住宅時事往来No.10
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大学も卒業、 就職もできた
将来は仕事の経験と学問を生かし
中国と日本で事業がしたい

Rさん、 Zさん

プロフィール:中国出身、 36歳、 男性。
1988年来日。
日本語学校・専門学校を経て、 大学で国際経営学を専攻。
卒業後、 駐車場・ビル管理会社に就職。
1年前に婚約者のZさんが来日、 現在、 大学院で勉強中。

―来日の目的とその後の経緯を聞かせてください

 上海の大学では交通技術を学び、 8年間教官を務めていたが、 もっと経営の勉強をしたくて来日した。

 

   日本に来たときは、 ぜんぜん日本語ができなかったので、 まず埼玉・北浦和の友人を頼って同居、 夜は居酒屋の洗い場で働きながら、 昼間は新宿にある日本語学校に通って勉強した。

けれども、 日本語がうまくできないのと洗剤で手を痛めたのがこたえ、 新宿にある現在の駐車場・ビル管理会社にアルバイトとして転職した。

いまでも、 そのときの後遺症で、 冬になると指先が割れて痛む。

 

   その後、 希望どおり大学で経営学の勉強に 4年間打ち込んだ。

去年卒業して、 それまでアルバイトをしていた会社に正式に入社したが、 いまでも大学院のゼミには通っている。

―日本に来てからの住まいについてお聞きします

 来日してすぐ北浦和では、 小さなキッチンがついているだけの風呂なし、 トイレ共用という木造アパートの 6畳 1間に友だち 3人と住んだ。

家賃は 2.1万円だったが、 いま思い出してもひどかった。

駐車場のアルバイトに移ってからは、 現在の住まいを会社が社宅として借り上げて提供してくれた。

23m²の 1DKを 2部屋に仕切って日本人の同僚と 2人で住んだのでじつに狭かったが、 職場には近いし、 家賃は無料だし、 寝るだけだったのでがまんできた。

 そのうち、 同僚が出て 1人になったが、 こんどは私の就職を機会に、 上海から婚約者が音楽の勉強のため私費留学生として来日していっしょに住むことになった。

彼女は上海でピアノ・チェロ・筝を学んだが、 いまの住まいでは、 楽器を置くこともできない。

 とくに収納箇所が少ないのと、 キッチンが狭い。

なんといっても中国料理は火力を強くして油を使うので、 いずれはキッチンが独立した住まいに移りたいと思っている。

ただ、 そうなると、 家賃は自己負担になるのでたいへんだ。

―お2人のいまの生活と将来の希望について

 現在の仕事は駐車場管理で、 夕方5時から夜12時まで勤務する。

いっぽう彼女は、 昼間大学に通っていて夕方帰ってくるので、 毎日がすれ違いだ。

彼女が、 学校の帰りに食材を仕入れて帰ってきて料理しておいてくれる弁当を夜、 適当な時間に取りに帰る。

いっしょに食事できるのは、 日曜日くらいだ。

 将来の希望としては、 現在の仕事と学んだ経営学を生かして、 日本と上海に駐車場経営を実現できたらと思う。

しかし実際には、 中国の経済市場が大きく動いていて国際競争が激しいので、 なかなか難しそうだ。

 彼女のほうはいまは大学院研究生だが、 来年からは修士課程に進んで、 中国と日本の伝統音楽について勉強したいと希望している。

中国に帰れば、 音楽教育に関わることになるだろうが、 私の両親がアメリカに住んでいることもあって、 将来、 2人がどこで暮らすことになるのかまでは具体的に考えられない。

(インタビュー:太田多圭子・稲葉佳子 文責:太田多圭子)

プラン
平面図
RC造民間分譲マンションの5階、 2K(3畳+2畳+K)バス・トイレ付き
家賃無料(会社借上げ)。新宿区歌舞伎町

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