その85

《連載》

「どうですか、店長。売上の方は。」
久し振りに犬猫堂を訪れた藤川は、 コートを脱ぎながら犬田に話しかけた。
「そういう質問は失礼じゃないのか。 わかっているだろう。良いわけがないじゃないか。 年始に少し良かったのだけど、 それも続かなかったよ。 やはりダメなものは、 ダメなんだろうね。 今年一年なんとか乗り切れるよう、がんばるよ。
 ところで今日は何の用なんだ。 新刊の押し売りだったらやめてくれよ。 最近、 出版社だって大変なようだから、 やたらと押し売りまがいの連中がやって来るんだ。 番線、 番線って叫んでね。 出版社が勧めくれる本がすべて売れるんだったら苦労はないよ。 売れなくて困ってるのに、注文が出せる訳がないだろう。 それくらい分かってると思うんだけどね。」
藤川は犬田のその言葉に手を振りながら言った。
「違いますよ。僕がそんな押し売りをすると思いますか。うちの売れない本をいつもがんばって売って貰っているのに、そんなこと。そうじゃなくて、今日は、 ちょっとお知らせがありましてね。」
と言いながら、 少し照れた様子で、カバンからゲラ刷りを取り出した。
「これなんですけど。 犬猫堂さんが取引している取次店のPR誌にこれを連載することになったんですよ。 書店について、全国を営業した経験から、言いたいことがあったら何でも書いてくれって頼まれましてね。」
そう言いながら、 ゲラ刷りを犬田に手渡した。
「へーっ。タイトルが 《一言半/甘辛書店時評》 っていうのか。」
犬田は手に取ったその原稿に目を通し始めた。 そして読み終わると、
「僕には面白い記事には思えないね。 当たり前のことを当たり前に書いているだけじゃないか。 これを読んで、仕事の参考にしたりする人がいるのか。それによく取次店がこんなへたな文章を掲載する気になったね。」
と言い、犬田は、 つまらなさそうにゲラ刷りを藤川に返した。
「ちょっと手厳しいですね。でも店長がおっしゃることも当ってると思いますよ。ほんと、当たり前のことを書いているんですよ。 でもこれが結構当たり前じゃないんです。 犬猫堂さんでは、 新人やアルバイトに、 本の売り方についてキチンと教育されてますから、 そう思われるでしょうけど、 最近では人手を掛けない店が増えたり、 POSで商品管理をする店が増えて、 本の売り方を教えない店が多くなっているんですよ。 なんと言うんでしょうか、 いわゆるコンビニスタイルの書店が主流になりつつあるんですよ。」
と藤川は説明した。 犬田は藤川の言葉に頷きながら聞いていた。
「ああ知っているよ。 人件費の削減は、書店の大きなテーマだからね。 それで、 そのことと藤川くんの連載とはどういう関係があるんだ。」
藤川はその答えに少し困った。
「確かに、 POSレジが代表するような書店のSA化について、 その運用の仕方を書く方が、書店にとって参考になるんでしょうが、 僕がこんな風な古臭い本の販売論を書くのは、 どんなに書店が機械化されても本という商品の売り方は変わらないと思うからなんです。 本をどう売るのかという部分が欠落したまま機械化してしまえば、やがて書店はつまらないものになってしまう。 つまらない書店には客が来ない。 客が来ない書店は潰れる。 そうならない為に、 無駄だと思っても書きたくなったんですよ。 その機会を取次店がくれたというわけです。感謝してますよ。」
犬田はもう一度大きく頷いてから言った。
「そういうことか。いいじゃないか。 君の下手な文章が少しは役に立って、欲しい本と出会える書店が増えれば、それでまた本を読む人が増えるってことだからね。そうなれば犬猫堂だって儲かるってわけだ。」

 藤川は、もう役に立たない理屈であっても、誰かがこうしたことを言い続けなきゃいけない、 たとえそれが古臭いと言われようと本を売るということがどういうことなのかを伝え続けなければならない、 そう思った。

「一言半/甘辛書店時評」は2月15日より掲載します。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ