初の市街地(今日の萬華)ができました。 その後、 清が台北城を築き、 その中には当時の役所が置かれました。 それから先ほど述べたように、 1889年に日本が統治をはじめた(以下この時期を日拠時代と称している)のですが、 左上の図はその直後の1900年の様子です。

改行マーク日拠時代になってから、 市街地が東側へ拡がり、 上の真ん中と右側の図が、 1920年と1945年の状態です。 日拠時代は東側の農業潅漑用水(瑠公用水路)があった辺りまで広がり、 第二次大戦後は、 下の段の図のように、 市街地が短期間に、 一気に周辺部へ広がりました。

画像tui003 改行マークなお、 以上の各年代の人口は図に示す通りです。

画像ti006 改行マークこれから台北市の景観の変化を紹介します。

改行マークまず、 初期の西側の市街地にある町家の様子です。 各町家の間口が狭く、 短冊型で、 何軒かが共同壁で続いて並び、 店となっています。

画像ti007 改行マークその後、 街の活動が増え、 1階建の町家が2階建、 3階建となって行きます。

画像ti008 改行マークまた、 日拠時代には日本人の木造官舎が、 それまで台湾の人があまり住んでいなかった街の東側に出来ました。 今はあまり残っていませんが、 他の台北の建物とは違う風景です。

画像ti009 改行マークこの時代には、 繁華街では多くの2階建、 3階建がつくられ、 上は住居、 下は商店で、 住商混合利用となっています。 住環境としてはともかく、 便利だということで好まれたのでしょう。

改行マーク終戦後まもなく、 中国大陸からたくさんの人がいっきにやて来て、 そのため住宅が足らなくなり、 バラックのような建物もつくられました。

改行マークこれらは景観上好ましいくなく、 住環境としても良くないため、 その後は整備されほとんど残っていません。

画像ti011 改行マーク1950年代になってから、1階建のものが2階建、 3階建へ、 建替えが進みました。

画像ti012 改行マークさらに、 4階建、 5階建も出てきました。 しかも区分所有形式の集合住宅が建設され、 昔と違う風景の街に変わりつつある状態です。

画像ti013 改行マークこのような建物があちこちに建てられました。 景観上はあまり良くなく、 混合利用ですので、 管理や安全上の問題があります。

画像ti014 改行マーク時間が更に進み、 1970年代後半くらいの幹線道路沿いの風景です。 ペンシルビルも出てきています。  1980年以前には、 容積率による立体的なコントロールがまだ実施されておらず、 前面道路の幅に対する高さ制限と建ぺい率だけの規制でしたので、 道路沿いの建物がほとんど同じ高さとなっています。

改行マークその後、 台北市には容積率指定が実施され、 建物のボリュームや高さが建築用地の条件に多くの場合異なった規制がされるようになりました。 このような新しい規制のもとに、 1980年代前半の東側市街地に建てられた高層住宅です。

画像ti016 改行マーク1980年代後半、 台北市の人口が更に増え、 高層住宅が周辺部にも広がり、 いままで使われていなかった空地に建物がどんどん建設されました。 そして周辺部の傾斜地にまでスプロールし、 周辺部分の斜面緑地も住宅地として開発されました。


2 既存都市計画手法の限界

画像ti018 改行マーク以上のように、 台北市は18世紀末からの各時代につくられ、 どんどん大きくなってきた都市ですが、 この間、 台北は高密な都市になりました。 古いもの、 新しい物が混在し、 都市の利便性は高いものの、 安全性やアメニティの面では問題が少なくありません。 こういった開発やスプロールにより、 居住環境が悪くなるという問題意識が出てきたのは1970年ごろからです。

画像ti019 改行マーク例えば、 これは台北市周辺部の風景です。 天母と言う地区で、 市街地の北側にあります。 日拠時代には別荘があったところで、 第二次大戦後はアメリカの関係者が住んでいました。 日本で言えば一種住専にあたる地域でしたが、 この約十年間の間に、 突然、 かなり高層化しました。

画像ti020 改行マーク台北都市の土地利用図です。

改行マーク赤は商業地域、 黄色は住宅地域です。 といっても住宅地域はまた四種類(住一〜住四)に分かれ、 住三と住四は、 中に多くの商業も事務所も許容される混合利用地域です。 ゾーニングによるはっきりしたコントロールが実質的に困難な状況でした。

改行マーク以上のように、 土地利用も建物の形態も、 既存の法規だけでうまくコントロールや誘導ができなったことから、 1978年よりアーバンデザイン制度を導入しました。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見は前田裕資

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ

学芸出版社ホームページへ