2 台北市の都市設計が始まった背景 1 都市の形成経過と空間形態
日拠時代になってから、 市街地が東側へ拡がり、 上の真ん中と右側の図が、 1920年と1945年の状態です。 日拠時代は東側の農業潅漑用水(瑠公用水路)があった辺りまで広がり、 第二次大戦後は、 下の段の図のように、 市街地が短期間に、 一気に周辺部へ広がりました。
まず、 初期の西側の市街地にある町家の様子です。 各町家の間口が狭く、 短冊型で、 何軒かが共同壁で続いて並び、 店となっています。
終戦後まもなく、 中国大陸からたくさんの人がいっきにやて来て、 そのため住宅が足らなくなり、 バラックのような建物もつくられました。
これらは景観上好ましいくなく、 住環境としても良くないため、 その後は整備されほとんど残っていません。
その後、 台北市には容積率指定が実施され、 建物のボリュームや高さが建築用地の条件に多くの場合異なった規制がされるようになりました。 このような新しい規制のもとに、 1980年代前半の東側市街地に建てられた高層住宅です。
2 既存都市計画手法の限界
赤は商業地域、 黄色は住宅地域です。 といっても住宅地域はまた四種類(住一〜住四)に分かれ、 住三と住四は、 中に多くの商業も事務所も許容される混合利用地域です。 ゾーニングによるはっきりしたコントロールが実質的に困難な状況でした。
以上のように、 土地利用も建物の形態も、 既存の法規だけでうまくコントロールや誘導ができなったことから、 1978年よりアーバンデザイン制度を導入しました。
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