奥の細道挿入句の読み方1

推測する読み方と
体感する読み方との比較
奥の細道(より)

(一)序章
草の戸も住み替る世ぞ雛の家

〈推測する読み方〉
このみすぼらしい草庵も、誰かあとで引越してくる人が、お雛様を飾って華やかな家になることであろう。四季の移り変わりのように草庵にも移り変わりが続いて行くのだ。
〈体感する読み方〉
いよいよこの家と別れる時が来た。この小さい雛の家は次々と人が住み替って行く。芭蕉はもろもろの思いがよぎる中で、雛の様に愛しい草庵を見まわし、感慨にふけっている
読手は家に別れを惜しむ芭蕉の心に同化し、小さくても姿のよい家や周辺の景色に臨場し
ている。

(二)旅立
行く春や鳥啼き魚の目は泪

〈推測する読み方〉
行く春と共に人々と別れ行く私の目に浮ぶ惜別涙。こころなしか鳥の鳴く声にも哀愁が感じられ魚の目も涙にうるんでいるようだ。
〈体感する読み方〉
春ももう終りだなあ。草木は茂り鳥は啼き自然は溌刺としているのに、足の裏に出来た魚の目がすごく痛い。この先の長い旅を思うとこの魚の目は涙ものだ。旅立ちの不安や惜別が一層深く感じられる芭蕉。読み手はその心の重さ、足の痛さを体感し鳥の啼く声の中に臨場している。

日光
あらたふと青葉若葉の日の光

〈推測する読み方〉
日光と言う名からすぐ連想される日の光が、青葉若葉の山々に照り輝いている。まことに尊くありがたいお山ではある。
〈体感する読み方〉
何と言う神々しい新緑の山なのだろう。この美しさ、御光の中に私はいる。と敬けんな気持ちに平状するばかりの芭蕉。読手も神聖なすがすがしい気分で、日の光の射す樹下に臨場している。

日光
暫時は滝に篭もるや夏の初め
〈推測する読み方〉
四月に入ってお坊さんたちの夏の行もはじまろうとしている。私もこの滝の裏にとじこもった様な、状態の中で夏行の初めの様な清らかな気分にひたる。
〈体感する読み方〉
滝の裏に入って暫くじっとしていると、その清涼感に『夏だなあ』と言う気分がして外の事は何も考えずに、その清々しさにひたっている芭蕉。読手は目の前を落ちる滝が簾のように見え、大きな音のする中で『涼しいなあ』と体感している。

磯野香澄

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