2024年8月15日 1945年8月6日は広島に原爆が投下された日です。その2日後の8日にフランスの『コンバ』 紙の主筆を務めていたアルベール・カミュが広島原爆投下についての社説を書いたと、あるツィートで知りました。
それによると、カミュは「世界はちっぽけなものだということ知った」。そして「どんな中規模の都市もサッカーボールの大きさの爆弾で完全に破壊されうると
いうことを知る」と。また「機械文明は野蛮の最後の段階に達っしたばかりだ。遅かれ早かれ近い将来私たちは集団自殺か科学的征服の賢明な利用かを選択し
なければならなくなるだろう」とも。原爆投下からたったの2日後、その惨状をまだ具体的に知らないカミュでも、丸ごと都市を破壊する原爆の威力に衝撃を受
けたようです。戦争が終わったばかりのフランスで知った原爆の恐ろしさ。しかし、それから80年近くたった今もなお何らの解決方法が見つからず、むしろカ
ミュの
いう集団自殺に世界は向かっているのでしょうか。
2024年8月8日(8月2日の続きです) 次に驚いたのは、真っ赤なドレスの
マリーアントワネットがギロチンに処された自らの首を持って歌っているシーンです。その建物はマリー・アントワネットが投獄されたシテ島のコンシェルジュ
リー
。この案には賛否両論があるようです。なぜマリー・アントワネットなのか。なぜルイ16世ではないのか。どんなメッセージがあるのだろうと、考えてしまい
ました。最後に歌われた「Imagine」。Imagine
there’s no countries 。この’countries’
とはなんだろうと今更ですが考えてしまいました。確かに、第一の船ギリシャに続く船はIOCオリンピック難民選手団。旗は五輪旗でした。また、パレスチナ
や台湾の旗もありましたが、「国」が金メダルをいくつ取ったか競い、国旗が掲揚される。しかし、「国」が後押ししなければきっと金メダルも夢かもしれませ
ん。また、あの観客の高揚もないかもしれません。競い合う気持ちも出てこないかもしれない。いろいろ考えさせられる”オリンピック”。しかし、確かにパ
リ・オリンピックが「多様性」を謳う祭典であると感じたのは私だけではないと思っています。「Imagine」は次回からも歌い続けられるようです。
there’s no countries のオリンピック。どんな’お祭り’になるのだろうと思っています。
2024年8月2日 パ
リ2024オリンピックが始まりました。夏の開会式を外ですることは初めてということ、しかもセーヌ川に船を浮かべて選手たちを運ぶという。発想は面白い
と思ったのですが、日本で見るのはま夜中。念の為、録画しました。案の定、睡魔には勝てず開会式の半分以上見逃してしまいました。あまりに長かったという
こともあります。しかし気になる光景が浮かんできて録画を何度か見直しました。
まず驚いたのは、フランス人といってもいろいろな人たちがいて一つの「フランス人」ではなくしかも国籍に関してもフランスではない人たちまで参加していま
す。また今回のテーマが、フランス国旗が示すように、3)LIBERTÉ(自由)4)ÉGALITÉ(平等)5)FRATERNITÉ(博愛)ばかりでは
ありませんでした。まずはじめに1)ENCHANTÉ(ようこそ)から始まりましたが
2)SYNCHRONICITÉ(共時性か。一致する、同期するという意味もあり、オリンピッ開催期間に皆で一緒にか)6)SORORITÉ(女性同士の
友愛)7)SPORTIVITÉ (スボーツマンシップ?)8)FESTIVITÉ
(祭典)9)OBSCURITÉ(闇・影)?)10)SOLIDALITÉ,(連帯)
11)SOLENNITÉ(荘厳または気どり?)、締めくくりとして12)ÉTERNITÉ(永遠)。12のテーマから成っているようです。それぞれの意
味を考えるには、もう一度そのシーンを見なければなりません。
たとえば、2)、9)11)。
2024年7月20日 京都では祇
園祭が終わると夏になると言われていますが、今年はいつ夏になったかというほど早くから夏の暑さ。一週間ほど前から蝉が今しかないとばかり一
斉に鳴きはじめました。木々の中で鳴いている蝉たち、ガラス窓に体当たりしてベランダにお腹を出してひっくり返っている一匹の蝉を見るともう夏の終わりのような気が
してなりません。かつて夏の始まりはどんなであったか。梅雨が終わってと言われていましたが、その梅雨も突然の豪雨のような雨や曇り空などで天気予報
でしか梅雨は感じられなくなっています。かつて日射病
といわれて、外に出るときは帽子や日傘をもったものでしたが、今は部屋の中でさえありうる熱中症に警戒を呼びかける姿を目にします。蝉は例年の
ように鳴き始め、すでに来年の夏にそなえるべくその儚い命を終えて道端、公園でカラカラした身を横たえています。これからが、あの夏ですが。
2024年6月15日 『境界の詩歌』・『遠望』の著者である内藤惠子氏の、詩集『しだれて・・桜』、そしてエッセイ集『終わりのない出立』を刊行予定し
ています。詩集は43篇、そのうち3篇は著者のドイツ語訳が添えられています。またエッセイ集は18話おさめられています。前回の『遠望』では、詩、エッ
セイ、評論が一冊におさめられていましたが、今回は「詩」と「エッセイ」が分けられて、2冊となっています。
2024年5月30日 朝まだ薄暗い中、カーテンの隙間からかすかな光が入り、しばらくすると玄関のポストにそっと差し込む音。少し経ち再びカーテンの
隙間から一筋の光が天井を流れ消えて行く。バイクの抑えた音とともに去っていく新聞配達員。寝静まった早朝のいつもの光景。各戸に新聞を配達するのは日本
だけかと思います。毎朝当たり前のように新鮮な新聞を読んでいます。「朝刊・夕刊配達員大募集」と書かれたち
らしが今朝の新聞に挟まれていました。新聞を頼む人も少なくなり配達をする人も少なくなり、新聞自体がやがてなくなってしまうのではないかと心配しなが
ら、当たり前のよ
うに家にいながら読める有難さに感謝するようになりました。
2024年3月31日 花は桜。桜がお花見の花になったのはいつだろうとふと考えました。平安時代までは花といえば梅と思っていました。と
ころが古今集では桜が梅より多く歌われています。桜が歌われるようになったのは「812年3月末、嵯峨天皇が京都の神泉苑で行った「花宴の節(かえんのせ
ち)」を催した」が初めてだと知りました。ということはそれまでの「花見」は2月のまだ寒い頃。梅を観賞しながらの歌会が開かれていたということです。嵯
峨天皇が催した宴から「桜の花見」は貴族の間で流行し花は桜となったとか。ひっそりと咲く梅より「しずこころなく」させる桜のほうがお花見にはふさわしいのか。時代がかわり桜の下で一般の人までお弁当持参でお酒を飲みながらはしゃいでいる姿は見ていてなんとも微笑ましいものです。
2024年1月1日 明けましておめでとうございます。昨
年は異常気象に翻弄された年でし
た。しかし、それによって「自然」を見つめる機会となりました。また現在も続いている戦争から、それまでの歴史を考える機会にもなりました。今年は3冊の
本を出す予定
です。夕方、キッチンのレンジの鍋がガタガタ音がし、天井から吊るされた電気のかさが小刻みに揺れています(東北大震災の時
もそうでした)。テレビをつけると能登半島の地震。近くには志賀原発がり、若狭湾には原発が5機あります。後ほどの情報では、珠洲原子力発電所が高屋地点
で計画されたそうですが、建設されなかったようです。
2023年9月1日 9月1日は関東大震災から100年の日です。 小
学校時代、夏休み明けの9月1日はサイレンが鳴ると同時に、前に伸ばした左腕を右手で掴んで、階段を下り校庭の中央に集まりました。「9月1日」はその
行動とともに一生の記憶として残りました。まだ12歳ほどであった父は晩年ぼそっと「位牌を抱きしめて逃げ回った」と言ったことがありました。長男として
家を守ることが一番だったのかもしれません。その時の父の祖母や母親、3人の妹たちはどのようにして逃げたのだろうと思います。家族思いの父が、真っ先に
脳裏をよ
ぎったのが家の象徴である位牌でした。芥川龍之介は妻や子をそのままに自分だけ逃げてあとで妻に非難されたと言われています。一体自分はどういう行動をと
るだろう?しかし、小学校時代の9月1日のあの姿は、関東大震災の歴史へと注意を向け、まるで自分が体験したように思い出されてきます。
2023年7月13日 時
々近くの200mほどの山に登ります。登り口はたくさんありますがいつも選ぶのは中腹にある神社の裏手から小さな谷に沿った細い道を登るコースで
す。山の斜面から流れ谷にチョロチョロと落ちていく道を幾つも跨ぎ、少し幅の広い川を小石を踏んで向こう側へ渡り谷から外れてジグザグに登ってい
くと峰に出ます。今来た道を振り返りあの山からの沢山の水の源流は
一体どこだろう、どこに流れていくのだろう。未だわからない川の姿です。
久留米市田主丸町竹野地区が土石流に飲み込まれたというニュー
ス。その近くには手軽なハイキング向けの低山があり今回の災害は想像しにくいと言われています。その山の頂上から一筋の線となっている土石流の
痕を見ていると、まるで毛細血管のように山に張り巡らされた小さな水の流れが谷間に注ぎ合流して大きな川となって山を落ちていったのではないかと思いまし
た。いつも歩いている谷沿いの道が大雨に見舞われたら頂上付近にある目に見えない沢山の源流が濁流となって谷に向かい岩を石を木々をなぎ倒して落ちていく
に違いありません。自然のおそろしさを想像しています。
2023年5月12日 連
休は近くの山を歩きました。山といってもとても低い山です。お寺の裏を登り切ると道が二手に分かれ、見晴らしのいい鉄塔までは一方は平坦が多い道を、もう
一方は下って谷川沿いを歩きます。谷川沿いの道には丸太の橋や小石を踏んで川を渡らなければなりません。しばらく行くと、女性が二人、ぴたりと寄り添って
歩いて来ました。少し進むとまた二人連れの女性に会いました。狭い道なので二人連れが通り過ぎるのを待っていました。すると前にいた女性が「この娘(こ)
は目が見えないんです」と言いました。うしろの若い女性はその人のあとをしっかりとした足取りで歩いていました。彼女たちの下りてきた道の先には九輪草が
咲いています。あの女性たちは九輪草を見にきたのだと気がつきました。年配の女性はどのように花を説明したのだろう。たとえ花が景色が見えなくても、森を
抜ける風、木や枯れ枝や土や水の匂い、竹のしなる音、川のせせらぎ、鶯の様々な音程の鳴き声、落ち葉を踏む音、その下の柔らかい土、小石や小枝の散らばっ
た道の靴の裏に感じる感触。きっと自然を敏感に感じたにちがいありません。そして、信頼して付いてくる若い女性たちの足取りの軽やかさに、低い山とはいえ危険がひそんでいる森に導く二人の女性の、自然への思いと周到な準備が想像でき、爽やかな気持ちになりました。
2023年5月2日 東京に
住んでいた頃、家の前には大きな公園がありました。その入口の両脇に枝を大きくのばした欅が数本あり欅の間から心地よい風が流れてきます。家の中の暑さに
耐えられなくなると公園の入口に行きました。その奥、公園の真ん中にはカンカンと照りつけるグランドがあるのですが。今、神宮の杜の木が伐採される計画が
あり反対する人たちがいます。また京都でも府立植物園の見直し案が出て反対運動がおきています。一度木が伐採されると、そこばかりではなくその周辺も気温
が高くなります。私たちを潤す緑に戻ることはないのではないかと思います。
2023年3月11日 東日本大震災から12年を迎えました。押し寄せる津波に飲み込まれていく人、車、大木。逃げ惑う人々、車。引き続き起こった福島の原発事故。この頃になるといつも思い出す光景です。ここ乙訓では、訓練として緊急警報が向日市、それから長岡京市、大山崎と鳴りました。身の周りの電源を点検し、窓を開け、そして玄関のドアを開けるくらいしかできなく、これでいいのかと立ちつくしていました。
2023年1月17日 1995年1月17日に発生した阪
神淡路大震災から28年が経ちました。朝まだ暗い5時46分、大きな揺れはここ京都南部でも感じられました。しかし窓から見る景色はいつもの静かな朝でし
た。そのまま寝てしまい大惨事を知ったのは8時前。テレビでは空に3本の煙が立ち上がっている神戸・長田町でした。空の下で多くの人が苦しんでいるの
を知ったのはもう少しあとでした。それから毎日、テレビでは破壊され崩れ落ちたビルや家の前で家族や知人を探す人々の姿を写していました。寒い日が続いていました。今、
復旧が進みあの惨事を忘れがちですが、体験した人の心の中にある傷は決して消えることができないでしょう。被害の少なかった京都南部の我が家でも大
きな揺れ食器棚から落ちこなごなになったコップ。そして電話が繋がらず行列をなした電話ボックス。携帯がなかった時代でした。また大阪に近づけば近づくほどブルーシートに覆われた家が多くなっていく、その光景を忘れません。
2023年1月1日 明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。
2022年12月15日 内藤惠子著『境界の詩歌』に感想文が寄せられました。著者が翻訳は可能かと悩みながら、日本の古典である和歌あるいは詩などをドイツ語に訳すことで翻訳への可能性に挑戦した『境界の詩歌』。それに対し、「詩の翻訳は不可能である」という批評。その不可能の理由の一つ一つはとても興味深いものであり、考えさせられる内容です。
2022年12月1日 『支
え合い・学び合いで育つ「わたし」』の著者・高木和子氏は、大学院で主に「幼児たちの発達」を教えていました。聴講
生はその教えの中心にある「〜し合い」を学び、保育に関心のある若い生徒たちに学んだことを実践すべく卒業していきました。また高木氏は近くの保育園に通
い、保育士さんや子供たちと交流し、「〜し合い」を深めていき、私もその考えに、そうした姿に共感をもちました。今回、静岡の保育園の保育士たちは何を学
んできたのだろうかと憤りを感じます。子供たちは一人の人間です。まだ体もうまく動かせず言葉も不十分とはいえ、これから自分=大人たち、を超えるかもし
れないと思うと畏れさえ感じるはずです。わからないから、まだ理解できていないから「自分」のような「大人」からみると「こどもは未熟」と侮れないはずで
す。
2022年11月22日 今や、木々の葉が紅葉し自然を美しく染め上げています。京都では東山がよくテレビで紹介されていますが、西の山々も美しい。嵐山から少し南に下った沓掛山、さらに南のひときわ高い小塩山、釈迦岳、柳谷観音まで
連なる山々。その麓にある大原野神社、勝持寺(花の寺)、善峯寺、そして柳谷観音のある楊谷寺。あまり人が来ないためか密かに、鮮やかに彩る桜、楓、イ
チョウ。麓から見上げて近くから見つめて。はるか東には清水山、稲荷山、その背後に高くそびえる醍醐山、音羽山、比叡山がのぞまれます。
2022年10月13日 私は「ひろゆきさん」をほとんど知りません。しかし「ひろゆきさん」のYouTube「沖縄の人は日本語が話せていない!」から切り抜かれた4枚の画像がいくつかのツィッターに紹介されていたのを見て、驚きと共に嫌な気持ちがしました。たった4枚の画像から勝手に判断してはいけないので「ひろゆきさん」のもともとの短いYouTubeを何度か見直しました。
それらのツィッターに掲載された4枚の画像の「ひろゆきさん」のことばは次のとおりです。
1)「沖縄人のインタビューとかを見ていると」
2)元々方言があったりするので、
3)沖縄の人ってあんまりスムーズに
4)文法通り喋れないんですよね
5)綺麗な日本語にならない
6)標準語喋らないんですよ
上記に対しての私の大きな疑問は以下の通りです。
2)の「方言」とは何かです。
4)の「文法通り」という「文法」とは何かです。 また「文法通り」とはどういうことか。 5)の「綺麗な日本語」。 どういう日本語を綺麗というのでしょうか。 6)の「標準語」とは何でしょうか。
私は、「ひろゆきさん」と同じように考える人たちに出会って疑問を持ち、『ソシュールのパ
ラドックス』の2『「日本語」を再審する』で、言語について、「日本語」について考えました。2005年のことでした。
2022年8月24日 8
月20日「支え合い、学び合いで育つ『わたし』」の著者・高木和子先生の「偲ぶ会」が立命館大学の教室で行われました。お亡くなりになったのは昨年の
8月でしたが、当時コロナが猛威を奮い葬儀はご家族だけで済まされ、あらためて偲ぶ会をというゼミ生、受講生たちの声で、編集を手伝って下さった方々が
企
画されました。コロナは現在も勢いを増していますので全員が会場に集まるというのではなく、参加できない人はオンライン形式での会でした。亡くなられて1
年も経つと先生への厳しいご指導の辛い思い出も生々しい感情も削ぎ落とされて、スライドの中の先生を懐かしく思い出されたのか参加者の面白おかしく語
る思い出話に微笑ましささえ感じられました。生徒と共に「学び合い」「楽しみ合う」先生の、編集者と触れ合うのとは違う側面を見ました。先生の講義を
ちょっとのぞいてみたかっ
たと悔やまれました。
2022年6月22日 駅前にあった小さな本屋さんが消えていっています。仕事の帰り道、まだ頭がカッカとしている時、電車を降りて駅前の本屋さんに寄って本をぼんやりみている
のは頭を冷やすのによい空間でした。最新版の雑誌や
書籍を前にやすらぎを覚えたりしました。背表紙やカバーを見て、どんな新しいことが起きているかを知ったり、手に持って頁を開き、目次やあとがきを読み、
たっ
た一文であっても惹きつけられて買ってしまう時もありました。手に抱えて家路を急ぎながらも、儲けたような、豊かになったような気がしました。乗り降りし
た駅の反対側には古本屋もありました。スペースは本屋さんと同じくらい小さいのですが、動きのない本が天井まで積んであり、見慣れたタイトルを
あきもせず見つめていて、落ち着いた気持ちになりました。いらいらした「私」を包んでくれるようなあの書物の匂いに囲まれて。立ったままでも安らぐ空間、
それが今消えようとしています。寂しい限りです。
2022年4月14日 見上げる人を花びらで包み込むように咲いていた桜が散り、今は道端に何
気無く咲く、たんぽぽ、つつじ、チューリップ、シャガ、ホトケノザ、スミレ、ツルニチニチソウ、カラスノエンドウ。花から花へ忙しく飛び回る蝶蝶、昨年の
古巣を探してやってきたつばめ。山には、練習したての声を披露したいとばかり鳴くうぐいす。春がようやくやってきて外出を楽しむ季節。しかし、それと比例
してコロナ感染も増えてきてしまっています。コロナの収束を祈るばかりです。
2022年3月11日 今日は東日本大震災から11年目。11年前のことを思い出していましたら、この乙訓3地区(向日
市、大山崎町、長岡京市)の緊急速報メールが入りました。練習のためということですが、なんとなく不安をおぼえ家の中を点検して回りました。即座にできる
ことと言えば、火の元を見る、避難のため玄関まで行くことぐらいです。関西の人はおそらく阪神淡路大地震が起こった1月17日になんらかのことをするので
はないかと思います。私も避難用具や水、食べ物の点検などは1月17日にします。東北では未だあの時出会ったことに癒えない人もいると思います。行方不明
者もまだいると聞きます。ただただよい方向に向かうことだけを祈るばかりです。
2022年3月7日 ウクライナへのロシア軍の侵攻。それまでも沢山あった戦争と今回が違うのはSMSによって侵攻状
況が即座にしかも一市民から直接伝えられていることです。今ウクライナで何が起こっているか一般の人々の顔まで見えます。爆発する高層ビル、粉々になった
アパートの部屋、傷ついたウクライナの人々、そして子供たち。死んだ子の前で泣き崩れる若い母親、不自由な足を引きずりながら戸惑う老人、狭い地下避難所
で疲れきった大人たちの側で無邪気に戯れる幼児たち、戦う男たちを残して子達とバスに乗り込む母親と子供。祖国にいる親を心配してスマホで交信する日本在
住のウクライナ人。生々ししい状況に、今まさに起こっている戦争の悲惨さを実感しています。
2022年1月19日 某
新聞に、27年前に阪神大震災で亡くなった一人の中学生を偲び、同級生がこぶしの木を植えた話が載っていました。亡くなった旧友の生きた証として。山道を
歩いていると老木に出会います。太い幹はごつごつしていて張った根でやっと支えているように思えます。しかし風格があり立ち止まって思わず見上げて
しまいます。ひょっとするとこのような老木にも上記の中学生のような謂れがあるかもしれません。長い風雪で横に立てかけた説明書きがなくなり人も去りなぜ
老木がそこにあるか誰も知らない。通る人々は気になって見上げます。震災で亡くなった旧友を偲び植樹する。長い歴史にはこのようなことがたくさんあったに
違いありません。
2022年1月17日 今
日1月17日、阪神の地震から27年が経ちました。早朝5時47分大きな揺れとともに台所の棚のグラスが落ちる音がしました。暗闇の中、向かいの棟の窓
のいくつかの明かりが灯りまた消えました。神戸で大惨事が起こっていることを知ったのは、7時半過ぎ、テレビをつけてからでした。神戸の空に数本の煙の柱
が立ちのぼっていました。その下で多くの被害者が出ていることを知ったのはしばらくしてからでした。それから寝る時は普段着のすぐに飛び出せる服を着て
います。
2022
年1月1日
昨年はコロナに悩まされました。多くの事故・事件に巻き込まれ、いまだ失意から立ち直れない方々もいらっしゃると思います。今年こそコロナの終息を、また
平穏年でありますようにお祈りします。「境界の詩歌」「遠望」の著者、内藤惠子氏詩集・第二部を刊行予定です。
2021年12月2日 ある新聞に「フランス人のお供に「BENTO」 環境問題、コロナ禍背景に人気定着
」とありました。確かに、お弁当箱にご飯を詰めれば、環境にも優しい。かつて、あるお年寄りがどこに行くにもお弁当箱とお箸を持ち歩かれた。外食しても
食べきれない時、持参したお弁当箱に詰めて。お箸は今ではマイ箸といわれるほど普及してきましたが、数十年前は、私も含め、そんなことまでしなくても、と
恥ばかり考えていました。これからお弁当箱だけを持参して外食する人やお昼、職場で食べるものを通勤途中のパン屋さんでマイ弁当箱に詰めるような人が多く
なるかもしれません。
2021年8月20日 この暑さにすっかりまいってしまった私たちに元気を見せて、去る夏を惜しむかのように必死に鳴く蝉、夕方には消え入るような虫の声。秋の気配をじホッと
しています。しかし、増え続けるコロナ感染者、大雨による土砂災害に被られた方々にはお見舞い申し上げます。 8月3日、『支え合い・学び合いで育つ「わたし」』の著者、高木和子氏が逝去されました。「発達」という視点を幼児や青少年だけに限定するのではなく、生涯にわたって見つめることの大切さをご著書で述べられています。ご冥福をお祈りします。
2021年7月12日 田中優子元法政大学総長が、朝日新聞「語るーー人生の贈りものーー」の中で、1970年、大学に入学後、言語社会学という特別講座を受講した時に出会った
チョムスキー、ソシュール、バルトを通しての言語と人間についての議論が刺激的だったと語っています。その頃読まれていたソシュールは、バイイ・セシュエ
編『一般言語学講義』(小林英夫訳)ではないかと思います。しかし、元学習院大学教授の小松英輔氏はそれらの解釈に疑念を持ち、直
接ソシュールの講義を聞き記録した生徒のノートを掘り起こし活字化しました。弊社の日本語訳はそれが原本です。小松氏がなぜそれまでのソシュール言語論に
疑念を抱いたか、その経緯は小松英輔著『もう一人のソシュール』を読むとよくわかります。
2021年7月1日 職
場接種といっても、それらの大学も企業も大組織ばかりです。その接種される人たちがなぜか特権階級に見えてしまいます。どこにも所属しない、したくない人
が接種できる
ところは自治体しかありません。社会のあぶれもののような気持ちになっている人がいるのではないかと思います。また、介護者であったり介護専門職
の人たちがまだワクチンを打てずにいて不安に思っています。なぜ、職場摂取を優先させるのかわかりません。ソシュール『一般言語学第一回講義』『一般言語
学第二回講義』『一般言語学第三回講義』の電子書籍版は左の欄内にありますように、iBook, Kindle,,楽天Koboからお求めいただけます。
2021年5月13日 コ
ロナワクチン予約では混乱が今でも続いているそうです。終戦前に生まれた人は75歳以上、戦後電話が各家庭に置かれるようになったのは1960年代。高校生になってからです。電話から知人の声
が聞こえるのが不思議で、電話機を裏返したりコードをひねったりした人たちもいました。機械から出る声に逃げ回ったという人もいたそうです。テレビ、冷蔵庫、洗濯機はスイッチをひねれば動く便利さに小躍りし
て喜んでも、やっと慣れた電話が携帯に変わり、一つの携帯で多くの機能を持つと、もうどうしていいかわからず、ガラ系のままでいる人も多いようです。年齢
を追うにしたがって、いくつもの機能を操るのは難しくなります。そうした高齢者の能力を知らないと、ラインはできない、電話は繋がらないからと不安になり、直接聞きに行くのを笑えません。混乱はまだ続いているようですが、高齢というのはどういうことか、どうしたらその不安
を解消できるかとまず考える必要があるのではないでしょうか。内藤恵子著『境界の詩歌 3』、「遠望』に感想が寄せられました。内藤恵子さんが添え書きにされたポール・ゴーギャンの絵の下には、Die Kunst
ist der Spiegel der innersten Seele と書かれ、「芸術は魂の奥底をうつす鏡」と内藤さんの訳が添えられていました。
2021年5月7日 京都府の緊急事態宣言は11日に解除の予定でしたが、延長されるようです。宣言が発令中、街中は静かだったようですが、郊外や自然の中などに行く人が多
かったようです。長岡京市は昨日9時からワクチンの予約開始。電話は難しいと思い、LINEで申し込もうとしましたが、途中で、手続きもストップ。焦って
「次はどうしたら
いいのですか」と文字で打ったのですがすぐ既読になったものの、「いま、なんておっしゃいましたか」とか「いまのはすこしわかりにくかったです」「すこし
いいかえていただけませんか」」という返答ばかり。ようやくすべてを終了し、予約ができたのは2時間近くたった11時ごろでした。昼頃、予約済みという連
絡と市長の謝罪があり、予約殺到で問題が生じていたということがわかりました。ワクチン接種予約は全国的にこのような混乱した状態
だったと思いますが、一人暮らしで誰の助けもない高齢者でしたら、電話は繋がらない、LINEなど知らないという場合、どうなるのでしょうか。 ソシュール『一般言語学第一回講義』『一般言語学第二回
講義』『一般言語学第三回講義』の書籍版、電子書籍版が好評です。
2021年4月21日
歌舞伎や宝塚が好きで、東京はもちろん宝塚、京都まで通っていた中学時代の友人がいました。父親は戦死、母親は病気がちで寝込むことが多く、優秀な兄は勉
強、彼女は介護と家事をしていたそうです。小学生の頃から帰宅するとすぐ夕飯の支度などに追われていたと。クラスで問題が起こると姉御タイプの彼女がまと
めていたことはよく知っていましたが、姉御の姿の背後にそんな生活があったのです。5歳の頃から、近所の「おばちゃん」が歌舞伎に誘ってくれたそうです。
目黒から歌舞伎座まで電車を乗り継いで観に行った近所の「おばちゃん」と幼子の姿を思い浮かべながら、歌舞伎、宝塚は、母親が寝ている暗い狭い部屋からま
ばゆいばかりの美の世界への誘いだったのでしょう。彼女の生い立ちを知ったのは亡くなる1年前、関西に遊びに来た時でした。もう10年が過ぎました。
今「ヤングケアラー」が注目されています。私の通う小学校も中学校も決して豊かではない家庭の子が多かったのですが、親の介護をしていた級友がいたこと
をその時初めて知りました。時代と歴史を重ねながら亡き友達を思い出しています。
2021年4月9日 桜の花が散り、若葉が目を楽しませる季節となりました。花を、若葉を見ているかぎり、その下ではコロナが蔓延していることを忘れてしまいそうですが、道ゆ
く人たちが口元をマスクで覆っている姿に見えないコロナに気付かされます。一体いつまで続くのでしょうか。「歴史」をとりあげた番組から、疫病を沈めるた
めに作られた仏像とか祈りをこめて始められた祭りとかを知ると、疫病は昔からあり、多くの人が苦しみ、多くの人が死んだことを改めて知り、しかし不思議に
今まで人間の歴史は絶えることなく続いてきたのだと思うと、いつかコロナ感染も終息すると信じてやみません。 ソシュール『一般言語学第一回講義』『一般言語学第二回
講義』『一般言語学第三回講義』の書籍版、電子書籍版が好評です。
2021年3月11日 東日本大震災から10年が経ちまし
た。あの3月11日の午後、書斎のパソコンをい
じっていますと何か気持ち悪い揺れに気づきました。天井からぶら下がっているランプの紐が小刻みに左右に揺れています。嫌な予感に、別室のテレビをつけま
した。阪神淡路大震災以後、おかしいと思ったらテレビをつけるようにしていたからです。やはり勘があたり、テレビの中では言いようのない状況が映し出され
ていました。続く原発の大惨事。あれから10年。ここ長岡京市では、午前中、緊急速報メールが入りました。もちろん訓練です。しかし、どうした行動をとれ
ばいいか考えるよい訓練。思いつくままを行動に移しました。東北の方達、また避難などで他に移られた方達、その関係者でいまだ苦しまれている方達にお
見舞い申し上げます。
2021年2月17日 生物学者中村桂子が『生
きものとして生きるということ
』で、次のようなことを言っています。少し長いですが、引用します。「私はわからないことが増えるのが楽しい。だって、全部わかってしまったら怖いでしょ
う?
もしも自分が生まれてから死ぬときのことまでがぜんぶ書いてある本があったとしたらお読みになります?わからないことがあるということくらい生きてる意味
はないじゃないですか。勉強
するほどわかないことは増える。3歳のときよりも1年生の方が、中学校よりも大学に入った方がわからなくなる。それを楽しいと思う人が学者になるんで
すけど、わからないことを大事にするのはどの世界でも必要なのではないかと思います。今はわかってるということをあまりにも大事にし過ぎてる。技術はど
んどん進んできましたから遠くの方とオンラインでお話をするとかコンピューターを使って世界を広げていくのが悪いことだとは思わない。でも、それを
やってるが故に思考方法までもがマルかバツかになってしまうのは駄目でしょう。コンピューターの中にあるのはすべて既知のことです。でも自然の中を少し
歩いたら未知のことだらけですよ。私たちはもともと未知の中に暮らしてるんです。生物学なんて何か質問されたらほとんどがまだわかってません。38億年前
に最初の細胞が生まれた。そのことはいろんな状況証拠があるから言えますけど、じゃあ、いつどこで生まれたのかっていうのはわかってない。
生きもののことはまだ99%はわかってはいません。一つわかるというのは、わからないことが100出てくるってことです。10わかると、今度は1万わから
なくなる。研究というのは、やればやるほどわから
ない世界が広がっていくんです。私たちは歳をとると、経験にたより、それが一番だと思ってしまいます。知ら
ないということを知らない。」と。内藤恵子著「遠望」の感想が再び寄せられました。とてもよい感想です。ソシュール『一般言語学第一回講義』『一般言語学
第二回 講義』『一般言語学第三回講義』の書籍版、電子書籍版が好評です。
2021年1月15日 1月8日の1都3県の二回目の緊急事態宣言の続いて、13日に京都府を含む7府
県、さらに愛知、岐阜、福岡、栃木などに緊急事態宣言が出ました。用事で京都市内まで行かなければならず、せっかくなので書店に寄りました。カゴを持った
人が本を探していました。きっとまとめ買いして自粛期間中に本を読むのではないかと思います。近くの図書館でも借りる人が並んでいました。宣言の発令には
精神的に追い込まれることもありますが、動きようのないこのような時、本を読む機会でもあると思います。また、このような機会だからこそか、詩に感動し、
感想を寄せてくださる方もいらっしゃいます。ソシュール『一般言語学第一回講義』『一般言語学第二回
講義』『一般言語学第三回講義』の書籍版、電子書籍版が好評です。秋津伶著『割れた鏡面:
ー裏側にNの署名を持つ七つの短編ー』電子書籍版を出しました。上記のように、内藤惠子著『遠望』にあらたに感想が寄せられました。
2021年 1月7日 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で考えたことの続きで
す。著者(ブレイディみかこ)の中学生の息子が期末試験の問題で「エンパシーとは何か」というテーマで書けといわれ、それを知った母親(著者)は考えま
す。「シンパシーのほうは、かわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努
力
をしなくとも自然に出てくる。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだと思えない立場の人々が何を考えているだろうと
想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。」と。自分と様々な点で違う人々を「想像する」ことは一見簡
単なようで難
しいことです。想像は豊かでもそれを自分のこととして感じなければ、なかなか理解できません。しかし、イギリスのその中学校では、「エンパシー」という問
いを与えることで、その先を、その奥を子供達にまずは考えさせるということではないでしょうか。 ソシュール『一般言語学第一回講義』『一般言語学第二回
講義』『一般言語学第三回講義』の書籍版、電子書籍版が好評です。秋津伶著『割れた鏡面: ー裏側にNの署名を持つ七つの短編ー』電子書籍版を出しました。内藤惠子著『遠望』に感想が寄せられました。
2021年1月1日
新年おめでとうございます。という言葉がむなしく感じます。昨年の年明けには想像もしなかったコロナ感染に苦しみ、翻弄される日々。感染が世界中に蔓延
し、多くの人が自粛を心がけながら、とうとう年が明けてしまいました。今年こそはコロナの収束を願ってやみません。
2020年11月19日 外国の教育に関連する書籍に目がいくようになりました。一体外国の学校ではどんな教育をしているのか。日本とどう違うのか。教育によって人はどう育って
いくのか。私自身の答えはまだ出ていません。しかし、中島さおり著『哲学する子どもたち バカロレアの国 フランスの教育事情』」『ブレイディみかこ著
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んで、考えさせられることがたくさんありました。
これらの書物から印象に残ったことすべてを語ることはできませんが、まず感心したのはフランスの「歴史」の授業です。日本の中学・高校では、歴史というと
古代から中
世、近世には十分時間をかけますが、近代になると受験の準備もあるのか、かなり駆け足です。しかしフランスでは、「中学最終学年の歴史は一年かけて20世
紀を勉強する」そうです。フランスと日本の「歴史」に対する認識の差は、「近代史」こそ重要というフランスと日本の「歴史」への姿勢が関係するのではない
で
しょうか。
2020年11月4日 本の売れ行きを見るために時々書店周りをしていました。残念ながら現在はコロナ感染を避けて中断しています。何年か前、ある書店に行った時でした。『それで
も、日本人は「戦争」を選んだ」が平積みにされていました。タイトルに惹きつけられてすぐ買ってしまいました。著者は現在問題になっている加藤陽子氏でし
た。ーー普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?高校生に語るーーという副題がありました。私も不思議でし
た。すぐ隣にいる善良な人たち、温厚な夫たち、優しい兄たちがお国のためにといって戦争に出向き戦った。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読
んで、なぜという問いの答えを見つけられたか、わかりませんが、少なくとも「考え」が深まりました。高校生と深く考えることを促した著者がなぜ政府に否定されたか。
書店で平積みにされたということは高校生以外にも読まれると書店は判断したからです。そして、読まれているはずです。 新刊『母の切り抜き』を作りました。詳細は左の欄から直接リンクしてご覧ください。
2020年10月27日 「パ
ンがなければケーキを食べればいい」ルイ16世の妃マリー・アントワネットが言った言葉として有名です。アントワネットが言ったかどうかわかりませんが、
裕福な王朝の施政者の妃が、飢えに苦しんだ農民が蜂起した時に放たれた言葉として有名です。「いい考えを思いついたわ、ケーキよ、パンがなければケーキが
あるじゃない」
と答える屈託なさ。
問い詰められて話をはぐらかすことは子供によく見かけます。叱られまいと咄嗟に言ってしまう。ちゃんと尻尾がみえているのに。しかし、この象徴的な言葉の
中には重要な意味が含まれています。糾弾してくる問いをかわすために「ケーキという考えもあるわ、ケーキを食べればいいじゃない」と。象徴的に言い伝えら
れた言葉はもちろん後者です。問題になるのは施政者が言うからです。糾弾され
ないように論点をずらす。しかし施政者は相手の要求を知っています。知っていて受け入れたくないからこそ問題をすり替える
のです。
2020年10月22日 暑いと思っていたら、いつの間にか木々が色づき、朝晩寒くなってきま
した。体は寒い、しかしついこの間まで暑かったという意識の差にバランスが悪くなった人も多いと思います。毎日コロナ感染者の統計を見て、一喜一憂。感染
経路不明と思うと、人の通らない道でもマスクをしています。少し息苦しくなって、誰もいないとそっと顎まで
ずらして歩くのですが、通り過ぎる人があわててマスクを掛け直すと、私も同じように口元までひきあげる。しかし、お互いに相手に感染の危険を感じてマスク
を掛け直すのではないという風に。見知らぬ人にもこのような配慮を感じています。
2020年8月5日 コロナ感染者が全国に広がり始めました。自
粛からようやく解放され、go to
トラベルもあり、人の移動が盛んになったからでしょうか。来週からお盆。コロナ感染に恐れを感じて自粛をすればするほど、それと相反するように解放された
い気持ちが移動をますます促進させます。人の心理は複雑です。さて長岡京市は「新しい生活様式応援券」一人五千円が配布されました。日頃食べられない高級料理店に行くとか、うなぎを食べに行く、子供のいる家庭では
焼肉、とネットでは楽しい想像が飛び交っています。確かにコロナ感染、自粛などとストレスを抱えている中で、一番ストレスを発散させる方法は近場で楽しめる
食事かもしれません。感染への用心は怠らず、おそらく頭の片隅にコロナ、コロナと言い聞かせながら。それでも楽しみは減ることはないと思います。内藤恵子著『遠望』に感想が寄せられました。「出版案内」→「遠望』でご覧になれます
2020年7月5日 全国、緊急事態宣言が解除されました。コロナ感染が終息したわけで
はなく、第二波を予感しながら、それでも少しずつ活気が戻ってきたように思います。昨日は取次さんからも連絡があり、業界も動き始めたとほっとします。おそらく書店さんもきっとコロ
ナ感染への用心を怠りなく営業をはじめていると思います。『ソシュールのパラドックス』に感想を寄せてくださった方の感想を該当
ページ掲載します。ご覧ください。
2020年5月26日 2月28日北海道が新型コロナウィルス感染・緊急事態宣言を発令。そのスピーディな独自の決断に驚きました。そして3月19日解除。その頃はまだ都市の繁
華街は
いつも通りでした。私もマスクをかけていたとはいえ用事で電車を使い出かけていました。4月7日 東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県の7都府県に非常事態宣言が発令。4月16日上記7都府県に加え、北海道、茨城県、石川
県、岐阜県、愛知県、京都府の13都道府県が「特定警戒都道府県」と指定され、また他県も緊急
事態
宣言。対象期間は5月6日までだった。しかし感染収束の見通しがたたず緊急事態宣言の解除は延期。5月14日、47都道府県のうち38県が解除。5月21
日、大阪府、兵庫県、京都府が緊急事態宣言解除。5月25日、北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都道県の緊急事態宣言が解除。翌5月26日、愛知県が
独自の緊急事態宣言解除。
非
常事態宣言また解除も独自に行っている地域もあり上記の期日に間違いがあるかもしれませんが、とりあえずまとめてみました。解除宣言については、京都府は人の行
き来から見ると県境が明確ではなく、大阪府や兵庫県と足並みを揃えて解除は5月21日となったようです。1ヶ月半とはいえ、非常に長い自粛生活でした。
この自粛の中で、得体のしれないコロナウィルスの正体がわかり始めたり百年前に世界中に蔓延したスペイン風邪は日本をも襲い、父がたの祖父はそれで
亡くなったのではないかと変に疫病を身近に感じ、疫病はいつの時代にもあり人間を襲ったのだ気づき、それによって経済ばかりでなく人の心も痛みつけると感
じ
たり、様々のことを考える時間でもありました。自分が感染する(というより人に感染させてしまうという不安から)ことを免れたとなぜかホッとしたことは確
かですが、絶望が終わらない人たちを思い浮かべながら、迫り
来る第二波に不安を感じています。
2020年5月9日 「一般言語学第三回講義」に続き「一般言語学第一回講義」の電子書籍版をアマゾンKindle、アップルiBooks、楽天ブックスから販売しました。紙の書籍は書店、ネットショップで販売中です。コロナ
ウィルス感染では、この数日、感染者が減少したということですがまだまだ安心できません。おろらく来週火曜日以降に出たデータにより感染の広がりがどの程
度か、収束しつつあるかわかると思います。「正しく恐れよ」という言葉をいつも考えています。「正しく」とはどういう意味なのでしょう。科学的根拠を考え
るということでしたら、いつもその根拠が変わってしまって理解に苦しみます。では「正しく」はどういうことか。なにもかもを恐れていたら過剰な自己防衛
で他者を攻撃してしまうということでしょうか。新型ですから経験のないウィルスの実態を把握するのは難しいということでしょうか。今までの感染症か
ら考えられた研究機関がいくつか作られていたそうです。それが今回に応用できていないのは何故なのか。未知のものに過剰に恐れるのは当然のような気がしま
す。そもそも恐れとは科学的には判断できないものではないでしょうか。
2020年4月28日 コロナウィルスが全国に猛威を振るっています。本来なら、春には一度、東京や関西圏だけですが、書店回りをして書店員さんにご挨拶に伺うところですが、非常事態宣言が4月7日の7都道府県に続き、京都府も宣言されました。大
阪府といえばすぐ隣、また兵庫県も一跨ぎという距離。それでも他府県の境界は越えない方がいいと思っていて今は電車さえ乗ってい
ませんので、書店員さんにご挨拶もできません。時間の短縮はあるものの書店はいまでも行なっていますから書店員さん
も働いていらっしゃると思います。普段とは違い現在どれほどのお客様がいらっしゃるかわかりませんが、書店も病院と同じで、
院内感
染ならぬ書店内感染も心配と思います。本好きの方は書店に立ち寄らなければ落ち着かないということもあります。 書店員さんも本好
きな方もどうかお気をつけください。
2020年4月8日 昨日4月7日コロナウィルス感染拡大防止のため、7都道府県に緊急事態宣言がなされました。日頃の疲れの気晴らしになっているイベントなどが取りやめになりました。また多くの店舗が閉めはじめました。しかし、そこで働いていた人たちはどうなる
のでしょうか。
小規模の事業者である店が、たとえコロナウィルス感染が終息しても再び開業、復帰できなくなることもあるのではないかと思います。そこで働いていた人たち
は、職を失い生活ができなくなり、まして自粛せざるをえない状況では家に閉じ込らざるをえなくなる、そんな光景が見えてきます。自粛を呼びかける場合、そ
ういう人たちへの補償も必要ではないかと思います。長い歴史の中で、おそらくほんの1ヶ月、あるいは2ヶ月のことと思います。その短期間でも、生きていけ
ない人たちもいると思います。コロナウィルスも恐ろ
しいですが、職を失い、働く意欲をなくし、人と接するのをおそれて、生きる望みを失ってしまう人たちも出てくるだろうことが気になります。
2020年3月22日 コロナウィルスの感染予防で自粛を求められていますが、あちこちの施設、特に図書館の休館では不自由しています。せめて本を借りることぐらいはいいのではないかと思っています。近所には大きな蕾をもった桜が春を、観客を待っていますから、そこで本を読むのもいいのではないかと思います。家にばかりいては、ただただ気が滅入るばかりです。 『ソシュール 一般言語学第三回講義 増補改訂版』の電子書籍は、アマゾンのKindle、アップルのiBooks、楽天ブックスで販売中です。
2020年3月11日 東日本大震災から9年が経ちました。今は、当時部屋にいて揺れを感じ、テレビに釘付けになったその日を思い出すばかりです。その後もいろいろな災害が次々と日本列島を襲い、何をすべきか、
どうしたらよいのかわからない日々を送りながら、仕事をすすめています。『ソシュール
一般言語学第三回講義増補改訂版』の電子書籍に関しましては、アマゾンのKindle版を前回お知らせしましたが。楽天ブックスからもお買い求めいただけます。
2020年3月5日 梅が咲きほころび、春らしさが漂い始めました。しかし、それを感じるより以上に世の中は混乱しています。街は人気があまりなく、歩いている人の多くがマ
スク姿。なんとなく覇気がないようです。シャッターのおりた店を見ると、コロナウィルスが影響しているのではないかと気になってしまいます。学校、職場、
これからどうなるか心配です。このような時ですが、『ソシュール一般言語学第三回講義 増補改訂版』の電子書籍ができました。現在、アマゾンの
Kindle版でお買い求めいただけます。
2020年2月7日 ジュンク堂京都店が2月末で閉店します。時々人文担当の方にお会いに伺っていました。その時、他の棚をみては面白そうな書籍を発見して買ってしまうこと
も多々ありました。ジュンク堂さんは人文関係がよく揃っていて、読者としても気に入っていましたので閉店は残念で仕方ありません。長いことお世話になりました。書店が町から消えていくことに寂しさを感じます。
2020年1月17日 阪神淡路大震災から25年。もう25年もすぎてしまったのですが、その時のことは今でもおぼえています。そして、そのあと映像で神戸長田地区に三本の大
きな長い煙が空まで伸びていっているのを何度も見ました。25年も経って大惨事が驚くほど早く復興しましたが人の心は復興とは無縁と思っています。
2020年1月元旦 謹賀新年。今年もよろしくお願いいたします。
2019年11月29日 師走に入り、なんとなく慌ただしい日 々を過ごしていた昨夜、テレビで突然「中村哲医師」の襲撃のニュースが流れました。中村哲医師とペシャワールの活動は十数年前に新聞で知り、共感して、それから年初めにわずかながらですが献金をしていました。そしていつも活動の報告の会報が送られてきました。会報は戦後の時期にあったような粗末なカラーもないものでしたが、お金をかけずにその活動を報告するペシャワールの姿がそこに反映されているようでした。ペシャワールの活動などは、左のリンク頁からご覧になれます。このような人たちをなぜどんな目的で襲撃したのか未だ理解できません。ご冥福をお祈りするばかりです。『一般言語学第二回講義』、1月18日「類推的創造」の続き「その4」を掲載します。
2019年10月23日
台風被害に合われた方、その関係の方達にお見舞い申し上げます。前回の15号の被害が大きかったためか、今回は台風19号が来る前から準備があったと思います。しかし、予想以上のことが起こりました。あちこちの川の
堤防の決壊による氾濫です。私の知っている川がいくつかありました。多摩川は子供の頃泳いだ川であり、多摩川の橋を通り過ぎる新幹線の窓から広々とした河
原敷きで野球などに打ち興じて人たちをみると、ああもうすぐ東京だという目印になる川でもありました。けれども数十年前、堤防が決壊してその近くの一軒の家が川に滑るように落ち押し流されていったのも多摩川でした。その時のある森林研究専門家が、川は蛇行
しているのが自然で、だから流れがスムースにいく、それを人工的に堤防で抑えてしまって行き場を失った流れが暴れるのだと。きっとそれで遊水池を設
け、氾濫から免れた川もあったようです。長岡京は桓武天皇が平安京に遷都する前の10年、奈良から都を遷したところですが、平安京遷都の理由の一つに川の氾濫があったからといわれています。確
かに淀川に流れ込む支流は二本あります。歴史を学んでか今は治水工事がしっかりなされています。だからといって今後川の氾濫がないとも限りません。地球温
暖化のために今までの歴史が役にたたないこともあるかもしれません。先人に見習えということが無効になることもありえます。しかし、地形を知るのはなんら
かの知恵になるかもしれません。
2019年9月13日 台
風15号で被害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。台風15号が北上しているという天気予報士の情報はかなり切羽詰まっていて注意を喚起していま
した。関西で私は昨年の台風21号、またその前の6月の地震を経験していますので、関西に直撃した場合のことを想像しました。台風15号は東海へ方向転換
し、神奈川から千葉の房総半島、そして太平洋に抜けていき、関西ではまた暑い日を迎えていました。テレビでは東京の交通機
関の混乱だけが大きく取り上げられていました。しかしたまたま見たツウィッターでの「助けて」という悲鳴に近い声を知り被害の大きさに驚き昨年
の関西の被害を思い出しています。
家にいても頭がふらふら倒れそうな暑さ。災害地では停電が続き、冷房や冷蔵庫も使えず、水道は止まる、たくさんの病人が出るのではないかと心配していま
す。関西では、未だもってブルーシートに覆われた家がほんの少しですが残っています。山々は倒木をまだ目にします。車や人が通る道はかなり早く通れるよう
に
なりましたが、少し奥に入ると一年経っても倒木は手付かずのまま、根こぞぎ倒れたままです。整理する職人がいないそうです。今度の千葉などの山の中もおそ
らくそのままだろうと思います。なんとか支援をと思っても遠くて何もできず、また少しの物資を送るのも返って車の渋滞を招くだけ。この場合どうしていいか
わからず義援金と思ったのです
が、かつては「ドラえもん基金」とか、テレビでは「〇〇銀行の×××口座に振込」とかのニュースが入ったのですが、それも見た限りでは流されず仕方なく銀
行や郵便局にきいてみたのですが何の手立ても見つかりませんでした。
2019年8月8日 第33代アメリカ大統領ハリー・トルーマンの孫、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏は息子が学校から持ち帰った本から原爆に関心を持つようになったと
言います。広島で被爆し、後遺症に苦しみながら千羽鶴を折り12歳で亡くなった佐々木禎子の物語を本にしたものでした。その後、クリストン・トルーマン・
ダニエル氏は禎子さんの兄と知り合い、子供達を連れて広島と長崎の平和記念式典に参加しました。彼は祖父が大統領時代、原爆投下の決断を下したことを家族
と話さなかったようですが知っていたと言います。しかし、彼はこのように言っています。「私たちにとってあの決断が正しかったかどうかという問いはその後に相手の立場を理解することや、何が起きたかを伝えていくことの大切さに比べれば重要で
はない」「(過去の敵と味方が)一緒になって、当時何が起き、なぜあれほど険悪な関係に陥ったのかと考えるほうが有益だ。非難や怒りを差し挟まずに、歴史
の経緯を振り返る作業だ」また、次のようなことも言っています。「原爆による被害の悲惨さも事実、孫の自分こそがそれを語る役目があると思う」と。
(Newsweek日本版「【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味」より)
2019年8月3日 京都市岡崎に細見美術館があります。地上の入り口から展示室を見て歩くうちに一階ずつ下りていき、出口は地下二階になる不思議な空間を持つ
美術館です。美術館では時々面白い展示会が行われますが、今回は「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」。タラブックスとはインドで本の製
作をしている出版社ですが、その本の装丁は多くハンドメイド、インド国内の民俗画家が手がけています。題材は月、太陽、大きな木、蛇、動物、鳥たちなど語
り継がれてきた民話などに出てくる自然ですが。それがデザイン性豊かに描かれ鮮やかに色彩られ、不思議な感覚を呼び起こします。
2019年6月20日 内藤恵子著『遠望』、高木和子著『支え合い・学び合いで育つ「わたし」』への感想が寄せられました。感想文から新しい風景を発見したり、気づかなかったことに驚いたり、また新しい考えが生まれたり、感想文をいただくのを楽しみにしています。
2019年6月5日 30年前日本語学校に中国から日本語を学びに来た一人の青年がいました。天安門事件があった年でした。その頃中国からの留学生は日本人の保証人が必要でし
た。青年は孔子の教えがそのまま身についたような物静かで礼儀正しく思索的な人でした。天安門事件から30年。この頃になると彼を思い出します。
2019年5月22日 『一般言語学第二回講義』、1月18日「類推的創造」の続き「その3」を掲載します。
2019年5月9日 天気の良い日、朝10時ごろになると外から子たちの賑やかな声が聞こえて来ます。お揃いの帽子を被って車道の横の1m幅の緑に塗られた道を園児たちが歩い
ていきます。近くには長岡天満宮があるのでそこまでの散歩でしょう。先生は緑の歩道から子たちがはみ出ないように指図しています。子たちは二人ずつ手をつ
ないで歩いています。先生は何人かいて、先頭に、中ほどに、最終列に、そして泣いている子をあやし、抱っこし、歩けない子には乳母車に入れて後押ししなが
ら、時々子たちに負けないぐらいの黄色い声を張りあげながら。いろいろな子がいます。弾んで列から飛び出しそうな子と組んでいる子は相棒がどこかに行って
しまわないようにしっかり手を握りしめています。散歩が嫌いな子は足どりが重そうで相棒はあやすように手を引いて歩いています。天気が良い日は必ずこうした光景を見かけます。緑色の歩道が切れたところには大通りを渡るため信号があります。先生はそこで最後の子が到
着するまで先頭にいる子たちを待たせます。信号は青になり赤に代わり、最後の子がやっとたどり着いて青になったら、まず先生が道路の真ん中に立ち両手を広
げて子たちを誘導します。「さあ、渡りましょう」と。子たちが走り出します。「慌てないで、慌てないで」と道路の真ん中に立った先生は誘導灯のように右手
を左右に振りながら言います。子たちはそこが危ないと知っているようで気も焦っているように見えます。最後尾の先生は足がもつれそうになっている子を見守
りながら、待っている車に一礼して足ばやに渡り切ります。すると車はいっせいに、しかしゆっくり走り始めます。信号を渡った先は完全な歩道です。先生は全
員が無事に渡り切ったのを見てホッとしているようです。しかし、歩道の先にはまだまだ難関が待っています。天満宮の広場まで、いや保育園に帰ってから、
やっと子たちを無事に連れて帰ったと思うのでしょう。 大津の事故はあまりに悲惨です。保育園児を見かけたら気をつけるのが運転者の
責任です。まして事故のあった琵琶湖岸の道は見晴らしの良いところ。子たちはきちんと整列して信号の変わるのを待っていたようです。園児たちを部屋で遊ば
せる方がどれほど楽か。しかし、どこの保育園でもそうだと思いますが、先生たちは良い天気の時は子たちに外の風を、太陽を、山々の緑を体感させたいと散歩
に連れ出すのでしょう。もし先生たちが子たちを守るためどのような努力をしているか想像できたら、おそらく運転をもっと慎重にするでしょう。とても悲しい
ことです。
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