大学でまちづくりの勉強をしている学生です。 今日は大学で授業を受けるよりも、 ずっと興味深い話を聞かせてもらいました。 今日のユニバーサルデザインの話は公園の中で誰もが楽しめるというお話でしたが、 公園までのアクセスはどうなっているのでしょうか。 それがとても気になるのです。
例えば、 車イスの人や目の不自由な人は公園までの道で障害となるものもあるでしょうし、 ユニバーサルデザインはもっと社会全体の問題としてとらえるべきだと考えているのですが。 それとも、 それは管轄が違うという話になるのでしょうか。
三宅:
実はその通りです。 それはいつも指摘されるし、 困っているところでもあります。 残念ながら我われは公園をフィールドにした仕事をしているので、 公園外までなかなかデザインを及ぼせません。 そこが問題です。
去年(1997)、 ワシントンのATBCB(建築・交通障壁除去委員会)に行ったとき、 いろいろスライドを見せてもらったのですが、 その中に日本の事例があったんのです。 誘導ブロックは日本にしかないようで紹介されていたのですが、 落ちには誘導ブロックの上に自転車が放置してあるスライドが出てくるのです。 なかなかいい解決方法がないと思わされました。 ただ、 我われに出来ることは、 いろいろな方面に提案をしていくことだと思っています。
海外の事例を紹介すると、 イギリスのDDA(Disability Discrimination Act、 障害者差別撤廃法)の場合はアメリカのADAと少し違っています。 アメリカの場合、 国民性が自主独立を重んじていますから、 何でも自分でできる「自立」を基本に考えるのですが、 ヨーロッパでは「自立が難しければ誰かが手伝ってあげればいい」という人的介護も含めて考えているところが日本と似ています。 障害者支援の法律の考え方もアメリカに比べたら緩やかです。
ただ社会システムはかなり進んでいるというのが、 私の印象でした。 法律で決められているわけではないけれども、 1998年いっぱいで低床バスの普及率が90%になるというデータがあります。
また、 割合うまくいっているのがショップモビリティというシステムです。 これは主にショッピングセンターや商店街に行くと、 駐車場にショップモビリティの事務所があってそこで電動スクーターや車イスなどシニアカーを貸してくれるのです。 それで、 あちこち買い物に行けて、 使い方には何の規定もない。 シニアカーは可動範囲内しか行けませんから、 お店の方もそれに合わせて改造するという状況で、 社会的にはかなり自主的に対応策がとられています。 (参考文献『タウンモビリティで賑わいまちづくり』学芸出版社、 1999)。
先日、 ユニバーサルデザインフォーラムが横浜で開かれた時、 発言者のイギリス人が「アメリカの真似ばかりしないてください」と言われました。 確かにその通りだという感じです。 我われがこれからどういう方向に進んでいくのかを考える場合、 アメリカのように法律で縛って整備するのか、 それともヨーロッパのように人的介護も含めた形でいくのかを選んでいく必要があるでしょう。
ADAが紹介されて以来、 日本ではそれが全てという風潮がありますが、 日本の行政でできるかどうかを考えると別の方向性の可能性もあるでしょう。 今はどちらで行くかの過渡期であり、 その接点が問題なんだと思います。
亀山:
縦割りの大阪府の事例を紹介します。 昭和57年に国際障害者年が始まり、 その時大阪府もガイドラインを作りました。 いろいろと基準を作り、 それに沿ってまちを直そうという話になりました。 公園については、 当時6億ほどで全部直ることが分かりましたので、 是非取り組もうと10年分の予算として請求したのです。 その時に、 いったい何を言われたか。 「公園だけ直したら、 そこまでの道路も直せということになるやんけ。 道路を直すのにいったいいくらかかると思ってんねん」と文句をつけられてしまったのです。 その時は「基準」だったから、 ハネられてしまったのです。
今度は福祉のまちづくり条例ができました。 「条例」ですからね。 それに基づいて直さないといけない。 今は直してきています。 しかし、 全部を直そうとしたらすごい金額になるのです。 今は道路が変な形の切り下げになっていますが、 ちゃんとしようとすると金がかかるのです。 それがいいのかどうか。
「まちづくり新聞」に、 青森大学の車イスの学生のために道を直したという話が掲載されていました。 一人のために道を直したわけですが、 一人でも必要としている人があれば、 そこから直していくのもひとつの方法だと思います。 ユニバーサルデザインについて、 道路屋さんはなかなか理解はしてくれないのですが、 それでも昭和57年当時に比べると、 やらなきゃいけないし、 やっていこうという雰囲気になっています。
浅野:
社会全体のユニバーサルデザインは、 耳にタコができるほど言われていることですが、 私自身は二つの答を持っています。
ひとつは、 確かに「公園だけ整備しても行けないじゃないか」という話になるのですが、 道路整備を待っていたら何も進まないので公園からでもやっていけばいいじゃないかということです。 徐々にやっていくうちに、 道路も改良され、 公共交通機関も低床バスが走るなど整備が進んでいくでしょう。 もっとも、 25年間でこれだけの高齢化が進んだ国ですから、 あと20年でどれだけのまちづくりができるかは疑問なんですが。
服部緑地や大泉緑地ではヒーリング・ガーデナーとボランティア養成が行われています。 特別養護老人施設、 障害者のために公園まで送迎をしています。 介護する人、 される人、 共に保険が適用出来るようになっています。 送迎の間に何か事故に遭うかもしれないけれど、 保険もかかっていることだし、 とりあえず公園を楽しんで帰ってもらおうというプログラムのひとつです。 そういうこともしながら、 やれることからやっていくのが公園ではないかなと思います。
もう一つの答としては、 公園だからこそやれるのではないかということです。 町なかのデパートや映画館など、 ある特定の目的のために時間を気にしながら過ごす空間ではなくて、 自然につつまれてゆっくりと過ごす公園の中では、 目の前に助けを必要としている人がいれば手を出すだろう。 身近に接していれば、 そういう人たちのニーズを一般の人たちも分かるようになる。 そういう訓練を公園の中で行っているうちに、 街がやさしくなっていくのではないかと期待しています。 逆に街がやさしくなるのを待ってから公園を造るのではかなり時間がかかってしまうので、 とりあえず公園行政からやっていこうではないかと思っています。
公園に辿りつけない現状をどうするのか
タウンモビリティで賑わいまちづくり表紙
町なかでも乳母車を押しているお母さんがかなり見受けられました。 北欧よりもイギリスの方が、 ユニバーサルデザインが進んでいるのかなと思いました。
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